ひとしれずふたり 小気味よい軽やかなノックの音とともに扉が開く。明るく若い少年が入室すると、その場の空気が柔らかなものに変わる。 新人が増えると雰囲気が変わるのはどの職場にも言えることだった。 「リヴァイ兵士長。先日の会議の資料をお持ちしました」 「そこに置いておけ」 まだ緊張感の抜けない様子の新人は言われた通り資料を棚の上に置き、打ち合わせをしている上司と客人のためお茶の準備に取り掛かる。 リヴァイと話していたハンジが見慣れない顔だ、と言いたげに目を向ける。視線に気が付いた少年は向き直りきりりと敬礼して言った。 「新人のエレン・イェーガーです!先日、特別作戦班に配属されました!」 「ああ、期待の新人くん?」 すると、それまで興味なざげだったリヴァイがめずらしく口を挟む。 「期待の、でもねぇだろ。今期の調査兵団には首席から3位までいる。こいつは5位」 「でもリヴァイ班に入れるなんて、期待されてるじゃない」 頑張りなよ、と言うと少年ははいっ!と溌剌とした返事を返す。 ハンジはこの素直そうな少年と、資料から顔をあげようともしない捻くれた同僚を見比べ思う。 彼がリヴァイ班に配属されたのは、何よりきっと適性だろう。 個人の技量がどれだけ優れていても、リヴァイとまともに仕事ができる人物は限られる。見かけただけで話したことはないが首席の女の子ではまず無理だ。 ただこの素直な少年が、一筋縄ではいかない上司との今後に苦労するであろうことは容易に想像できて、少しだけ同情した。 「どうぞ。紅茶が入りました。」 お茶の用意が整ったようだ。カップが湯気を立てている。 しかし、次の瞬間のガシャンッという音にはさすがにリヴァイは顔を上げざるをえなかったし、一部始終を見ていたハンジは唖然とした。 少年の手の上でカップとソーサーが絶妙なバランスを崩し、倒れてしまった。 カップが割れることはなかったが、手元に熱湯の飛沫がとんだらしく反射的にリヴァイが手を引っ込めた。 さっきまで明るくにこにことしていた少年の顔がさっと青ざめる。 「……てめぇ」 「うわっ!兄さんごめん!大丈夫ですか!?」 「拭く物持ってこい、グズ野郎」 「は、はい!すみません!」 「あーあ、やっちゃったね新人くん」 パタパタとまた奥へ引っ込むエレンを見送り惨状に目をやると、並べられた書類の上に紅茶の染みが広がっていく。なんとか救出を試み指で摘むが使い物にはならなそうだ。 「クソ……、やり直しだ。あのグズ」 「あははっ、それにしても新人らしいミスだね」 「……」 リヴァイは、ハンジの顔を盗み見てごくごく自然に目を逸らす。 しかしこのままやり過ごせるのではないかという期待はやはり甘い期待にすぎず、鋭いか鈍いかと言えば前者に分類されるハンジは悪気なさげに言い放つ。 「知らなかった。リヴァイって、弟がいたんだね」 エレンが資料室の扉を閉めようとすると後ろでガッと何かを掴む音がしてびくともしない。 嫌な予感におそるおそる振り返れば案の定、そこらの巨人よりよっぽど怖い兄の姿があった。 「兵ちょ」 ドカッ 「痛!」 後ろから尻を蹴られて危うく棚に頭から突っ込みそうになったが寸でのところで踏み止まる。 後ろ手に扉を閉め、リヴァイははぁっと大げさなため息を吐くがそれを境に身に纏う空気が厳しさを失い、途端にくだけたものに変わった。そして呆れ顔でエレンに詰め寄る。 「お前な…」 「……」 「いい加減にしろ。ボロを出すのもこれで何度目だ」 「ハイハイすみませんでしたリヴァイ兵長」 「……」 ぐんと兄の両腕が伸びてきて、何をするのかと思いきや本棚に力いっぱい押しつけられ痛い痛い!とエレンは叫ぶ。しかし、静かにしろ馬鹿と言われただけで相手にしてもらえなかった。弟は立場が弱いのだ。 「……ハンジには口止めしておいたが、どこまで有効かはわからねぇからな」 「だから、別に隠すことないだろ」 「兄弟だとバレたらやりづらくなる」 「なんだよそれ。わけわかんねぇ」 「うるせぇ。お前は言われた通りにしていろ」 「わかりました申し訳ありませんでしたリヴァイへいちょう」 「……」 「痛い痛い!わかったって兄さんごめんって!」 めりめりっと嫌な音を立て再び力を加えられたので慌てて謝罪を口にする。兄の両腕はすっと離れていったがエレンの頬には棚の角の跡がくっきりと付いてしまった。 リヴァイはそれには触れず資料室の奥に足を進めた。 「…兄さん?」 「来い、エレン」 ちょいちょいと手招きをするので頬を擦りながらついていくと、本棚の影に思い切り叩きつけられ思わず声を上げた。 「痛って!何すんだよクソ兄貴」 「てめぇには仕置きが必要みたいだな、エレン」 「……は?」 「言ってもわかんねぇなら体で覚えるしかねぇな?」 にいっと、他の兵士の前では絶対にしない意地の悪そうな笑みを向けられ嫌な予感に体が凍り付いたエレンは、嫌です嫌です絶対嫌だ死ね馬鹿兄貴!と早口で拒否を唱えるが一切効かずその場で仕置きを受けることになった。 リヴァイとエレンは正真正銘、同じ両親をもつ兄弟だ。5年前の巨人襲来の時、リヴァイはすでに兵団にいた。天性の才能をもっていたリヴァイは、エレンが訓練兵になった頃に兵士長に上り詰め、この五年間で二人が顔を合わせる機会は少なかった。 時々兄は非番の際に弟の元を訪れていたが、極力人目を避けていたため他人に知られることはなかった。 その弟の名前がリヴァイ班の配属候補に挙がっているのを知って驚いた。 リヴァイには敵も多い。下手に弱みを見せないためにも兵団に身内がいることは隠そうと決め、団長のエルヴィンにだけは事情を話していた。 常識に照らし合わせれば身内同士は別の班に配属するのが妥当だが、今回の配属を決めたのはその、事情を知っているはずのエルヴィンだった。 リヴァイとの相性という点で見ればエレン以上に適性のある人物はいない。彼がそう判断したのなら悔しいが間違いないのだろう。 弟だということは隠し続ける条件でエレンをリヴァイ班に迎え入れることになった。 「兄さん正気?こんなとこで…」 「早くしろ」 資料室に鍵はない。入口からは死角になっている本棚の影に背を預ける兄の、足の間に座らされ奉仕を強要される。 「仕置きとか言って、したいだけじゃねぇの?」 「うるせぇよ、新人」 エレンは兄のベルトを必要最低限に外す。昔からエレンは、リヴァイにこういうことをするのがあまり好きではない。兄が病的に潔癖なのはよく知っているし、そんな兄が自分にだけは性的な接触を許すことが、生々しくて怖かった。 自分の体が好きにされる方が数倍ましだったし、何度も口に入れたはずの苦みにもいまだに馴れない。 「んっぐ…」 「ほら、奥までくわえろ」 「んんっ」 それに、こういう時の兄は基本的に容赦がない。最初にさせられたのはまだエレンが本当に幼い時で、正直なことを言えばしばらくトラウマになった。 「う、……ふ」 「下手くそ。舌を使え」 「んっ…」 「手を休めるな」 「……っ、」 「聞いてんのか?おい、下手くそ」 「うるへぇよ!」 配属されてまだ日は浅い。周囲に怪しまれないよう出会ったばかりの上司と部下のふりを続けていたせいで、二人きりになるのも久しぶりだ。 久しぶりなはずなのに兄は声色も変わらないし、まるで仕事の話でもしている時のようで、なんだこれ全然色気がない、なんのためにやってるんだという気になる。 じろっと恨みがましい目を兄に向けて、エレンは思わず目を見張る。変わらない声色とは対称的に、荒い呼吸を繰り返しぎゅっと眉を寄せて快楽をやり過ごそうとする兄と目が合い、どきん!と胸が高鳴った。 「……!」 「……見るな、馬鹿」 兄は兄のほうで、上目遣いに見上げてくる弟の猫のような眼と、これまた猫のようにチロチロと見え隠れする舌にそそられどきりとしていたが。 「にいひゃん」 「……くわえたまま、しゃべんな」 「きもひい?へいひょお」 「……ッ、しゃべんなって言ってるだろ」 言うことを聞かない弟の柔らかい髪を掴み、喉の奥に突き立てるとさすがに黙る。 「んんっ!」 「ほら、味わえ新人」 苦しげな顔をするエレンに笑って言うと、キッと悔しそうな目を向けながらもきちんと味わうかのごとく舌を絡めてくる。 弟が、こういうことが嫌いなのは知っていたが、嫌がることをさせるのがたまらなく好きな自分は悪趣味だとも思う。 「エレン…」 「んんッ、ふ…」 行為自体は本当に久しぶりで達しそうになり、弟の髪を掻き回して耐えようとしたがその甲斐もなくすぐに限界を迎えた。 「エレン、……出すぞ」 「へ?」 「ちゃんとくわえろ。顔にぶちまけられたいか?」 その言葉に弟は慌ててパクッと奥までくわえこむ。衝撃に身構えるエレンの口内に心置きなく注ぎ込むと、この味が嫌いだと公言している弟は苦みに顔を歪めた。 唇に留めているそれをどうしようかと目を泳がせたので、リヴァイは問答無用に命じる。 「飲め」 「……!」 「嫌だろ?全部飲め」 我ながら、本当に容赦がない。しかし色事の際の力関係は昔から歴然としていて、口では生意気なことを言う弟もリヴァイには逆らわない。 ゴクリ、ゴクリと二度、エレンの白い喉が鳴った。 「……ゲホッ、うっまず……」 「……失礼な奴だな」 「兄さんの鬼」 「……これからは兄さんって呼ぶ度にさせる。それともしたいからわざと呼ぶか?」 「んなわけねぇだろ!」 勢いよく立ち上がったエレンと鼻先が触れ合うほどの距離で会話を交わす。 リヴァイは潔癖症で有名だが、弟に関しては何の嫌悪感も湧かなかった。自分の体の一部のようなものなのだ。 「……まぁ、こんなこといつもするわけにはいかねぇからな」 「じゃあしなきゃいいだろ」 「気を付けろと言ってるんだ。バレて困るのはお前だろ」 「……オレ?」 ぱちっと大きな目が瞬きをする。自分とは似ても似つかないまっすぐな金の瞳。その瞳がぐにゃりと人が悪そうに歪んだ。 「バレて困るのは兄さんの方だろ?」 「は?」 「いいのかよ?人類最強の兵士長が、弟にこんなことさせてるなんて」 「……」 「変態兄貴」 「よし、仕置きが足りねぇみたいだな」 がっと足で挟みそのまま器用に反転され壁に縫い付けられ、エレンはぎゃあと声を上げる。 人知れぬ仕置きは、もうしばらく続くことになった。 数日後、兄弟という噂よりも先に、恋人であるという噂がたったのは、仕方がないことだったのかもしれない。 end |