近距離恋愛 | ナノ


epilogue

1人で歩いていた。

雑踏から抜け出し、夕焼けを見ていた私は泣きそうになる。何も手には残っていなくて、ただ自分が消えそうだと思う。

携帯も財布も鞄の中で学校の校門に置いてきぼり。ただ歩くしかなかった。歩きながら梓と出会ってから今に至るまでを走馬灯のように思い出していた。

あの可愛い女の子、梓の事好きなんだろうな。あんだけ可愛いんだもん。きっと梓も…。

自分がどうなるか分からない。あの瞬間、叫びそうになった。
梓が好きだって、梓の隣にずっといたいって。
あの女の子に嫉妬してた。けど、あの心地よい距離を遠ざけたくないと思った。梓との他愛ない話が蘇った。

もう、訳が分からない。自分でも理解できない。
私は道の隅でしゃがみこんだ。



「名前、そんなとこに座ってると制服が汚れるから」


優しくて、大好きな声が上からかかった。顔を上げると、そこには私の中をいっぱいに占める本人がいた。
何で?そう聞いたら後を着けてきたって苦笑しながら教えてくれた。
あの女の子はどうしたんだろう。そう思ったけど、口にする事は叶わなかった。


「どうしたのさ、鞄置いて急に走りだして。」


ほら、鞄。そう言って梓は私に鞄を差し出した。私の手は、足を抱えたまま開かない。梓が首を傾げ、差し出した手を引っ込めた。私の行動の意味が分からない、そんな表情をしている。私だって分からないよ。


「ねぇ名前、どうしたの?黙っていたら僕も分からないんだけど」


梓は私の目線に合うようにしゃがみ、もう一度聞いた。覗き込まれた瞳に私が映る。その私に言うように言葉が漏れた。


分からない。
そう呟かれた意味が読み取れない梓が首を傾げる。

どうしたいのか、もう分からない。何より自惚れすぎてた。そんな自分が恥ずかしい。友達としての関係は勿論、どこか男女としての関係があるんじゃないかって思い込んでいた。梓と触れ合う度に期待してた。
馬鹿みたい、そんなことあるわけないのに。
でもそんな期待をしちゃうくらい梓を想っていて、今こうして来てくれたのが嬉しくて…。ほら、また変な期待をしている自分がいる。私は自分自身の思考をコントロール出来ないくらい、梓でいっぱいなんだ。

私はちぐはぐとした言葉を並べた。梓は意味がまるで通らない話を理解したかのように頷いた。天才っていうのは、理解力もあるんだななんて現実逃避。


「要するに、名前は僕の事が好きっていうことなんだよね?」


しゃがんで私と目を合わせたまま言った梓は少し首を傾げ、私に同意を求めた。ほんのり頬が薄桃色に染められた笑顔は可愛かった。

あぁでも。ハッキリと言ってないけど、梓に自分の気持ちを知られてしまったんだ。もう今までの関係でいられない。
胸に焼き付くこの気持ちは焦燥なのか、寂しさなのかは分からない。私にできたのは、更に小さくなることぐらいだった。


「ねぇ、どうせさっきの事を勘違いしているんだろ。さっきの子は確かに告白してきたけど、僕は断ったよ。」

「…え?」

「当たり前じゃん。何で初対面の女の子と付き合わないといけないのさ。ちょっと弓道の話で盛り上がったけど、あんなの愛想笑いだし。」


思わず顔を上げると、梓のため息と重なった。これは心底呆れている表情だ。


「だいたい、名前は何で僕がこんだけ友達としてくっ付いていたか分かってないでしょ。一番近くにいるって自覚しておいて、自惚れって何なの?」

「翼は…」

「何でそこで翼が出てくるの?あいつは身内でもあるから若干違うでしょ。」

「私、梓の一番の友達だった?」

「ほんっと、名前馬鹿でしょ。てかだったって何さ、過去形じゃん。」


呆れ顔で苦笑される。
それを含めてこの言葉が私にとってどれだけ嬉しかったことか。人の不幸を喜ぶのは良くないと思うけど、断ったと聞いて安心した。一番の友達だと言われてほっとした。

口が半開きだと梓に指摘されて思わずその口を押さえる。間抜けな顔になるくらい嬉しかったってこと。
梓との距離が遠くならなくて良かった。次は思わず笑顔が零れた。
相手もそれを見て笑ってくれた。

帰るよ、そう言って先に立ち上がった梓は私の手を引いて立たせてくれた。あまり変わらない身長なのに、やっぱり力の差はあるんだと感心しながらスカートの裾を叩く。
私の鞄を改めて差し出されたので、貰おうと右手を伸ばした時だった。


一瞬、何が起きたか理解出来なかった。ただ梓の手が自分の後頭部に回され引き寄せられる感覚と、逆に近くなって触れる襟足に息を飲んだ。私の右手からは鞄が落ち、梓の左手に力を預けている。
そして耳に掛かる吐息が私の顔を赤くさせた。


「さっきの話に戻すよ。名前は何で僕がこんだけ友達としてくっ付いていたか分かってないでしょ。…僕も名前を女の子として好きじゃなかったら、いくら友達でもこんなことしない。名前を離したくないくらいに好きなんだ。それくらい理解してよね。」




―思考回路が止まった。

何かの夢みたいで、私の意識は遠退く。それが現実だと教えられたのが、顔が離れる瞬間、頬に落とされたキスだった。
やけにリアルなリップ音と、すぐ目の前に映る大胆不敵で妖艶な笑みが嘘じゃないと語っている。

嘘、じゃないんだ。私は梓を好きでいていいの?自惚れても、いいの?
思わず溢れて零れた涙が頬を伝う前にアスファルトに染みを作る。出てきた涙はその一滴だけ。

帰るよと差し出された手を取る時には、笑顔だった。



『好き』の一言が言えないくらい近い距離の私達は、回り道をしながら大切な事を伝えた。
それは私達がお互いを好きになったお話。


...end
(2012.01.05)


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