ずるいひと
鈍い胸の痛みで意識が浮上した。
痛みと言っても精神的なものではない。ドンドンと叩かれているような、そう、誰かに……
誰に?
「よかった。やっと起きた」
「ユーリ?」
腕の中の彼は安堵の表情を浮かべながら潰されそうになっていた。知らない内に全力で抱きしめていたらしい。
慌てて両腕の力を緩める。
離してあげることはできなかった。
ユーリがほっと息をつく。
「あんた、ヴォルフ並の寝相だったぞ。ぎゅーぎゅー抱き着いてくるし、何かうなされてるし」
「すみません、起こしてしまって」
「別に、いいけどさ」
そんな言葉であっさりと許してくれる。相変わらずユーリはとても優しい。
「で、どんな夢見てたの?怖い夢?」
悪夢なら話した方がいいんだってさ、そしたら現実にならないから。
一生懸命そう言ってくれる彼の顔を、コンラッドはじっと見つめていた。
部屋の中は月明かりで仄かに明るい。
「怖いというか……悲しい夢かな」
「どんな?」
心配そうに見返してくる闇色の瞳。
「夢の中にあなたが……ユーリがいないんです」
彼は、それがどうしたと言いたげな顔だ。
「まず、自分の部屋で目が覚める。当然部屋には誰もいない。窓の外は見えないんですが、目を覚ましたんだからきっと朝だろうと思って、あなたを起こしに行くんです。
廊下に出ても兵や侍女の姿が見えない。何だか胸騒ぎがしてきて、俺はあなたの部屋へ急ぎました。ずいぶん長い距離を歩いたはずなのに、誰の姿も見掛けないんです。城中がしんと静まり返っていました」
記憶を辿りながら淡々と夢を語る。
「それっておれがいない夢じゃなくて、誰もいない夢なんじゃないの?」
「そういえばそうですね」
ユーリから入った突っ込みにそう答えると、今さら気付いたのかよと呆れられた。
「それで?その後どうなったの?」
「ええと……こんな話退屈じゃないですか?」
「別に途中で寝たりしないって。聞くって言ったのおれなんだし」
「本当に、面白みのある話ではないんですよ。その後あなたの部屋に行って、やっぱり誰もいなくって、それから城中を探し回りました。あなたの名前を呼びながら。見つからなくて外へ出て、」
声がかれるまであなたの名前を……
ふと、不安になって呼ぶ。
「ユーリ?」
「ここにいるだろ」
ぎゅっと抱きしめ返される。温かかった。
「大丈夫だって。おれはあんたを置いてどっか行っちゃったりしないよ」
「嘘ばっかり」
「なんだよそれ」
悲しい夢の余韻が残っていて、拗ねてみたいような気分だった。
「いつも置いていくでしょう?」
「いつもっていつ?もしかして地球に帰る時?」
「ええ、そうです」
彼は、地球へ戻る時もこの世界へ来る時も、“帰る”という言葉を遣う。
ユーリにとってはどちらも大切なホームなのだ。それはちゃんと理解しているし、彼が帰ってしまった時、ギュンターのように泣き暮らしはしないが。
「あんたいつも普通の顔して迎えてくれるから、寂しくないんだと思ってた」
「心外ですね。寂しくて何も手につかなくなってるのに」
「本当に?」
ユーリの声はまだ疑い深げだ。
「十日間泣き暮らすようなギュンターに、腑抜け呼ばわりされるくらいなんですよ?」
「腑抜け……」
酷いでしょう、と顔を見合わせて笑った。
笑みを浮かべたまま聞いてみる。
「ユーリも、寂しがってくれてます?」
俺に会えなくて。
「当たり前だろ」
即答に胸が温かくなる。
「一回地球に帰っちゃったら、次いつスタツアできるのかわかんないし。もう会えなかったらどうしようって、毎回不安になるよ」
コンラッドのために胸の内を打ち明けてくれた彼は、「でも」と明るい声で続ける。
「でも、おれにはあんたからもらった魔石があるからさ。向こうでもずっとここにあるし」
ここ、と胸の辺りを示してみせる。
「そりゃ寂しいけど、これがあるだけちょっとはマシかも」
そこまで言って彼がパッと顔を上げた。
「そうだ!」
いい案でも思いついたのか、キラキラした目でこちらを見ている。
「おれも何かあげよっか?何がいい?」
やっぱり首にかけられるのがいいのかな。
その様子が、あまりに可愛くて愛おしく思えて。
つい、真っ先に浮かんだものを答えてしまう。
「あなたがほしい」
「……へ?」
案の定、彼はぽかんとした顔で瞬く。
苦笑した。
「……いえ、冗談です。別に何もいりませんよ」
コンラッドはもう宝物を幾つも持っている。赤ん坊の彼からもらったアヒル。彼がこちらの世界へ来るようになってからの日々の記憶。
そして何より、自分なんかのことを大好きだと言ってくれた彼の心。
これ以上、一体なにを望めるだろう。
「もう十分です」
「そんなこと言うなよ。おれ、草野球チームのためにけっこうバイトしてるし、それくらい何とか買えるんだからな!たぶん」
何とかだのたぶんだの言っている辺りが微笑ましい。
本当に何もいらないのに。
ユーリは尚も続ける。
「今度あっちで買ってくるからさ」
あんたに似合いそうなオシャレなやつ。
ありがとう、と笑えなかった。
――今度、地球で。
ユーリがその言葉を口にした瞬間、耐え切れないほどの寂しさに襲われた。
「コンラッド……?」
縋るように抱きしめる。
とても嬉しい言葉をもらったはずなのに。
どんなに腕の中に閉じ込めても、あなたは俺を置いて行ってしまう。会いに行くことも叶わないほど遠い世界へ。
いつもなら何でもない顔を取り繕って、受け入れられるはずのことだった。
こんな感情を覚えてしまうのも、変な夢を見たせいだろうか。
夢がフラッシュバックする。ユーリがいない世界の孤独。
――あなたがいなければ誰もいないのと同じだ。
何処にも行かないでなんて言えないけれど。
――何処にも消えてしまわないユーリが欲しい。
腕の中の彼が困ったようにもぞもぞと身じろいだ。
「ああ、すみません」
また力を加減し損なってしまっただろうか。そろそろユーリも眠りたいはずだ。今度こそ放してあげようとする。
そうじゃないと言うように彼がかぶりを振る。
「ユーリ?」
「あのさ、」
被せるように緊張した声でユーリは言った。
何を言われるのかと身構える。
凝視していたその顔が近付いて、あっという間にぼやけてしまって。
触れるだけのキスを終えた後、真っ赤な顔でユーリが聞いてきた。
「さっきの、おれが欲しいってこういうこと?」
END
2013.6.21
title:capriccio
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