おとうさん

ロードワークの途中で雨が降り出した。走って城へ戻ればいいと主張したのだが、風邪を引かせては大変だからとコンラッドが譲らない。そのうち雨は本降りになり、あげく土砂降りへと変わってしまう。
確かに、汗をかいた後の冷水シャワーはよくないかもしれない。

「気長に止むのを待ちますか」

とりあえず駆け込んだ木の下で、苦笑を浮かべながら彼が言った。
頷いて暗くなった空を見上げる。

「寒くないですか?」

「平気」

即答した途端に震えが走った。冬の第1月の朝だった。汗が冷えれば寒くなるのは当然だ。

「こちらへ。端にいると濡れるから」

促されて木の幹へ寄り掛かる。そのままおれが腰を下ろすと、コンラッドも隣に座り込んだ。
雨の向こうには誰の姿も見えない。二人きりだった。
いつ終わるとも知れない雨宿り。

少しでも温まりたくて膝を抱え込む。揃いのジャージからじめっとした匂いがする。

「ユーリ」

「なに?」

コンラッドは答える代わりに、背中へ腕を回してきた。そのままぎゅっと抱き寄せられる。

「こうしていればあったかいでしょう?」

彼とぴったりくっついた右側から、じわじわと体温が伝わってくる。

「……うん」

顔を見ることなんてできなくて、うろうろと視線をさ迷わせた。
だいたい、この状態で顔まで合わせたら近すぎる。きっと彼の瞳に映る上気したみっともない自分の顔すら、見えてしまうに決まってる。
気付かれないようにこっそりと溜め息をついた。

安心するだけだった保護者の体温に、鼓動を早めるようになったのはいつからだろう。顔を直視できなくて、盗み見るばかりになったのは。
彼がどんな顔をしているかなんて、どうせおれには見なくても判る。
きっと彼は今もいつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべて隣にいる。

ふと、考えた。
コンラッドには判るんだろうか。
些細な接触に動揺しているおれのこととか、赤くなっている気がするこの顔とか。
おれが持て余しているこの想いとか。

ちら、と窺うと目が合った。

「さっきから何を考えているんですか?」

ずっとこっちを見ていたらしい。
あんたのことだよと答える訳にもいかず、唸った後でぽろりと零れ落ちた言葉。

「あのさ……好き、なんだけど」

こんなにあっさり言えるものなんだなと、冷静に成り行きを見守っている自分がいたりして。
いや、あっさりじゃなかった。これはうっかりだ。全然冷静じゃないだろう。

「なにが?野球の話ですか?」

突然の告白を受けたコンラッドからは、すっとぼけた答えが返ってきた。全く、告白し甲斐のない。

何だか一気に脱力する。
確かに木立の間から、天然芝野球場が見えてはいるけどさ。

「じゃなくって!あんただよ」

「は?」

「あんたが好きだって言ってんの」

主語つきでもう一度伝えると、彼の顔がへにゃりと綻んだ。

「ありがとうございます。俺も、大好きですよ」

とても嬉しそうだ。嬉しそうではあるのだが、正しく伝わっていない気がする。

「でさ、おれのものになってって言ったら、どうする?」

「俺はもうとっくにあなたのものですよ」

当たり前のことのように言い切ってくれる。今さら何を言い出すんだと、笑い出しそうな顔に見えた。

そういうことじゃないんだよ、と思う。
もどかしくて畳み掛けるように聞く。

「じゃあ、おれは?」

「え?」

「おれは、あんたのものにしてもらえる?」

コンラッドは今度こそクスリと笑った。

「そんな、畏れ多い。どうして急にそんなことを言うんですか?」

やっぱり何にも判ってない。

「だーかーらー、さっきから言ってんじゃん!コンラッドのことが好きだって」

「あー……」

やっと理解したらしい彼が、意味のない声を上げながら宙を見た。

「好きって、そういう……」

どうも予想していた反応とは違う。同性同士の結婚も珍しくないらしい国だから、気持ち悪がられはしないと思っていたが。
もうちょっとこう、判りやすく驚くとか喜ぶとかしてほしかった。

コンラッドは眉を下げた困り顔で、それでも口元には笑みを浮かべながら、励ますようにおれの肩を叩いて言う。

「焦らなくても大丈夫」

これではまるで。

「あなたはとても魅力的なんだから」

まるで、「お父さんと結婚するー」なんて言い張る娘を、にこにこ宥めている親みたいじゃないか。

「好きになってくれる女の子だって、これからたくさん現れます。きっとより取り見取りですよ」

そんな慰めに駄目押しされて、おれは呆気なく失恋した。
完全に脈なしの一人相撲。これはもう、笑ってしまうしかない。







勢いで告白して振られた後も、コンラッドの態度は変わらなかった。
朝は起こしに来る。ロードワークにも付き合ってくれる。寝そびれた夜には何故か必ず部屋に来て、眠るまで傍にいてくれる。そう、ちょうど今夜みたいに。

もうやめてくれと言いたくなるおれは我が儘なんだろうか。



「最近一人の時よりも、あんたといる時の方が寂しくなる」

コンラッドはひとつ瞬いて、困ったような顔で聞く。

「それって……」

もしくは少し傷ついたような顔で。

「傍にいるなってことですか?」

「そうじゃ、ないけど」

抱えた膝に顔を埋めながら呟いた。

「あんたがいないのは、嫌だし」

「よかった」

しっかり聞き取ってコンラッドが微笑う。

「嫌われてしまったのかと思いました」

「……そんな訳ないだろ」

唇を尖らせる。

好きだよ。大好きだよ。

「おれがあんたを嫌いになれる訳ないじゃん」

だからこそこんなに寂しくなる。
息遣いすら感じ取れるほど傍にいてくれる彼が、決しておれを欲しがりはしないことが。

いっそ手の届かない存在になってくれれば諦められるのかもしれないと思い、

「コンラッドは結婚とかしないの?」

何度か尋ねた記憶のある問い掛けをまた口にする。

「しませんよ」

彼の答えは今夜も変わらない。

「結婚なんてしなくても、こんなに可愛い子供がいるからね」

泣きたいなと、思った。それこそ幼子のように大声を上げて。

親代わりになって欲しかった訳じゃない。小さな子供へ注ぐような、無償の愛が欲しかった訳じゃない。
あんたが夜遅くにおれの部屋へ来て、「おやすみなさい」と笑いながら額にキスした時、どれだけ鼓動が跳ね上がったか知らないだろ。その夜は一睡もできなかったことも。
何にも知らない。知ろうともしない。

「あんたは残酷だよ、コンラッド」

くたりと肩へ寄り掛かる。
広いベッドに並んで腰掛けて、端から見れば恋人でしかないくらい、彼の傍にいることができるのに。
親子以外にはなれないんだ。名付け親と名付け子でしかないんだ。

――おとうさん、か。

呟くように声にしてみたら涙が出た。

「なんで泣くんですか」

「……あんたが好きだから」

他に、何がある。

コンラッドは、やっぱり困ったような顔で黙り込んだ。
それでも、しゃくりあげれば優しく背中を叩いてくれる。



情けない涙が止まる頃、彼は思案顔で独りごちた。

「そうですね……」

おれは決まり悪く両足を揺らしている。

「俺がギュンターくらいの歳になって、あなたがヴォルフくらいの歳になった時、お互い恋人も伴侶もいなかったら、」

そこで一度言葉を切ったコンラッドが、笑いを含んだ声で言った。

「結婚しようか」

「……っ」

声が出ないくらい猛烈に腹が立った。
そんなことあっさり言ってくれるな。どうせ本気じゃないんだろ。

そもそも計算が間違っている。50年後を想定した話だとしたら、おれは70歳にもなっていない。

――なんで、こんな無神経な奴を好きでいるんだ、おれは。

今すぐ嫌いになってしまいたかった。
相変わらずにこにこと隣で微笑っている男を、嫌いになれるものならば。



END

2013.6.18

title:capriccio




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