命の選択

迷えば状況は悪化する。こんな時、王は迷ってはいけない。

自分だけを救うのか、自分以外の全てを救うのか。

選択肢ははっきりと見えている。それはいたってシンプルだ。

自分さえ守られればそれでいいのか、掛け替えのない仲間や、国民や、魔族の一員である愛おしき生き物たち、皆の幸福な未来を守りたいと望むのか。

迷うまでもないことだった。

「ウェラー卿コンラート」

おれは最後の我が儘のつもりで、いつでも傍にいる男の名を呼んだ。少しでも、王の威厳とやらが滲んだ声になっていればいいのだが。

「頼みたいことがある」







とにかくタイミングが悪かった。その骨パシーが血盟城へ伝わってきた日の、二、三日前からだったような気がする。珍しく体調を崩していた。
熱もないのに頭が重い。身体が怠い。歩きながらでも食事をとりながらでも眠ってしまう。
一気に疲れが出たのだろう、という診断を受けた。暫くあちらの世界に帰っていなかったせいか、ことある毎に加減も判らず使ってきた魔力も、未だ回復しきっていないそうだ。
過保護な名付親の腕によって、起きた傍からベッドへ連れ戻されるような日々だった。
フォンヴォルテール卿とフォンクライスト卿が、まだ王に知らせる必要はない、と判断した。
四六時中おれに付きっきりだったコンラッドにも知らされることはなかった。ヴォルフラムも今日までは知らなかったと思う。
尤も、この国と王に一体何が起こっていたのか、本当のことは誰一人理解していなかったのだが。

そもそも最初に伝わってきた――例の如くとても詩的な――骨パシーを端的に訳すと、信憑性を疑われるような内容になったのだ。ヴォルテール地方の山間にある村がひとつ消えた、と。
グウェンダルは半信半疑ながら、別の任務で近くにいたお庭番と連絡を取り、現地へ急行させたらしい。
三日後に届いた報告を読み、グウェンダルは愕然とした、そうだ。彼はフォンカーベルニコフ卿の協力を得、――どんな魔動装置が採用され、どんな災難がフォンヴォルテール卿に降りかかったか、についての説明は割愛――すぐさま問題の村へ向かった。そして、見た。

彼らが魔王への報告を決意したのは、それから三週間後のことだった。



「あれは消えたとしか言いようがあるまい。かつて村だった場所には何もなかったのだ。建物だけではなく、人も消え、木々も消え、動物たちや草花すら消えていた」

そこまで話してグウェンダルが言葉を切る。彼の他にギュンター、村田が集められた王の居室は、しんと静まり返っていた。
ちなみにヴォルフラムは勝手に来た。コンラッドは集められるまでもなく始めから居た。もはや彼はおれの部屋に住んでいる。

「消えた者たちがどうなったのか、確かなことはまだ何も判っていないが……もう生きてはいまい、と骨飛族は考えているようだ。全ての命は失われてしまったと」

「そんな……」

思わず悲痛な声を漏らしたのはヴォルフラムだ。こんな話を聞かされて、真っ先に大騒ぎしそうなおれの代わりに。

続いてギュンターが口を開いた。

「骨飛族や骨地族、周辺住民からの情報を頼りに調査してみると、ここ一ヶ月で“消えた”町や村は幾つもありました。それどころか、国内で被害が広がり続けているようです」

最近は汁だくな様ばかり見せられてきたので、新鮮さすら感じる久々の有能王佐モードである。
身体が本調子ではないせいか、彼らの報告に集中できない。

「それは国内だけなのか?」

ぎゅうっと眉間に皺を寄せたヴォルフラムが尋ねる。

「ええ、人間たちの国では起こっておりません」

即座に返ってきた答えを聞いて、嫌な感じだなと呟いた。

「強大な力を持つ何者かが、魔族を滅ぼそうとしている可能性もあります。事態は深刻なのです、陛下」

ギュンターが険しい表情で告げる。
そうだ。これは国の未来に関わるような類いの恐ろしい事件だ。なのにおれは少しだけ上の空で、情けなくもベッドの上にいる。辛うじて身体を起こしてはいるけれど。

「この度の異変の原因を一刻も早く突き止めるのと同時に……陛下におかれましては、体調が優れないところ誠に申し訳ないのですが……十貴族会議を開きます。今から収集の旨、伝えようと、」

「それは、やめた方がいいかもしれない」

遮るように口を挟んだのは、今まで黙りこくっていた村田だった。

「何故ですか猊下」

ギュンターの訝る声に続いて、「そうだよ」とおれも言うつもりだった。

皆で話し合った方がいいだろ。

意見を述べるために親友の方を見た。そういえばおれもずっと黙っていた。
見事なまでに黒い瞳と、ぶつかる。吸い込まれそうになる。

「……おれだ」

声が聞こえた。おれの声だ。
自分でも何を言おうとしているのか判らないのに。
口は勝手に動いている。

「それ、やったの……たぶん、おれだ」

耳にした言葉を理解できずに当惑する者、息をひゅう、と呑んだ者。

「へ、陛下……?」

「……ど、ういう意味だ……」

「ユーリ、いったい今なんと言った……?」

コンラッドの声は聞こえない。
誰もが動揺を露にしたその時も、村田だけは表情を変えなかった。彼は何が起こっているのかを知っている。

「渋谷と、二人きりで話したい。少し席を外してくれないか」

村田が言う。誰も動かなかった。否、動けなかった。
三人の顔に浮かぶのは、親しい者が突然得体の知れない怪物に変わったかのような、恐怖。
一番大切な人の反応を目にするのが怖くて、おれは彼らの視線から逃げた。

「きみたちには後で説明する。とりあえず今は出てくれ」

村田は淡々と繰り返す。グウェンダルが、ギュンターが、ヴォルフラムが、ぎこちなく席を立って背中を向ける。

「ウェラー卿、きみもだ」

三度目、名指しで命じられ、ようやく彼も部屋を出ていった。







「きみの魔力が急激に力を増し、暴走を繰り返している」

村田は一息に告げた。

「きっかけは箱だったのかもしれない、今となっては判らないけれど、きみの手には負えないほど強い力なんだ、この国を簡単に滅ぼせるほどの力だ。僕にも抑えられなかった」

もう、どうしようもない。

「……そうか」

村田にできないなら本当にどうしようもないんだろう。どうにかできるなら既に手を打っているはずだ。
四千年分の知識の中から必死で答えを探した上で、どうしようもないと彼がうなだれるのならば。

「ひとつだけ解決策があるよな?」

今のおれにできる限りの明るい声で、あっけらかんと言ってみる。

「村田、お前はどう思う?」

「渋谷……」

彼は痛みを堪えるような顔で何かを口にしかけたが、結局言葉は続かなかった。
それが、答えだった。

「コンラッドにはおれから話させてくれ」

「……有利……」

やはり名前を呼ぶだけで言葉を止めた村田は、これが最後になることを間違いなく解っていたのだと思う。
泣き出す寸前の目をしていた。







頼みたいことがある、と切り出した。

「なんでしょうか、陛下」

彼も改まった声で答える。

「あんたにしか頼めないことなんだ」

「ええ、何でも言ってください」

例えどんな状況に置かれていたとしても頼み事をされるのは嬉しいのだと言わんばかりに、コンラッドは微笑さえ浮かべている。
おれは少しだけ躊躇した。
皆を救うためにと決めたことだ。けれどこれはおれの我が儘でもある。

「陛下?」

だって、これ以上は怖いのだ。
知らない間に誰かの命を奪っているなんて嫌だ。怖い。ものすごく怖い。
そんな自分で生き続けるのは嫌だ。

「……ユーリ……?」

結局、おれは自分勝手な願望を捨てることができない。
どうせ結果が同じならコンラッドがいい。コンラッドじゃないと嫌だ。だから。


「おれを、殺してくれ」

「……っ!?」

瞳に散る銀を見つめながら口にした瞬間の彼の表情を、どう表現すればいいんだろう。
叫ぶかと思った。泣くかと思った。罵声を浴びせながら殴るのかと思った。求婚になってしまうアレではなく、傷のある手で作られた拳で、思いっ切り。

しかし負の感情が凝縮されたそれは一瞬で消える。
後には能面のような無表情が残った。
ややあって彼は、静かに答える。

「……判りました」

確かに了承の意を告げる。

「方法はお任せいただいて構いませんね?」

こんなにあっさり受け入れられるとは思っていなかった。少しだけ戸惑いながら頷く。

「ああ、任せるよ」

では、とコンラッドが腕を引いた。
連れて行かれた先はベッドの上だ。掛け布団を捲って、こちらへ、と言う。何も考えずに横になる。

「眠ってください。あなたが眠っている間に、俺が全てを終わらせます」

布団を引き上げながらコンラッドが言った。
酷いことを頼んでしまったのに、彼は穏やかで優しかった。あの一瞬以外は動揺も迷いも見せなかった。
胸が、いっぱいになる。

ごめん、と口にし掛けて、やめて。

「……ありがとう、コンラッド」

せめて笑顔で言ってみる。
答えの代わりに大きな掌が両目を覆った。温かい暗闇。
この温もりが、大好きだった。

「……おやすみなさい、ユーリ」

よい夢を。

幼子に向けるような声でそっと囁かれたそれが、最期に聞いた言葉となった。







最初に視界へ入った人影に聞く。

「おれ、死んだの?ここって死後の世界?」

「どうでしょうね」

人影は曖昧に答えて肩を竦める。

「で、なんであんたがいるんだよ」

「嫌ですか?」

「嫌っていうか……」

コンラッドだ。どこからどう見てもコンラッドだ。

「まぁ、来ちゃったもんは仕方ないけど」

追い掛けてきてしまったというのなら、今さらどうしようもないだろう。

すん、と鼻を鳴らして顔をしかめた。死んだはずなのに五感は正常に働く。

「コンラッド、血の臭いがする。怪我してない?」

「してないよ」

「本当に?」

信用ならなくてじっとり見つめる。死んだ後も傷が残るなんておかしな話だけれど。
苦笑した彼が頭を撫でてくる。

「大丈夫」

とりあえず左腕は無事だった。

「臭いが染み込んでしまっただけですよ」

安心させるように笑みを深くする。見慣れたはずの大好きな笑顔を、何故かその時恐いと思った。

コンラッドはさらりと言葉を継ぐ。

「ずいぶんたくさん殺したからね」

「………え……?」

何を言われたのか解らなくなるくらい、微笑む彼が物凄く恐いと思った。

「少しだけ、薬草を使わせていただきました」

「やく、そう……?」

「眠り薬です」

コンラッドは悪びれなく種明かしする。

「ユーリは眠っていただけで死んでなんかいない」

「ど、ういう意味……」

早く問い質さないと、と思うのに、上手く言葉が出てこない。
そういえばここはおれの部屋だ。寝かしつけられた時と何ひとつ変わらない。

「俺があなたとあなた以外の全てのどちらを選ぶのか、判らないはずはないでしょう?」

「……」

死後の世界なんかじゃなかった。真夜中のように静まり返った愛おしき世界。
誰も、いない世界。

「みんな、俺が殺しました」

だからあなたは無実だと、言外に彼が告げていた。

「俺が、殺したんです」

血の臭いに包まれて繰り返す彼より、本当はおれの方が多いんだろう。
意識もなく、罪悪感を覚えることもなく、自分の手を汚すこともなく、ふかふかのベッドへ転がったまま奪った命の数は。

不意に何の脈略もなくコンラッドが言う。

「もうすぐ昼食の時間ですよ」

何も考えたくなかった。ぼんやりと窓の外へ目をやった。

「食べたい物はありますか?」

「……たべたいもの、って」
言われても。

酷く場違いな問い掛けだ。そんな話をしている場合じゃないだろう。

窓の向こうは明るくて、真っ白で眩しくて瞼を下ろす。

見えなくてもおれには判っていた。

「世界に二人っきりですね」

そう呟いたコンラッドは、心から幸せそうに笑っている。



END

2014.1.22




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