かなわない、と思う
阿笠邸から追い出された俺は、仕方なくトボトボと帰宅する。明かりの灯った家から漂う夕食の匂い。
「…ただいまー」
ドアを開けた途端に楽しそうな話し声が聞こえてきた。コナンと母さんは意外と仲良くやっている。元々お子様演技のコナンはかなり大人受けがよかったし。
俺にも同じくらい笑ってくれるといいんだけれど。
目下コナンの笑顔を一人占めしている、実の母親にまで嫉妬。
子供が一人増えただけで少し賑やかになった気がする食卓について、箸をとる。何やら話し込んでいる二人を余所に、俺はすっかり上の空だ。
どうしよう、と思いながらチラリとコナンを見て、即座に目を逸らした。
目が合いそうになって気まずかった、とかそういうことじゃない。
コナンの居候を手放しで大歓迎した母さんが、二日に一度は張り切ってアレを食卓に出す。
俺が見たコナンは、器用な箸使いで俺の大嫌いなアレを挟み、ちょうど口に入れる瞬間だった、という訳。
「快斗兄ちゃん魚が怖いの?」
と、子供らしい遠慮のなさで盛大に笑われたのは、まだ比較的新しい心の傷だ。
もちろん記憶をなくす前の彼も盛大に笑った。
極力俯いたまま夕食を終え、逃げるようにその場を後にする。
皿の上から身がなくなったところで、頭と骨はしっかり残っているのだ。出来れば視界に入れたくない。
早足で廊下を歩いていると、パタパタと軽い足音が聞こえた。
「ねぇ、快斗兄ちゃん」
「ん?」
呼び掛けられて、振り返る。
コナンはやけに神妙な顔をしていて、これはとうとうきたぞと思った。
「聞きたいことがあるんだけど」
「…わかった。部屋で話そっか」
とりあえず落ち着けと言い聞かせる。記憶がなくても彼は名探偵だ。ポーカーフェイスは崩さないように。
けれど、覚悟を決めて向かい合った部屋の中、降ってきた問い掛けは予想と随分掛け離れた内容だった。
「快斗兄ちゃんの大事な人って…もしかして新一兄ちゃんのことなんじゃない?」
「…へ!?」
ポーカーフェイスも数秒で崩れた。情けない。
「そうなんでしょ」
念を押されて考える。
「…んー……」
彼は確信しているようだから、本当のことを答えればいいんだろうけど。
「半分当たりで半分外れ」
「半分?」
自分の考えに絶対的な自信があったらしいコナンが首を傾げる。
その様子に苦笑して、俺は大真面目に本当のことだけを答えた。
「俺の大事な人は新一とコナンだから」
分かってもらえないだろうなぁ、と思いつつ。
「……二股かけてるってこと?」
「まさか!そうじゃなくて、コナンは新一だからだよ」
「…?」
コナンがもう一度首を傾げて、言う。
「僕はコナンだよ」
あぁ、そうだよな。
同意を示して頷くしかない。
さらりと真実を告げてみたけれど、高校生と小学生が同一人物だなんて非常識な話、本人にも受け入れられやしないのだった。
コナンは続ける。
「僕、新一兄ちゃん嫌いだし」
「どーして?」
少しびっくりして慌てて理由を問う。
今は記憶がないとはいえ、自分自身を嫌いだと言わないで欲しかった。俺の勝手な感情だけれど。
「蘭姉ちゃんを泣かせるし、すぐ近くにいる気がするのに全然届かなくて、届いてもすぐに消えちゃうから。
狡いよ。僕が欲しいモノは全部持ってるくせに」
コナンが唇を噛み締める。
傷つく前に止めさせようと手を伸ばす。
触れる直前、不意に俯いた顔を上げて俺を真っ直ぐ見た。
「それに、僕が大事な人っていうのは、おかしい」
行き場を失った手を仕方なく床へついて、聞く。
「…なんで?」
「だってキッドにとって僕は敵でしょ」
あれ?と思った。
俺がキッドだってこと、聞くまでもなく確信してる?
「新聞に載ってたよ、僕、キッドキラーだって」
いや、気になることはそれよりも。
「コナンにとってのキッドは敵じゃないの?」
「…うん」
迷いも見せながらこくりと頷いた。
「ムカつくこともあるけど、それだけじゃなくて…
複雑だから、上手く言えない」
難しい顔をして口を結んだコナンに、
「じゃあさじゃあさ、」
どうしても聞いてみたくなってしまったこと。
「俺のことは好き?」
「快斗、兄ちゃんのことは…」
考えるように空いた間は意外と短かった。
「うん、たぶん好きだと思う」
「よし、合格!」
思わず抱きしめたくなったけれど我慢して、小さな頭をくしゃっと撫でるだけに留めておく。
「これって何かのテストだったの?」
ちょっと嫌そうな顔をされた。あからさまな子供扱いは不快に感じるようになってきたらしい。
「そうじゃないけど」
仕方なく解放してやって、笑う。
「ホッとしただけ」
やっぱりお前には敵わない。
2012.4.10
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