二月の夢

「夢が叶ったのに嬉しくない」

猊下と共に風呂場へ流されてきた陛下が、何やら悲しいことを呟いた。お出迎え組は思わず顔を見合わせてしまう。いったい何事だろうか、と。
隣で苦笑する猊下を見るに、そう深刻な話ではないらしいが。

「向こうは二月十四日だったんだよ」

猊下が小声で補足する。説明になっていないし繋がりが判らない。何せあちらの世界のことといえば、フォンカーベルニコフ卿の著書で得た知識しかないのだ。

「つまり、そういうこと」

全く判らない。



ユーリ陛下は浮かない顔をして、左手に握り締めたままのそれを見た。すっかり変色してよれよれになった紙袋だ。むしろ異世界への旅へ巻き込まれた割にはよく破れなかったな、と感心してしまう。
元の色は彼の好きな青だろう。可愛らしく結ばれた名残のある紐を見るに、女性からの贈り物であることだけは判る。しかもかなり気持ちの篭った。

「もしかしてチョコレートですか?」

地球の行事に詳しいコンラッドが、濡れた黒髪を拭いてやりながら訊ねる。
うん、と頷く様子も覇気に欠け、さすがに心配になってきた。

「こういうの、憧れだったはずなんだけどさ……」

また青い袋を見つめては溜め息をひとつ。

「なんか……違ったんだよなぁ」

ぽつりぽつりと語られた話によると、どうやら陛下はこちらへ帰還される直前、顔見知りの女性から贈り物を渡されたのだそうだ。特別な好意を告げる言葉と共に。

「すっげー可愛い子に、好きです、付き合ってください、なんて言われて。おれ、言う相手間違えたんじゃないかと思って、思わず村田の方見ちゃってさ。けど、宛名にちゃんとおれの名前書いてあったの」

陛下がもてるのは当然だろう、とヨザックやコンラッドは思う訳だが、彼にとっては信じ難い出来事だったらしい。

「確かにおれ宛だったんだけど……なんでだろ、断ることしか考えられなかったんだよ。せっかく好きって言ってもらえたのに」

なんでだろう、ともう一度繰り返す。

それはね、陛下。あなたが、他の人のことなんて考えられないくらい誰かさんに恋しちゃってるからなんですよ。

と、教える役割を与えられているのは、短い相槌を打ちつつ彼の話を聞いていた隊長なのだが。まぁ、無理だろう。そもそも陛下から向けられる好意に関してだけは、とことん察しの悪い男なのだ。

コンラッドはふつりと黙り込んでしまった。

「チョコだって、こんな風に……台なしにしちゃうつもりはなかったんだよ……」

軽く口を留めただけの透明な袋を紙袋の中から取り出し、さすがに食えないよな、と沈痛な面持で訊く。菓子を入れた袋にも水が入り込んでいるようで、衛生上問題がありそうだ。訊かれた男は相変わらず黙っている。

「コンラッド……?」

怪訝そうな陛下の呼び掛けにもコンラッドは答えない。
そして暫く沈黙が続いた後、意を決したように懐から何かを取り出した。
瞠目した彼へ、怖ず怖ずと差し出す。

「代わりにこれを食べませんか?……なんて」

薄気味悪い。どこの乙女だ。

「ユーリが以前言っていたでしょう?手作りチョコ、手渡し、告白つき、なバレンタインが夢だって。だから名付親として叶えてあげたいな、と思って」

「コンラッド……」

何だか展開がおかしいような、気がする。
ヨザックは思わず口を挟んだ。

「あのー、確かばれんたいんって」

「一般的には女性が男性にチョコを贈って愛を告白する日だね」

間髪入れず猊下が答えてくれる。

「それを隊長がやっちゃうのは」

「おかしいよねぇ。少なくとも保護者って主張しながらやることじゃないよねぇ」

しかし、問題の二人といえば、外野の声など全く聞いてはいなかった。

「あんたが作ったの?」

「ええ。おかか豆でね」

「おかか……」

陛下が何とも言えない表情を浮かべる。あちらの世界のおかか豆は別物なのだろうか。

「味は地球のチョコレートと同じだと思うよ」

「なら、いいけど」

納得した彼もまた怖ず怖ずと手を出した。
その手に綺麗な包みを渡して、とびっきりの微笑みと共にコンラッドは言う。

「ユーリは俺の一番大切な人です。これからもずっと傍にいさせてください」

律儀に愛の告白も付けるらしい。陛下の頬が見事に赤く染まるのが見えた。うっかり見えてしまった。

「だから!あんたはそういう台詞そんな顔と声で言うな!恥ずかしいから!」

「……傍にいては駄目ですか?」

「……駄目、じゃないよ。何処にも行くなって言ってるのはおれの方だろ」

「よかった」



その先の会話は聞いていない。どうせコンラッドが感激のあまり陛下を抱き寄せたりしたのだろう。抱きしめたり抱き上げたりし始めても今更驚きはしない。
見ていられなくなってそそくさと大浴場を後にした。
猊下もげんなりした顔でついてくる。

「あの二人、あれでどうして付き合ってないんですかね……」

「決まってるだろ。渋谷がものすごーく鈍いから」

「なるほどー」

猊下のおっしゃる通り。

「まぁ、最終的に彼らがくっつくかどうかについては、心底どうでもいいんだけど!」

あまりどうでもよくはなさそうな声で彼が言う。声にどことなく凄みがある。
調子に乗って手を出したら殺されますよ隊長、なんて親切な助言をしてやるつもりはヨザックにもないが。

「あーんなところで僕たちの存在を完全に忘れてイチャつくのは、ホント、止めてほしいよね」

「確かに」

うんざりしながら深く頷いた。つくづく、独り身には辛すぎる空気だった。

「フォンクライスト卿を呼んできて中に放り込んでやろうか」

「血の海になるのでやめた方が……」

「じゃあフォンビーレフェルト卿」

「それも大惨事かと」

冗談なのか本気なのか定かでないやり取りを続けながら、足早に回廊を行く。

猊下はどうでもいいと言い放っていたが、うっかり懸想してしまう女性たちのためにも、彼らは一日も早くお付き合いを始めるべきだと思う。
それからあのよれよれになった可哀相な贈り物は結局どうするのかね、と頭の片隅で考えた。



END

2014.2.14




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