一人だけ上手と呼ばないで

「三成が酷いんだ!!」
涙目で部屋の襖を開けた家康は、その勢いのまま吉継の膝に縋り付いたので、彼は読んでいた本を黒い頭の上に落としそうになったのを異形の力を使って何とか阻止した。
「やれ、今度は一体どうした。」
唐突な動きというものに慣れてはいても、何をするかというその細部までは見通せない。吉継は読書を早々に諦めてその先の言葉を促した。

「三成が酷いんだ!」
家康は先ほどと同じ言葉をもう一度繰り返すと、漸く頭を持ち上げる。丸い瞳と赤らんだ頬が怒りと興奮に染まっているのは明らかだが、忍耐強い彼がこうして負の感情を現にするのは珍しい。
「ワシが花街に行こうとしたら、三成に止められた。」
その言葉に吉継は思わず大きな笑い声を立てる。彼がこんな風に笑う所など初めて見た、と家康は一瞬それまで抱いていた憤りを忘れて呆けていたが、暫くして気を取り直すと頬を膨らませて詰め寄った。
「刑部は腹が立たないのか!三成の奴、自分だけ好き勝手しておいて!」

吉継と家康はどちらも三成の情人だ。それも抱かれる側の。
「そう言えば最近は此方に入り浸ってばかりだったなァ……それは淋しかろうて。」
やがてニヤニヤと普段通りの意地悪いそれに笑みの種類を変えた吉継が、膨らんだ頬をつついてぷしゅりと空気を押し出す。
家康はされるがままに弄られていたが、それでも唇だけは反抗の体を見せて尖っていた。
「そうじゃなくて…刑部だって女を抱きたいだろう!?」
「われはこの様よ。今更、三成以外と交わろうなどと思わぬわ。」
ひらりと動かす手に巻き付いているのは包帯。家康は時々忘れてしまうのだが、そうだこの強く賢い友人は質の悪い病に侵されているのだ。

「ならワシとしよう。三成もそれなら文句は無いだろ。」
本当に溜まっているらしい家康に、吉継は包帯の下でどうしたものかと苦い顔をした。
先程の言は嘘ではなく、本当にここ暫くは毎日三成の相手をしていたので、最後までというのは負担が大きい。しかし、吉継にとっては家康も三成と同じくらいに可愛いやや子である。こんな風にせがまれれば、手や口で一方的に相手をしてやるくらいならば構わないかと思った。
一度抜いておけば少しは大人しくなるだろう。そうすれば後は三成に可愛がって貰えば良い。
家康が言いたいのはそれだけでない事も解っていたが、その先は目を瞑って貰おう。
膝に懐かせていた上半身が持ち上がったのを切っ掛けに、柔らかそうな唇を指でなぞった。
「刑部…。」
家康は誘われるように吉継の額に己のそれをくっつけると、睫毛の触れそうな距離でじっと瞳の中を覗き込む。互いに目蓋を閉じぬままに口付けを交わそうとして、止まった。

パン、と勢い良く開いた障子の中央浮かぶ細長い影は予想していたものであったが、同時に漂う白粉の匂いに首を傾げた。男所帯のこの城で、一体誰にそんなものを付けられたのか。吉継と家康は互いに顔を見合せてから三成を観察すると、再び視線を合わせて首を捻る。
すると、それまで黙っていた三成が憮然とした顔で低く唸った。
「家康の代わりだと花街に引っ張られた。」

石田様は清廉だから。いや遊び女の良さを知らぬからでしょう。一度遊べば石田様も男、きっと解って下さろう。徳川様はまた後日お誘い致すとして、取り敢えずこの朴念人をどうにかせねば。
同僚達が何を考え三成を誘ったのか、吉継にも家康にも、彼らの告げたであろう言葉の末端までもが手に取るように理解出来て思わず噴き出す。が、次の瞬間三成の一言でその笑顔は凍り付いた。

「宛がわれた女を適当に抱いてきたが、何が楽しいのかさっぱり解らん。」
貴様等を抱く方が余程心地良いと続いた発言が彼なりの誉め言葉であると言うのはこの際置いておこう。
それでも流石にこれは無い。

「さ、家康。奥に参ろう。」
「そうだな。」
唐突に凪いだ二人の気配と、奥に行くとの言葉に三成は疑問を覚えながらもその後ろに続こうと足を踏み出す。しかし、家康が「三成は駄目だ。」と拒否すると同時に吉継が数珠で結界を編み、三成は白い額を強かに打ち付けた。

「私を裏切る気か!!」
「「どの口が!!」」

二人揃えて怒らせたのは、いや二人を怒らせたこと自体が初めてで、その日は一日凶王の哀れな嘆きが木霊していた。