シミュラークルな正午 弟が、明日旅立つ。幼いころから海外に興味を示していたが、この秋からついに留学することになった。 むこう三年は会えない。弟は空港までは電車で行くと言いだしたが、こんな時くらい車で送ると約束した。昔から弟には甘いリヴァイは、会社を中抜けすることにした。 来客のランプが点滅したため、並ぶコンピュータの群れの中、一人シャットダウンをし眼鏡を外し立ち上がる。 「リヴァイ、お客さん?」 隣席のハンジが、声を掛けてきた。 「ああ。出てくる」 「あ!弟くん?出発、今日だったね」 「ああ…」 「いってらっしゃい。リヴァイは働きすぎだから、ゆっくりしてきなよ」 リヴァイは能力を買われ、政府直属の研究機関にいる。 コンピュータ上でありとあらゆる状況を設定し、人間がどういう行動に出るかをシミュレーションし、データを採取するのが仕事だ。災害、戦争、伝染病など、人間がパニックを起こしやすい状態で何が起こるか。コンピュータで緻密に再現した可能世界のなかでの、人類の行く末を見守る。 リヴァイが現在担当しているのは、200のデータである。中でも興味深いとされているのは、人類にとっての捕食者が出現した場合のものだ。 リヴァイがこれまで担当した1000ある可能世界の中でも、自ずと軍隊が組織され、ここまで独創的な戦術が生み出されたのはこれが初めてである。 「そうだ。出てる間、リヴァイのデータ参考にさせてよ。ほらあの巨人のやつ」 「駄目だ」 「え〜、けち」 電源を切ったコンピュータから、メモリーカードを引き抜いた。自分が不在の間にハンジに勝手に見られてはたまらない。 何か文句を言っていたが、無視して部屋をあとにした。 エレベータが開くと、ガラス張りのいかにも清潔そうなロビーに降り立つ。 中央のソファに、不釣り合いな私服の少年の姿を見つける。 「兄さん!」 弟のエレンが、リヴァイに気付き大きく手を振る。受付のペトラが相手をしていたようだ。 エレンは大きなスーツケースを持っていた。 黒く光る愛車が、秋晴れの空を映している。 「仕事、よかったのか?」 「ああ…少し抜けたくらいで問題ないだろ」 「なんか悪かったな」 幼い頃に二人は両親に捨てられ、二人きりで今日まで生きてきた。兄のリヴァイは、物心ついたときからこの小さな弟を守ってきた。 リヴァイがプログラミングした巨人のシミュレーションは、エレンが幼い頃に見た夢の話をモデルにした。巨人は、おそらくエレンにつらく当たった、今は行方も知れない父親を意味しているのだろう。 「兄さんの仕事、難しいからなー」 「今のところ順調すぎるくらいだ…てめぇがデータの中で頑張ってるからな」 「俺が主役の、巨人のやつだろ?」 面倒だから、知っている人間の名前とデータを使った。 自分のアバターに死なれたら困るから、自分だけ初期能力を最大値に設定した。 鍵となる登場人物は、エレンの名を使った。 それが会社の人間に知られたくない。会社に提出する際はエレンの名前を書き換えようと思っている。 「これでしばらく兄さんとも会えないなー」 「ああ…静かになって清々するな」 「よっく言うよ!さびしいさびしい言ってたくせに!」 「は?ガキみてぇに泣いてたくせに」 「昨日なかなかやめなかったくせに〜」 「ねだったのはどっちだ」 いつからか、肌を合わせることが日常になっていた。 昨夜も、名残惜しくずっと抱き合っていたのだ。朝、仕事へ向かうリヴァイは、ぐったりと裸で横たわるエレンを横目に家を出た。 「俺がいないからって浮気すんなよ!」 「はっ…てめぇはむしろしてこい」 いつまでもこのままではいられない。いつかはエレンも自分も、女性と結婚し家庭をもつことになる。 とっくの昔に納得した自分とは違い、若いエレンはまだいろいろ不満に思っているようだ。 いや、いざその時がくれば嫉妬に狂うのは自分のほうかもしれない。 「しねぇよ……俺、やっぱり兄さんが」 「…エレン」 「なぁ、兄さん。俺が帰ってきても、まだ気持ちが変わらなかったら…」 変わらなかったらなんだ。どうにもならないことは、二人ともわかっていた。 空港まであと2キロ、とかかれた巨大な看板には、飛行機をバックに今人気の韓国女優が映っている。 テレビで見た彼女をエレンが珍しく気に入っていたから、シミュレーションのヒロインにしてやった。 名前は、ミカサ。 「飯は食ったのか?」 「機内食でいいよ」 「最後に日本で食いたいものはないのか?」 「そうだなー、マックのポテト」 「馬鹿か。どこにでもあるだろ」 「兄さんと食べたいんだよ」 「ったく…」 以前、海岸線をドライブしたときに寄った店を思い出し、進路を変えた。 「…待ってろ」 少し離れた場所に停車し、リヴァイは一人車を降りる。 大事な商売道具のメモリーカードをポケットに入れていることに気付き、窓を開けさせ「持ってろ」とエレンに渡した。 ポテトと、適当なハンバーガーと、コーラを2つずつ注文する。この軽薄な味もエレンが好きだというからすっかり慣れてしまった。 オフィス街では多くの会社が昼休みを迎えているのだろう。店はそれなりに混雑していた。 紙袋を受け取り店を出る。空港の近くでは空が騒がしい。飛行機がすぐ上を飛んでいく。 飛行機の音がやけにうるさい。いや、飛行機の音じゃない。ゴオゴオという激しい耳鳴りの音。 リヴァイが車を停めたあたりに人だかりができている。 人々の合間から正面がひしゃげた大型トラックが見えた。ぞっと、血の気が引くのを感じた。 「エレン…」 硬直した足を無理やり前に動かし一歩一歩近づけば、人だかりの中心に事故の現場が見える。 傷ひとつなく青々とした空を映していたリヴァイの車は、トラックの下でぐしゃりとつぶれていた。 「エレン…!!」 手にあった紙袋はどさりとその場に残された。 事故の衝撃で飛び出したのか、車から離れたところにエレンの携帯電話と、リヴァイのメモリーカードが落ちていた。 メモリーカードは真っ二つに割れていた。 じきに日付が変わる。 「…リヴァイ兵長」 お話があります、と妙にかしこまって就寝前の部屋を訪れたのは、弟に似せて作ったアバターだ。 憲兵団に提出する書類を仕上げたところだったリヴァイは、ランプの灯りで最後の確認を終える。 いくら創造者とはいえ、データ化され特殊なアルゴリズムにのっとった人間の行動は読めない。思い詰めたような表情でこちらを見つめるエレンが何を言いだすのか、リヴァイは静かに待った。 「出来すぎてます。まるで、俺を中心に世界が回っているようで」 何を言っているんだと、アバター越しにリヴァイは思った。 「アルミンと…たぶん、ジャンは気付いてます。この世界が作られたものだってことは」 エレンの目は、確信に満ちている。揺らめくランプの火は、動揺したリヴァイの表情を隠せないだろう。 「最初は、エルヴィン団長かと思ってました。でも違う……団長の隣で、いつも他人事に傍観してるのは、あなただ」 激しい耳鳴りがする。この世界には飛行機の技術はないはずなのに。 「リヴァイ兵長。あなたは外の人間だ」 この世界は、リヴァイの想像を越えた。 (そこまでたどり着けたのは、俺が作っては削除してきた1000の可能世界の中で、お前だけだったよ。エレン。) 続く |