思えば遠くに来たものだ


「元親、合いたかった。」
「家康…。」

久々の逢瀬ともあれば燃え上がるのは道理であり、昂った心のままに手を伸ばせば耐え切れなかったのはどちらも同じだったらしく見た目の割には存外柔らかな指が音も無く絡まった。
赤くなった頬を近付け、唇が触れ合おうとしたまさにその時。


「此処かぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
紙風船を割ったような小気味良い音と共に、部屋と外界を隔てていた壁が勢い良く切り裂かれた。

「え?」
「は?」

目を剥いた二人が紙吹雪と化した襖に顔を向けると、其処では身体から瘴気を放ち瞳を赤く光らせた三成が、どす黒い息を吐きながら佇んでいる。
「い、石田?」
「ど、どうしたんだこんな所に…。」
尋常ではないその様子、と言いたい所だが残念ながら三成にとってこの程度の暴走は日常の一部に過ぎない。二人は冷や汗を流しながらも冷静に彼との距離を取り、そうして恐る恐る問い掛けた。

「イィィィィエェェェェヤァァァァァスゥゥゥゥゥ!!!貴様に長曽我部は渡さない!!」
しかしじわりと開いていた距離は三成の一歩でまんまと無かった事にされてしまった。鞘から抜いた無銘刀を家康と元親の間に割り込ませると、どうにか二人を引き裂くべく家康に刃を向けて少しずつ動かしていく。
この状態の三成を説得するのは不可能だろう、が、このままでは埒が開かない。
家康に視線で促され、元親は取り敢えずこの場から逃げようと廊下へと足を向けたのだが、突然放たれた強い光に目が眩んで立ち止まってしまう。

「その程度、我の策の内よ!!」
するとそこにまんまと現れたのは元就であった。
後光が煌めく中颯爽と立ち塞がる姿は最早神々しくすらあり、これはもう駄目だと、そう感じたのは家康と元親同時であった。

「忠勝!タダカーツ!!」
形振り構っている場合ではないと家康が絶叫したが、望んだ体躯が空に舞う様子は無い。
無駄よと鼻で笑った元就は、懐かしい采配をひらりと翻して天を撫でた。
「既に大谷に動きを止めるよう言ってある。」
するとその発言が終わるや否や、若草色の甲冑の背後に、ふわりと輿が降りてくる。唇を歪ませた吉継は、傍目から見ても大層機嫌が良い。
「残念だったなァ、徳川。」

頼みの綱である忠勝を封じられ、為す術が無くなった家康はどうにか怪しの術を破れないものかと元就の後ろに浮かぶ吉継にじりじりと近付く。
しかし意外にも、そこに口を挟んだのは三成であった。
くわっと目を見開いたかと思うと、ふんぞり返る元就を指差して吉継に詰め寄る。
「刑部!貴様、私と毛利どっちの味方だ!」
「われは徳川の敵よ。」
「なら良い」
全然良くないと家康は思ったのだが、どうやら三成は納得したらしい。ヒヒッと笑う吉継は元親の身体を上から下までねっとりとした視線で眺め回すと、数珠玉を操る時のように指先をついと動かして立ちはだかる獣達を指し示した。

「諦めて三成と毛利の所に転がりやれ。」
「男だらけの船上でそんな格好をしておるのだ、今更守る貞操も無かろう。」
「どうせ部下と一回や二回は事故っているのだろう。」
吉継の言葉に続いて元就と三成が畳み掛ける。嗜虐趣味の三人から身に覚えの無い事で立て続けに責め立てられ、元親の我慢は限界に近い。
「してねぇよ!何だよ事故って!」
もうコイツ等埒が明かないと、半分泣いている元親は振り返り恋人に助けを求めた。彼の空気を読まない性格はこういう時こそ頼りになる。いやむしろこういう時こそ頼りにならなくてどうするんだ。

「元親……っ、ワシはお前にどんな過去があろうが愛してるぞ!!」
「家康ちょっとそこに座れ。」
前言撤回。これはぶん殴っても良いと思だろう。
流石に本気で破局と言う文字を考えた所で、元就がそれ見たことかとせせら笑った。
「だから言ったであろう、大人しく我の下へ来い。」
「長曽我部!四の五の言わずに私に下れ!」
「元親座ったぞ。」
三人がそれぞれ好き勝手な事を言い、吉継だけが遠くで爆笑している。こんな場合は一体どうすれば良いのだろうか、分かる訳が無い。姫が鬼になったからと言えども、無理なものは無理なのだ。



「引き揚げだ野郎共!!」
元親は全てを捨てて大海原へと逃げることにした。背後で三人がぎゃんぎゃんと喚いていたが知った事か、眼帯に覆われていない方の瞳がどことなく潤んでいたのはきっと光が眩しかったからである。


ちなみに家康が許して貰えたのは、それから一月以上経っての話であった。