おうちにかえろう

始終無言で足を進める三成に従うようにして曇天の下を歩く。今夜は雨だと、家を出る直前にアナウンサーが喋っていたのをぼんやりと思いだした。

「家康!?どうしたのよその頬は!?」
帰るなり、吉継が大きな目を見開いて顔の腫れた息子に駆け寄った。家康は気付いていなかったが、三成に打たれた部分は時間の経過によって紫に変色しており、更に唇の端が切れて血まで滲んでいる。
「五天に声を掛けていた男を家康が殴った。」
「じゃあその男が家康を?」
「違う、私だ。」
端的な物言いはいつもの事であったが、流石の母もその説明だけでは状況がさっぱり理解できないらしく、目を白黒とさせて言葉の続きを待つ。
「確かにあの男は強引に五天の手を引いていた。しかし何も言わずに殴りかかるとはどういうことだ。」

そこで漸く吉継も、それが口論の末の揉め事では無く息子による一方的な暴力であったと知り、手の形に腫れた頬を撫でながらも困惑したように問い掛けた。
「何故そのような事を・・・。」
触れた部分からじわじわ温かさが伝わる。恐怖に押し潰されそうで堪らなくなり、家康は目の前の小さな身体に抱き着いた。

「・・・ワシは、本当に三成の子なのか。」
「何?」
「忌まわしい過去って何だ?権現って誰なんだ?どうしてワシに隠そうとする、ワシは誰に似ているんだ?・・・母さんは、そいつに酷い事されたんじゃないのか?」
一息に言い切ってしまうと、呼吸が荒くなり心臓がバクバクと低い音を立てて跳ねる。吉継を抱きしめる手に力が篭り、息を求めて肺が膨らんだのが押し付けた頬から伝わった。
数秒の沈黙の後、三成が細く長い息を吐く。
「・・・まさか。そんな勘違いをさせていたとは。」
恐る恐る顔を上げると、吉継も困惑したように眉を寄せており、目元をちょんちょんとエプロンでつつく。

「全て話そう。先ずは顔を拭け。」
言って差し出されたのはいつであったか父の日にプレゼントしたハンカチで、ぴしりとアイロンのかかった紫色に、家康はそこで漸く己が泣いていたことに気が付いた。
リビングに座っても、まだ家康は吉継の腕を離すことが出来ず、放っておくと歪むに任せる視界をハンカチで何とか正常に戻して三成を見据える。

「貴様は、前世というものを信じるか。」
尋ねられた言葉はそれまでの会話から考えるとまるで脈絡の無いように感じられたが、とりあえず応えを返さねば話は進まないと首を横に振った。
前世と言うのは自分の考えが正しければ、生まれ変わる前のあれやこれやであろう、オカルトは嫌いではないし、運命を信じるかと問われたのならば頷いたかもしれないが、生憎と輪廻転生は彼にとって物語の中だけの出来事である。

「貴様は信じられないかもしれないが、私達には共通した前世の記憶がある。私と吉継だけではない。官兵衛に元親、元就、他にも大勢、同じ体験をした。」
意外な名が次々と挙がり、まさか、と目を瞬かせる。本当にそんな事があるのだろうか。しかし父はそういった冗談を言うタイプではないし、今この場で紡ぐ嘘にしてはあまりにも突飛過ぎる。
三成は息子の困惑を知ってか知らずか、
「当時の私達は同盟を組み、ある男を倒そうとしていた。だが、その男の力は強く私達は皆、反対に殺されてしまったのだ。・・・家康、前世の貴様にだ。」


「え?」

「徳川家康、流石に知っているだろう。それが貴様の前世での名だ。」
「じ、じゃあ三成は・・・。」
「西軍総大将、石田三成。吉継はその軍師をしていた大谷吉継だ。歴史の勉強はしているな?元親や官兵衛も、苗字は違うが名は過去も今も同じだ。」
長曽我部元親、黒田官兵衛、毛利元就、偶然だと片付けていた彼等の名前がまさかこんな所で意味を持つとは思いもしなかった。まさか、真面目にやってきた勉強がこんな所で己の首を絞めるとは。
母の顔を振り返ったが、彼女は申し訳無さそうに俯くと、欲しかった否定の言葉とは正反対の音をその唇に乗せて薄らと涙を浮かべた。
「ぬしを授かったと知った時、本当に嬉しかった。しかし産まれてその顔を見て迷った。何故、われ達を放っておいてはくれぬのかと、一時は恨みすらした。」
「だが、例え憎い仇であろうが私と吉継の子だ。捨てるなど、ましてや手に掛けるなど出来る筈も無かった。」
沈む声はどちらにも後悔が滲んでいたが、申し訳なさそうにされればされる程、家康の心に刺さる棘は大きくなっていく。


「何だよ、何だそれ。前世?ワシが三成と吉継を殺した?夢物語もいい加減にしてくれ、ワシは何も関係無い!!」

そんな馬鹿げた理由で今まで苦しんでいたのか。
そんな、ふざけた理由で彼等は自分を遠ざけようとしたのか。

怒りに似た、でも少し違うよく分からない感情が腹の奥から湧き出でて全身に火を付ける。居ても立ってもいられずに、かつてないほど乱暴な仕草で椅子を蹴倒すと、そのまま衝動に任せて家を飛び出した。

「「家康!!!」」
両親の声が背後で重なるが今はそんなことを気にしている余裕は無い。がむしゃらに手足を動かし出来る限り遠くに、二人に見つからない場所にと駆け出した。

残された三成と吉継はそれを追い掛けようと同時に立ち上がったが、三成は妻の肩を押して制止をかける。
「私が追う!貴様は此処に居ろ!」
「しかし・・・!」
「奴が帰った時、傍に居てくれ。」
吉継が頷くのを確認すると。三成は今度こそ弾かれたように飛び出した。