皮衣ならもう剥いだ

むかしむかしの、ことである。


今夜の宿と勝手に決めた廃寺には先客が居り、自分はこのまま喰われてはかなくなるのだろうか、しかしそれも致し方無いと一人で納得してから吉継は静かに息を吐いた。病に侵された身体で山道を歩き続けた彼に、この場から逃げる体力などもう残ってはいない。
吉継の前に居るのは牛程もあろうかと言う一匹の大鼠で、石の身体と鉄の牙を持つその妖は、記憶が正しければ鉄鼠と呼ばれる種族である筈だ。
猫や水など苦手なものが多く、妖怪としては下級のものであったように思うが、それでも妖は妖、骨と皮ばかりの病人をぺろりと一呑みにする事くらい朝飯前だろう。

銀の毛並みは俗に鼠色と呼ばれるそれとは程遠く輝いており、最後に珍しいものを見ることが出来たと妙な感慨を抱いて近付く毛皮を眺めていた。
しかし大鼠は目と鼻の先まで迫った所で足を止め、すんすんと匂いを嗅いだかと思うと、そのまま不思議そうに首を傾げて尖った口を小さく動かす。

「貴様、何処から来た。これは何の匂いだ。」
器用に喋るものだと感心しながら、鼠の問いに答えてやる。
「山を二つ程越えた所にある村より参った。匂いは軟膏であろ、見ての通りの病身ゆえ。」
返事を聞かぬ内から周囲をぐるぐると回って鼻先を押し付け、確かめるように何度も匂いを嗅ぐ。擽ったさに小さく笑うと、驚いたように目を丸くした。
その瞳は翡翠の色をしており、白目と黒目の反転した自身のそれよりもよほど美しい。

「ぬしこそ何者で、何処から来た。」
「私は三成だ。何処から来たも何も、生まれた時からこの寺で暮らしている。」
意外に大人しい鼠――三成に吉継の方も興味をそそられ、詳しく話を聞こうと先を促した。

親兄弟の顔も知らぬ為、生まれた時と言うのは少々語弊があるが、とにかく単なる一匹の鼠であった頃から此所に住んでいる事は間違い無いらしい。
そもそもはこの寺で下男をしていた秀吉と言う人間が、当時はまだ単なる鼠であった三成を可愛がっていたのが居着くようになった切っ掛けなのだが、件の秀吉とやらはある日、無実の罪を着せられて殺されてしまったそうだ。三成は恩人である秀吉の仇を取ってやろうと、彼の殺された晩に真犯人である大僧正の喉を食い千切ったと言う。
まさか単なる鼠一匹にそんな事がと思ったのだが、人から餌を与えられ続けた三成は化け物となる前から丸々と太っており、猫か子犬程の大きさがあったらしい。造作もない事だったと語る姿に虚栄や誇張の気配は見えず、話は事実であるのだろうとそうかと言って頷いた。
そして大僧正を食い殺したその途端、今のような妖怪へと変化し、そのまま残りの人間も全て食い殺して現在に至るのだと言う。

三成の話が終わり、ふむと一息ついて考える。
これは確かに人間を殺した。が、元はと言えば人間に可愛がられてここまで育った獣でもある。人間と言う種族全てに恨みを抱いている訳ではなく、仇を取り終えてしまえば今の通りに大人しい。此方から無闇に挑んでいかなければ害を加えられる事は無いだろう。
「さようか、詳しく話してくれた事に感謝しよう。」
「次は貴様の番だ。」

高圧的な物言いが気に障らないでは無かったが、怒らせるのは得策では無かろうと素直に口を開く。どうせ一晩の宿であるし、巧くおだてれば見張りの代わりくらいにはなるだろうという打算もあった。
「われは吉継と言う。病を得て村を追い出されたゆえこうして彷徨っておる。不躾な願いとは存じているが、良ければ一晩の宿をお借りしたい。」
思惑通り、殊勝に頭を下げてやれば着いて来いと屋内に導かれ、幸運なことに布団の詰まれた狭いながらもそこそこに豪華な部屋へと案内される。
どうやらこの広い空間は三成の寝床であるらしいと、鼠の形に丸くへこんだ布地が示す。それをどことなく愛らしいと思いながら吉継が布団に乗れば、何故か三成は指定席であろうへこみとは逆の方角に向かった吉継の後にくっついて再び鼻先を擦り寄せた。

「貴様は雌か。」
「われは雄よ。見立てに間違いが無ければ、ぬしと同じ、な。」
思ってもみなかった言葉に、雌雄の区別もつかぬのかと笑いそうになったが、包帯で全身を覆い軟膏の匂いで体臭を消している自分の性別を、同じ人間ならばまだしも鼠が判別出来ぬのも無理は無い。固そうな毛並みを撫でると石の体がちくちくと掌を刺したが、何故かしょんぼりと肩を落とす姿にそんな事は気にならなくなった。
「…雄、なのか?」

三成は呟くと、いやしかしと気を取り直したように頷きその場でくるりと宙返りをする。
すると吉継の目前には、今まで居た鼠の代わりに背の高い男が現れた。
髪は鋭い銀色で、翡翠の瞳は爛々と光っている。痩せていたのが意外だったが、筋ばった筋肉で覆われた体躯は相も変わらず立派としか言いようがない。

「…みつ、なり?」

ヒトガタを取って一体何をする気だろうかと眺めていると、ぺたりぺたりと服を触って挙げ句に薄いそれを剥ごうとするではないか。
慌ててその狼藉を止めようとしたが、先程の言から考えて男だと納得すればすぐに離すだろうと、思ったのが運の尽きだった。

「何をっ!」
着物を捲り包帯を剥き、下帯まで取り払って尚、三成は止めるどころか息を荒くして吉継の病んだ肌に舌を這わせる。それは補食に似た動きであったが明らかに違う、健常であった頃に己も何度か行ったそんな所作で。
「止めやれ!われは雄と言ったであろう!」
必死に抵抗するも、体格差は歴然としていて白い身体はびくともしない。その上に頬を染めて瞳をうっとりと蕩けさせているなどと、信じられるものではなかった。
「坊主共がこうしているのを、天井からずっと見ていた。あの頃は何をしているのか解らなかったが、今なら奴等の気持ちがよく理解出来る。」
宗派にもよるが、僧侶とは基本的に男色である。この妖怪の行おうとしている事と、それをする知識があるという事実を察した吉継は包帯の下の顔をみるみる青ざめさせて今度こそ遮二無二に手足をばたつかせた。
「われなどに手を出さずとも、雌の鼠でも孕ませれば良かろう!」
「私はもう貴様を伴侶にすると決めた!大人しく抱かれろ!」


しかし妖怪の力に敵う筈もなく、そうして余す所無く味わい尽くされた吉継は、世を捨てた筈が三成の伴侶となり、幸せに暮らしましたとさ。


どっとはらい