忘れてしまえば良いのです

ずっとずっと言いたかったんだ。
おれ、あんたが好きなんだ。
……もちろん、立派な上腕二頭筋だけじゃなくてさ。







幸いにも、捜し人はすぐに見つかった。
敷地外へ出ることも覚悟していたのだ。
そもそも彼はこの城の住人ではないし、王都にいること自体が珍しい。むしろ国外で偶然会うことの方が多かったりする。
笑ってしまう。笑うしかない。
会いたい時には会えないのに。
寂しいなんて言えないから、おれは諦めて笑ってしまう。



何はともあれ、彼を見つけることができてよかった。
よし、と拳を作って気合いを入れる。今日こそ絶対に言ってやる。そう決めた。
――好きだって。

なるべく気配を殺して距離を詰めた。顔を見てしまったら何も言えなくなる。
優秀なお庭番相手では、意味なんて全くないだろうけれど。

あと数歩で手が届くというところで、

「あれ?陛下?」

ほら、もう気付かれた。

相手を間違えないでくれたことが馬鹿みたいに嬉しい。
どうしたんです、と続く言葉には答えずに、おれはその背中へ勢いよく飛び着いた。

「……へ?」

時々女装も嗜む腕利きお庭番、たぶん眞魔国一優秀なはずの諜報員が、見事にカチンと固まった。

「ちょ、ちょっと坊ちゃん?」

珍しくも狼狽している彼の声。
背中へ顔を埋めたまま聞き返す。

「なに?」

「ええと……この状況はいったい……」

隊長やヴォルフラム閣下に見られたら殺される気が、と困ったようにヨザックは呟いた。
夜間で人通りがないとはいえ、ここは血盟城内だ。怒り狂ったヴォルフがすっ飛んできても不思議はない。
コンラッドは別に怒らないと思う。

回した腕で感じた鼓動は、平時より少しだけ早い気がした。
……生命の危機を感じているせいかもしれないが。

「なぁ、ヨザック」

そっと名前を呼んでみる。

「はい?」

未だ戸惑いを隠せない様子ながらも、彼はちゃんと答えてくれる。

「明日から、またどっか行っちゃうんだろ」

問い掛けは、何だか拗ねた子供のような声になってしまった。

ええ、とヨザックが言葉を返す。

「グウェンダル閣下の御命令でね」

「危なくない?」

「さあねえ。危険手当はしっかりもらいますよん」

「……そっか」

やっぱり遠くへ行ってしまうのか。きっと暫く会えなくなるんだろう。
お庭番は死して屍拾う者なし、なんて、飄々と言っていたことがあったっけ。

「なんです坊ちゃん。心配してくださるんですか?それとも、グリ江がいないと寂しいとか?」

「うん」

冗談めかした言葉に頷いた。

「心配だし、寂しいよ」

嬉しいですねぇ、とヨザックは笑う。

「そういうことならオレにも抱きしめさせてくださいよ」
ほら、坊ちゃん、手を離して。

ぽんぽんと軽く手の甲を叩いて促された。

「婚約者殿が怖いなんて言いませんから」

子供のようにかぶりを振って、いっそう指に力を込める。

「坊ちゃん?さっきからどうし、」

「あのさ、」

訝る声に被せて切り出した。
服を握り込んだ指が震える。声だってきっと震えていた。

「話が、あるんだけど」

心臓が鼓動を早めている。

「話?」

今夜、言ってしまわなくては。その為に彼を捕まえたんだろう?

「あ、あのさ」

今度いつ会えるかなんて判らないんだから。
自分に言い聞かせてみたところで、あまり効果はないようだ。言葉が喉で詰まっている。

「おれ、その……」

いっそこの体勢やらいつもなら有り得ないおれの行動やらで察してくれないかなとも思いつつ。
続きを口にする勇気がどうしても出なくて。

「……ヨザックのこと……」

口ごもってしまった瞬間だった。

「やーん、話ってまさか愛の告白!?」

されるがまま抱き着かれていたはずのヨザックが、腕の中でくるりと回ってくれたのは。

「……へ?」

正面から抱き着く格好になってしまって、しかも唐突すぎるグリ江ちゃんモード。
いきなり茶化されて固まった。

「陛下から言っていただけるなんて思わなかったわん!グリ江感激!」

――実はそのまさかなんだけど。

なんて言えるか!この空気で。

とりあえず慌てて飛びのいた。
グリ江ちゃんは目の前でシナを作っている。

「もう困っちゃう!」

吹き抜けた風で身体が冷えて、諦めまじりに思う。

彼は、きっと判ってる。

おれの何十倍も恋愛経験豊富なグリ江ちゃんのことだ。判っていてわざとはぐらかしたんだろう。

「……それが本音?」

ぽつりと問い掛ければ彼は黙った。

「やっぱ、迷惑だよな……おれに告白なんかされてもさ」
ごめん。

頭を下げたまま俯いてしまう。
そりゃ、伝えさえすれば晴れて両想い、なんて脳天気なことを考えていた訳じゃないけれど。
だったら何と言われたかったんだろう。どんな答えが欲しかったんだろう。

ただ、聞いてすらもらえないとは思っていなかった。なかったことにされる覚悟はできていなかったのだ。

いたたまれなくて恥ずかしくて情けなくて、体中から力が抜けそうだ。

「……坊ちゃん」

優しい声で呼ばれて少しだけ顔を上げる。こっそり窺った先のヨザックは、困ったような顔で笑っていた。

「迷惑だなんて思ってませんて」

「ほんとに?」

「ほんとに。陛下からそんなお言葉をいただけるなんて……幸せすぎてグリ江は今、天にも昇る心地よん」

それにしては、全く嬉しそうな顔をしていない。

「ほんとに?」

信じられなくてもう一度聞いてしまう。
ヨザックは呆れずに答えてくれる。

「ほんとーに」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。完全に子供扱いだ。

「大好きですよ。当たり前です」

本当に?ともう一度聞こうとして、やめた。
彼は優しい嘘をつくような人じゃない。

「ただねぇ……」

そう言ってヨザックは一度言葉を切る。
右手はまだ頭の上にあった。少し重いし顔も上げられない。

「坊ちゃんもご存知の通り、オレは諜報員です。殆ど王都にはいませんし、国外で危険な任務に就いていることも多い。隊長のようにいつでも陛下のお傍にいて、お守りすることはできません」

無骨な武人の指が優しく髪を梳いていた。愛しいのだと伝えるように。
彼らしくない仕草に胸が痛くなる。

「そんな男を選んだって、あなたが辛いだけですよ」

どうか忘れてくださいとヨザックは言う。
おれは、何も言えなかった。

先が見えなかったのだ。どうやらちゃんと両想いだったらしい彼と、恋人同士になったとして。彼の存在が今以上に重く、大きくなり続けて。
おれは待てるか?どこにいるかも判らない彼の帰りを。
おれだって、こっちの世界にずっといられる訳じゃない。

グリ江ちゃんがおれの両肩に手を置いて微笑った。

「坊ちゃんにはもっといい男が似合うわよ。ね?」

「……グリ江ちゃんよりいい男なんかいねーって」

「またまたぁ。坊ちゃんたら口が上手いんだから」

茶化しながら彼の手が離れてしまう。

「じゃ、オレはそろそろ失礼しますよ。閣下に呼ばれてるんでね」

「ヨザック!」

歩き去ろうと背中を向けかけた彼の服を、おれは咄嗟に掴んでいた。

黙ったままヨザックは動きを止める。迷うように深い青が揺れている。
それをじっと見上げていると、不意に彼が腕を伸ばした。

「ヨザック……?」

大きな掌で両目を覆われる。

「なに……っ」

続きは言葉にならなかった。











押しかけ婚約者の平和な鼾が聞こえる。

動転して自室まで逃げ帰ってきてしまった。かなり騒々しく入室したはずなのだが、ヴォルフラムは変わらず夢の中だ。

「なんで……」

扉へ背をつけたまま茫然と呟いた。

何でキスなんてしたんだよ。

ベッドに倒れ込んで目を閉じる。唇に熱が残っている。
これでは忘れるなと言ったようなものだ。

「……大人って、ずるい」

そう独りごちて、膨れてみた。

鼾に邪魔されるまでもなく、今夜はとても眠れない。



END

2013.4.15

title:capriccio




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