ぼくのなつやすみ 「リヴァイさん」 「なんだ」 「こっち、看板出てますよ」 じりじりと日差しに焼けたアスファルトの坂道を登る。スーツ姿で珍しくシャツを腕まくりしたリヴァイの背中に声をかけ、エレンは目当ての看板を見つけてついとを指さす。 緩いカーブを描いた坂道の上にはHPで見たのと同じ外観の旅館が覗いている。 海沿いのオーシャンビューの旅館は古いが、改築したばかりで清潔感がありなにより趣がある。慌てて予約したから駅前のアクセスの良い宿はいっぱいだったが、立地を除けば悪くない宿だった。 平日の昼間。盆休み前の有休は周りの同僚達に少しだけ嫌な顔をされた。しかし同日にこの気むずかしい部長も休みとあらば誰も文句を口には出さなかった。 本来ならオフィスで慌ただしく仕事をしているはずの今日、同僚達を差し置いてこうして二人でずる休みをしていることに優越感を覚えてしまう。 携帯も電源を切った。邪魔をするものはなにもなかった。 受付を済ませ荷物を置いて、夕方にさしかかる時刻に食事を済ませると二人は部屋にしけこんだ。襖を開けると畳の上には一組の布団に二つの枕。わかってんなぁと、思わず二人で顔を見合わせる。 「意味深ですね」 「………」 「二人で日にち合わせて有給なんて、案外会社の奴らもわかってるんじゃないですかねぇ」 「………怪しまれやしねぇよ。お前はともかく俺がずる休みなんてする訳ねぇだろ」 「なんでですか!大体、言い出したのは部長じゃないですか!」 「そうだな」 窓を開け切り立った崖の上から海上を見下ろす。潮風が部屋を吹き抜けて遠くにはぼんやりと離れ小島が浮かんでい た。 「出張が終わったら旅行に行こうって言ってくれたの、部長の方じゃないですか」 オレ、嬉しかったんですよ?そうすねたように言うとリヴァイは「ああそうかよ」と返す。ちょっとだけ嬉しそうに感じた。 「イェーガーさん」 「ん、どした」 オフィスの自販機の前で緑茶かコーラか迷っていたエレンに最近入社したばかりの後輩が声をかけてきた。 「今度の飲み会、先輩どうします?」 「金曜のやつか?行くけど、それがどうした」 「いやー俺、幹事なんですけど、店のあてがなくて」 「おい、まだ決めてないのかよ」 決めた。ポカリスエットのボタンを押すと、ガタンと音がしてペットボトルが転がり落ちる。静かな休憩室の窓からは都心の交通網が見下ろせてその絶景をぼんやり眺めながら要領をえない後輩の話に耳を傾けた。 「先輩ならこのへん詳しいし、いい店知ってるんじゃないかと思いまして」 「なんだよ、それ。オレに幹事やれってこと?」 蓋を開け一気の飲みした反動でぷはっと声が出た。後輩はまごついた顔でエレンの一挙一動を見て困ったように眉を寄せている。 「そんなこと言ってないですけど………なんでわかっちゃったんですか?」 「お前、いい度胸してんな」 「今んとこ60人くらいなんですけど」 「お前!そりゃもう無理だろ!今週の金曜だろ!」 エレンは飲んでいたポカリを噴き出しそうになった。大きな部署を二つ合わせたような人数に驚いたが、当人は事の重大さをいまいち理解してないのかへらへらと話を続ける。 「だから先輩に聞いてるんじゃないですか」 「お前なぁ、オレが新人の時だったら殺されてたぞ。ったく、最近の若い奴は………」 「イェーガー」 後輩相手に先輩らしく説教をかましているところで後ろから名前を呼ばれた。 「あ………部長………」 エレンよりも先に、目の前の後輩がその人を呼ぶ。振り向くとこの暑いのにスーツのジャケットをぴしっと着こなした部長がいつもの強面をひっさげて立っていた。 「あ………お疲れ様です」 ひっと声が出そうになる。エレンはこの小柄でやり手で厳しい上司が大の苦手だった。 気を抜いて後輩とダラダラ雑談しているところも見つかり無意識の内に背筋がのびる。 「は、はい、どうしました部長!」 「今、時間はあるか?」 「今ですか?」 「………雑談していたくらいなら時間はあるんだろうな」 「………」 会話の内容も聞かれてた。怖い怖い。 怖がってるエレンとは対照的に目の前の後輩は部長に懐いているようでにこにこしながら「部長、この辺でいい店知りませんか?」なんて聞いてる。 馬鹿、その人一番聞いちゃだめな人だろ。 「イェーガー」 「は、はい!」 「………それを飲み終わったらミーティングルームへ来い」 「え!」 「………」 「は、はい………」 オレ、何かしました?そう聞きたかったが彼はエレンの顔を一瞥しただけで踵を返してしまう。 エレンは隣の後輩と視線を合わせた。 「イェーガー先輩………店、どうしましょう」 「お前、今それどころじゃねぇだろ」 「先輩。何かやらかしたんですか?」 「いや、心当たりはねぇが………あるけど、あげたらきりがねぇし」 「部長にミーティングルームに呼ばれた者は二度と戻ってこれないって噂、聞いたことありますよ」 「なんだよそれ、やめろよ」 「先輩もこれで終わりかぁ………お世話になりました」 「やめろよお前!」 「先輩のこと忘れません」 「やめろって!」 震える手でポカリに口をつける。動揺のせいか盛大にむせて「びびってますね」と笑われてしまった。 そりゃそうだよ。あの人からの呼び出しなんて怒られるに決まってるじゃねぇか。 301のミーティングルーム。殺風景な部屋のドアをノックすると「入れ」と部長の声がした。 「………失礼します」 「鍵を閉めろ」 「………」 あ、これ想像以上にやばいやつだ。 鍵を閉めるほど怒られるなんてオレは本当に何をしたんだ。 言われるがままドアに鍵をかけ、会議机に腕を組み座る部長の元へ歩み寄った。 「なぜ呼ばれたのか、わかるか」 「え、ええと………」 低い位置からまっすぐに見上げてくる鋭い瞳に尻ごみし、目を泳がせて言葉を濁す。心当たりはやはり思い浮かばない。最近は仕事でミスはしてないはずだ。それともなにか生活態度が気に食わなかったのだろうか。 答えられないエレンを見て部長は呆れたように話を切り出した。 「お前の私生活について、人事部に匿名で投書があった」 「………」 「………心当たりがあるようだな」 私生活、と言われてようやく思い当たった。顔に出てしまったのか部長はやはりなと呟いた。 「ずいぶんと、乱れた性生活を送っているらしいな」 「なっ………部長、信じるんすか!そんな冗談………」 「………」 「誰かの嫌がらせですよ」 「………残念だが、写真が同封されていた。信じるしかないな」 「………」 あ、あちゃー。写真か。証拠もつきつけられてはさすがに言い逃れはできない。 そうなのだ。オレは会社の人間に隠れてプライベートではわりとおおらかな性生活を謳歌している。男も女も関係ない。来るもの拒まず去るもの追わずの。ここ数年、決まった相手と真面目なお付き合いなんてしたことない。一晩かぎりとか、売ったり買ったりとか、複数とか、大人数のパーティーなんてのも珍しくない。 そんなことをこの真面目そうな部長の前で言ったらきっと卒倒してしまうんだろうけど。 「あー、えーと………」 「………」 別にやましいつもりでやってるんじゃない。同じ趣味の奴らと人からの紹介やネットで知り合って、お互いに割り切って楽しんでいるだけだ。他人に迷惑をかけてないし、これでも病気には気をつけている。ただちょっと………依存症なだけだ。カフェイン中毒みたいなものだ。 それでもこんな趣味は社会的にはかなりアブノーマルだという自覚はあった。だからこそ会社ではおくびにも出さず、非モテ男を演じてきたんだ。そういう時は偽名で通したし、ばれないよう細心の注意を払ってきたつもりだ。なのに誰だよ、ばらしやがって。 しかも運が悪いのはよりによってこの人にばれたことだ。この人は曲がったことは許さないし潔癖症で有名なのだ。 「事実なんだな、イェーガー」 「………」 「………チッ」 黙っていたら舌打ちされた。怖い。怖すぎ。前の部長のハンネスさんは優しかったのにこの人はとにかく怖すぎる。見逃してもらえるわけねぇか。減給か左遷かそれともクビか………。 そうビクついていると部長は再び口を開いた。 「………幸い、封を開けた人事の人間が俺の元部下だった。この件は俺とそいつしか知らない」 「………」 「写真は俺が預かっておく。いざという時に脅迫された証拠になるからな。人事に置いておくわけにもいかねぇだろ」 「………え?」 「まぁ、これに懲りたらほどほどにしておけ」 「ぶ、部長?」 「なんだ」 「………」 「なんだ、その目は」 思いもよらぬ部長の言葉にオレは馬鹿みたいに目をぱちぱちさせた。だってあの部長が、他でもないこの人が、オレの下世話な趣味を知って――しかも写真まで見たのに(なんの写真かわからないけど)黙っていてくれるとは思わなかった。さらっと味方までしてくれた。もっと軽蔑されるだろうと覚悟してたのに。 「いいんですか、部長………」 「だから、なにがだ」 「オレのこと、クビにするんじゃないんですか?」 「………俺は人事じゃねぇ。それに黙っててやると言ってるんだから、気が変わらねぇ内にとっとと改めろ」 「えっ、あっ、は、はいっ」 「………」 「あの………」 「なんだ」 「ありがとうございます………」 「………別に」 そう言って部長はそっけない態度で部屋を出て行ってしまった。 その日からこの人のことが気になってたまらなくなった。 「くぅっ………んぁ、あぁっ………!」 ギシッとホテルのベッドが軋む。大学時代からのセフレと久しぶりに顔を合わせて、近くのバーで酒を飲んだ後にホテルへ移動した。そいつはオレの上で腰を振りながら熱い吐息を溢している。特に予定がない時の週末の通常コースだ。 昔からオレは快楽に滅法弱い。もうずっと、昔から。気持ちよくなれるのなら男も女も大歓迎だった。 でも最近、こういう時にあの人の顔がちらつくようになってしまった。 「んぅ………っ………あ、あぁん………!」 中を行ったり来たりする硬い肉棒にえぐられながら霞がかった頭で考える。 あーあ。あのまま。オレの写真とやらをネタに脅してくれてもよかったのにな。 あの人だったら何でも言う事聞いちゃうんだけど。なんだったら飼い犬みたいに扱ってくれても。うわ、想像しただけでたまんねぇ。 きっちりスーツを着こなしたあの人に首輪なんてつけられた自分の姿を想像してまたじんと下半身が疼く。たった今抱かれてるのは昔なじみで、あの人よりもずっと背が高く体格の良い男だったがついついあの人の裸を想像してしまう。ジムに通ってるって聞いたしすげぇ腹筋割れてるって噂だけど、会社で目にする機会はない。いいな、見たいな。あの人、オレと寝てくんねぇかな。 歳のわりには引き締まった身体や、夏場にだけ見える逞しい腕を瞼の裏に思い描く。真面目なあの人が、快楽に眉を寄せているところとか。汗が滲んだ項とか。オレの中目がけて浅ましく腰を打ちつけてる姿とか。そういうのを想像するだけで、身体がいつになく昂ぶった。 こんな感覚、久しぶりだ。生理的な、性欲だけではない、付加価値みたいな憧れの気持ちが妄想に拍車をかける。 ――――――エレン。 あの人の低い声。実際に聞いた訳でもないのにリアルに耳元に響いた。やばい、たまんねぇ。たまんねぇよ、クソ。 「はっ、………あ、ああん!ああっ!」 一際甘い声をあげて、あの人に挿入されているところを想像しながら達した。身体の奥まで想像の中のあの人の芯にゴリゴリと削られ全身が快楽に痺れてしまう。電流のような強い痺れに頭が真っ白になった。 「はぁっ………あっ…………」 肩で息をして余韻に浸る。 あの人は独身のはずだ。彼女はいんのかな。正直、既婚者だろうが彼女持ちだろうがオレには関係ない。一回だけでもなんとかなんねぇかな。頼み込めば、一回くらいは。 翌朝セフレからは「お前、せめて別の奴の名前呼ぶのはやめろよ」と叱られてしまった。 空気が変わる。海沿いの温泉街には雨の気配が近づいていた。 「なーんか、雨降りそうですね」 「窓、閉めとけ」 「大丈夫ですよ、このくらいなら」 風呂も入って浴衣姿で夕涼みしながら上司とぽつぽつと会話を交わす。 海を目の前にしながらも泳ぐわけでもなく、浜辺で花火してる若い奴にまざるわけでもなく。 なにもしなくても、この人と二人でいるだけでオレは十分幸せだった。 ひどい雨が降ってきた。 朝は晴れていたのに夏の天気は変わりやすい。突然近づいてきた雲が空を覆い隠したと思えば大粒の叩きつけるような雨が降り始める。駅から会社への道のりを歩き始めてしまったオレはしのげる場所もなく、信号待ちで豪雨をまともに浴びシャツの中までぐっしょりと濡れたところで、あるビルの軒下へ駆け込んだ。 「あれ、部長」 「よう」 「なにしてるんですか?」 ビルの軒先には先客がいた。部長だった。 暑さでジャケットを脱いでいたがいつもは皺一つないシャツが見るも無惨に濡れている。 「見てわかるだろ。雨宿りだ」 「あ、そうですよね。すみません」 「たまに外へ出てみりゃこれだ」 「すぐ止みますよ、きっと」 あはは、と笑いながらハンカチを取り出し濡れた額を拭く。ちらっと隣に目をやった。水に濡れて心なしか肌が透けて見える。あ、やばい。今ちょっとぞくっとした。仕事中なのにいかんいかん。 まったく我ながらよろしくない。この人のことをすっかり邪な目で見るようになってしまった。 ああ、この人としたい。二人きりになりたい。肌を重ね合わせたい。最近はそんなことばかり考えている。 「折りたたみもないのか。それでも外回りか?」 「す、すみません」 「………まぁ」 「え?」 「さぼるにはいい口実かもな」 思いも寄らない言葉が部長の口から出て驚いた。 「部長?」 「四六時中会社にいると息が詰まるだろ。たまにはいい」 「………」 「飯でも食ってくか」 そう言ってビルに入っているテナントの看板を指さして笑う。この人、こんな顔して笑うんだ。そう思ったらもう我慢ができなかった。 オレはいつのまにか部長の濡れた腕をとっていた。 「………おい、イェーガー」 「部長、あの」 「………」 「好きです」 「………」 「………だ、だめ、ですか?彼女とか、いるんですか」 「お、おい」 無意識の内ににじりよってしまった。 ひと気のないビルの入り口で感極まってしまったオレに部長はひいている。後ずさりしている。 「お前、そりゃどういう………」 「………」 「………お前の趣味には付き合ってやれねぇぞ」 「わかってます」 「………」 「あなたが好きになってから、オレずっと、あなたのことばっかり考えて」 「………」 「すみません………」 ザアザアと雨足が強まった。 道路にできた水たまりは白いしぶきで波紋を作っている。この嵐で街から人の姿が消えた。 「部長、好きです」 「………」 「好きです、抱いてもらえませんか」 「駄目だ」 「………」 「お前、自分が変態だからってみんながそうだと思うんじゃねぇよ」 「………」 「おい、エレン」 壁際に追いつめて、ぎゅうっと抱き込む。暴れるでもなく濡れたスーツをいやがる訳でもなく、部長は大人しく腕の中に収まった。 初めて触れる肌の感触に気持ちが高揚していくのを感じる。性欲だけではない。 この人に抱かれたい。触れたい。肌を合わせたい。 駄目かな。一回だけでも。 「まさか、こんなに長い付き合いになるとは思いませんでしたよ」 「そうだな」 ちょうど一年前の今頃のことを思い出し晩酌を続ける。 都会の喧噪を離れた静かな夜だった。頬杖をついてリヴァイは何をするでもなくテレビを眺めていて、エレンは網戸ごしの風を浴びながら降り始めた雨と黒い海を眺めていた。 ふと振り返る。こちらに視線を向けていたリヴァイとぱちりと目が合い、にやっと笑うと気まずそうに逸らされた。 出張は三日間だと家族には嘘をついてくれたらしい。関西への出張の日程は本当は二日間だった。 「嬉しいです、リヴァイさん」 それだけでもオレはすごく嬉しい。 この人に会ってからオレはずっと幸せだった。この人と寝たのを機に手当たり次第に誰かと寝るのはやめた。この人といることがオレにとっては至上すぎて、誰かといたってもう満たされない。ずっと渇き続けていた欲望がぴたりと治まったことに気がついたんだ。 「エレン、俺は」 「………」 ビルの軒下で部長は小さな声で言った。 雨にかき消されそうな声色だった。 「婚約してる」 「………」 「会社の奴らには誰にも言ってない。だから」 「………」 「だからやめろ。応えられない」 「だめですか?一回だけでも」 譲歩したつもりだったのに部長は困ったように視線を逸らした。 「………お前は遊びなんだろうがな」 「え?」 「………」 「部長?」 軽蔑されることを想像していたエレンは困惑したような弱々しい声に驚いた。 「こっちは免疫もねぇ」 「………それ、本気になっちゃいそうってことですか?」 「お前、意外とポジティブだな」 腕の中にいるあの人はぽすりとオレの背中を撫でる。 オレの勝ちだった。 END 夏コミの無配です。 暑い中お越しいただいた皆さまありがとうございました! 当日は冷えピタや栄養剤で万全に準備していったおかげで倒れずに済みました。 冬コミも申し込んだので受かったら出たいです!受かったら! |