なまにえ


「天海殿。」
わざとらしい発音は、本来は揶揄するような響きを持たせたかったのだろう。
けれどどうにも固さが抜け切らなくて、その戸惑いは名を呼ばれた天海にも伝わった。
にっこりと笑んだ白い面に浮かんでいるのは明らかな愉悦と微かな嘲りで、小十郎が最初の短慮を後悔するも時遅く、滑らかな足取りで側へと寄ると息のかかりそうな距離に顔を近付けて何でしょうと首を傾げる。

やはり、明智だ。

曇り色をした瞳も言の葉を紡ぐ時の息遣いも何もかも、記憶の中の謀反人と何一つ変わらない。
右目に掛かった髪を掬ってすっかり顔を出してしまうと、愉快そうににやりと目尻を下げられた。
そのまま仮面に手をかけて、隠された顔の下半分を暴いてやりたいと言う気持ちは変わっていなかったが、それは正体を確認したいというだけなのか、それとも……。

「天海様。」
年貢の事で相談がとの声に振り返ると、そこには見知らぬ小早川の兵と共に、唇を震わせた少年が零れ落ちそうなほどに大きく目を開いて立っていた。
「それでは、金吾さん、片倉殿、また後程。」
軽く頭を下げると躊躇い無く踵を返し、滑るような足取りで姿を消すと、秀秋が半べそをかきながら小十郎の服を掴む。
「て、天海様はあげないからね!!僕のなんだからね!!」
珍しく強い意思を持って叫んだ後に、しょんぼりと肩を落として俯くと、とうとう床に水滴が散った。


「天海様が小早川の養子になってくれれば良いのに。」
そうすれば僕は戦わなくて済むし、天海様は何処にも行かなくなるでしょうと、唇を尖らせ駄々っ子のように……いや、駄々っ子なのだ。
養子などと、自分の全てを奪ってくれと言っているようなものではないか。何を言っているか解っていないのだろうとは思ったが、それにしたって。
小十郎が言葉を掛けあぐねていると、秀秋は泣く事を止めないながらも微かに微笑んだ。
「それで、邪魔になったら捨てて欲しい。」

無知だとばかり思っていた子供は、何もかもを知っている。
「…お前は、それで良いのか。」
「うん。…でも、断られちゃったけどね。」

自分が必死に守ろうとしているものを、こうもあっさり棄てようとしている少年の姿に、込み上げて来たのは怒りでは無く哀憐だった。
何も知ろうとしなかった本人が悪いのか、それとも何も教えなかった大人が悪いのか。


天海に尋ねたい事が、こうして一つ増えた。