隣町の彼氏


偶然。
そう、偶然であったのだ。その出会いは。しかし私は今となっては運命だと信じているし、彼だってそうだろう。

何の用事で向かったのかすら忘れた、隣町の駅構内での出来事だった。
そこで、一際軽やかに揺れる金の髪が目を惹き思わず目で追ったのだ。
長い睫毛、白と黒が逆転したような不思議な瞳、しなやかな手指に桜の果実のような唇。その全ては瞬きの間に私の心を奪っていった。二十余年生きていて初めて自分が同性愛者であると理解したが、それについての衝撃は殆ど存在せず、代わりに腹の底から沸き上がった焼けるような熱に目眩を覚えて暫くの間呼吸をする事すら忘れていた。
そのまま駆け出し腕を掴まなかった自分を誉めてやりたいと、あの出会いから半年以上経った今でも心の底から思っている。元来、直情的で後先を考えぬ性格だ。衝動のままにその場で何をしていたっておかしくない。
その時は幸いにも頭の中が真っ白になり動くこともままならず、しかし漸く我に返った後、彼の名前すら知らない事に気付いて愕然とした。


初めて出会ったのと同じ時間帯、同じ駅で待っていると彼はあっさりと見付かって、そのまま気付かれないように彼の後を追い掛け、名前を、学校を、住所を、自分に調べられる限りの事を調べ尽くした。

大谷吉継。隣町の大学に通う大学生で、留年していなければ自分と同じ年齢である。学校と自宅の間にある学習塾でバイトをしており、行動範囲は非常に狭い。
手に入ったこれらの情報を基にどうにかして吉継に近付こうと、画策したが、そのあまりの行動範囲の狭さが逆に足を引っ張った。
せめてバイト先が接客業ならば常連としてでも接触出来たものを、学習塾では近づきようもない。
自分も同じ場所でバイトをとも一瞬考えたが、他人にものを教えるなど天地が引っくり返っても出来はしないだろう。

そんな私に出来る事と言えば精々気付かれぬよう彼の後を尾行することくらい。
突然帰りが遅くなった事を家族に怪しまれはしないだろうかと危惧したが、幸いにも両親は大学生になった息子の素行について口を出すことも無く、大人なのだから自己責任で好きにしろというスタンスで黙認してくれていたので、この追跡劇は半年間に渡って何の障害も無く行われていた。


こんなのはただのストーカーだ。
そう理解はしていたものの、彼が、吉継が操る言葉の一欠片、指の一本一本に狂おしいほど翻弄されてしまいもう元の場所に戻ることなど出来ない。
膨れ上がる気持ちをもて余しながら、その日もいつものように彼の背中をそっと追い掛けていた。

どこが悪い訳でもないらしいが、吉継はよく転ぶ。または転びそうになる。
平地であるならハラハラしつつも見守るだけに留めていたのだが、こんな風に歩道橋の上から落ちそうになっているのならそう言ってはいられない。

「吉継!!」

思わずそう叫んで飛び出していた。

崩れ落ちそうになった身体を受け止めて、ずっと触れたいと思っていた温もりを強く抱き締める。
私の顔を見た吉継は、驚きに目を見開いて硬直していた。
見知らぬ男が自分の名を呼びながら抱き締めているのだから、それも当然である。一体どのような言い訳をすべきか。いやしかし怯え罵られたとしても仕方ないと腹をくくった私の前で、彼の唇から漏れたのは意外な言葉だった。

「三成…?」
大きな瞳を更に丸くして私の名を呟いた吉継は、がばりと身を起こすと私の腕を掴み顔に手を添えて、まじまじと見つめてきたかと思うと、感極まったように声を上げて微笑みすら浮かべて見せたのだ。

「三成ではないか!どうしてぬしが此処に!?」
どうして、と問われても返答に困る。まさかここ半年ずっとストーカーしていたとも言えず、しどろもどろに視線を泳がせた。
しかし吉継は私のそんな挙動不審を気にすることも無く、あ、と口を開いた後に顔をしかめて遠くに視線を投げ掛ける。

「どうした?」
「いや、靴がな。」
そう言われて吉継の視線を追えば、道路の真ん中に転げ落ちたサンダルが、幾つもの車輪に踏み潰され無残な姿になっているのが視界に刺さった。
やれ困った、と呟く吉継を見て、チャンスとばかりに腕を回して横抱きに抱える。すると苦笑しながら極軽く、頭を小突かれた。

「目立つわ阿呆、背負いやれ。」
拒絶にしては柔すぎるそれを素直に受け取り軽い体躯を背に担ぎ、右だ左だと案内されて辿り着いたのは、もう幾度と無く通った彼の家であった。
入っても良いものなのかと迷っていると、吉継はそんな私を見て不思議そうにちょこんと首を傾げた後に、合点がいったと苦笑する。
「ああ、スマヌ。靴は適当に寄せてくれやれ。」
そう言われて足元を見れば、成る程玄関いっぱいに靴が並んでおり足の踏み場は見当たらない。取り敢えず入室の許可は得たので、言われた通り適当に靴を引っ付かんで自分の入るスペースを確保すると、扉を閉めて息を詰める。

「何故靴箱に靴を入れない!!」
一拍置いた後に思わずそう叫び、玄関を埋め尽くしていた靴を順番に靴箱へと片付けていく。
靴箱は何となく予想した通り空だった。


「ヒヒ、相変わらずよな。」
吉継はそんな私の行動を優しい目で見守り、無断で所有物に触れられたにも関わらずそれを咎めることすらせずに微笑んでいる。
もしかして昔どこかで知り合っていたかと今更過ぎる疑問が沸いたが、しかしこんな可愛い…いや、うん、可愛い人間と出会っていたのなら忘れる訳が無い。

歓喜と混乱と緊張で心臓を破裂させそうになりながら、大まかに靴を片付けて部屋に入ると、なんと吉継に手を握られて上目遣いに見詰められた。
良いんだろうか、いっそ夢なのではなかろうかと疑いながらも据え膳をはね退けることなど出来ずムラムラして顔を近付けると、吉継も受け入れるように瞼を閉じて顎を上げたので、そのまま口を吸う。
舌で唇をつつけば直ぐに此方の意を汲んで口内への侵入を許し、狼藉を働く私を拒むことなく薄い舌で懸命に応えてくる。腰の辺りからぞくぞくした熱が駆け上がって、その勢いのままソファーへと押し倒した。


「みつ、な、…ちと、ちと待ちやれ。」

掠れた声に、少しだけ渦巻いていたものが静まった。

私としてはこのまま服を全部剥ぎ取って身体中を舐め回し、ジーンズ越しに見える小さな尻を揉み倒してからその奥に己の欲望を突き挿れて心ゆくまで汚してやりたいと思っていたのだが、何分ちゃんと言葉を交わしたのはつい数十分前が初めてだ。流石に性急過ぎる。
今日はここまで出来たのだから充分ではないか、何より吉継は私からの性的な接触を拒んではいない。愛も情も、これからゆっくりと育んでいけば良い。





「まだ、湯を浴びておらぬゆえ。」
覚悟を決めた私に向かい頬を染めて告げられたのは、あまりにも愛らしい恥じらいであった。

「私は気にしない。」
そのままベッドに押し倒して望んでいた事を一通りさせて貰ったが、最後まで明確な拒絶は無かった。むしろ途中から向こうも乗り気だった。



重ねて言うが、これはきっと運命であろうと思う。






蛇足だが一週間後、三成の父である半兵衛に三成には過去の記憶が無い事を告げられて吉継が意識を飛ばす。