黄色い部屋

寝室の扉が唐突に開く。誰かが入ってくる気配。

彼かと、思った。

何をするでもなく立ち尽くしていたおれは、反射的に振り返った。

「……ヨザック」

一瞬でも期待してしまった自分を恥じ、ごまかすように曖昧な笑顔を作る。

「あんたが来るとは思わなかったな」

最低限の物しかない閑散とした部屋の中では、オレンジ髪が余計に鮮やかに見えた。

「夜分に陛下がお部屋を出られたと、警備の者が知らせてくれたんですよ。期間限定の代理とはいえ、オレは坊ちゃんの専属護衛ですからね」

すっかり友達感覚でいたが、そういえばそうだった。王様だという自覚が薄くなっている。よくないなと思う。

「もう寝てただろ?ごめんな」

ここへ来ることで迷惑を被る者がいることは、頭の片隅で理解していた。それでも足を止めることができなかった。こんな夜は、駄目なのだ。
申し訳なさと寂しさでうなだれる。
するりと彼が距離を詰める。

「いいんですよ」

オレにも打算があるんで、なんて続けて、誰かに酷くよく似た仕草で、ヨザックはおれの髪を撫でた。

「打算って?」

尋ねればニヤリと笑ってみせる。

「これはアイツへの嫌がらせなんです」

好戦的に、楽しそうに。

「色々と怨みもありますしー?」

「そ、そうなんだー」

相槌は棒読み。
色々、の中身を知るのは遠慮しておいた方がよさそうだ。

「一番傍にいて陛下を守るのも、いなくなった坊ちゃんを見つけるのも、眠れない夜に寝かしつけるのも」

ふざけた調子で指折り並べ、

「全部オレの役目にしてやるんです。いやぁ、嫉妬しまくる隊長の顔が目に浮かぶなぁ」

ひとしきりニヤついた後でヨザックは、不意に表情を改めて聞いてきた。

「眠れないんですか?」

真摯な声は耳慣れなくて戸惑う、なんて感想を抱いたら憤慨されるだろうか。
逡巡してから短く返す。

「……かも」

「そうですかー」

そうして認めてしまったからには自室へ戻るよう促されるものだと、思っていた。
けれど彼は長い間使われることのなかった掛け布団を、ふわりと捲ってみせて言う。

「まぁ、とりあえずこの中へどうぞ」

「……コンラッドのベッドじゃん」

「いいじゃないですか。留守なんだから勝手に使ってやれば」

親友がそう言うならいいんだろうか。
思い切って潜り込む。
冷たい。微かに彼の匂い。

「あとは、そうですねぇ」

ヨザックは思案顔を作って、それから、バチッと片目をつぶって笑う。

「夜の蝶グリ江ねーさんが、子守歌でも歌っちゃいますかね」

おれにはとても真似できそうにない。陽気な彼に似合いのウインクだ。

「そういえば歌姫やってるんだっけ」

「けっこう人気あるんですよ、グリ江」

「だろうね」

彼のいない寒い部屋も、一人っきりの布団の中も、ヨザックの笑顔で少しだけ温まったような気がしていた。



「ちょっと待ってくださいね、思い出しますから」

こんな感じだったかな、などと呟きながら、記憶を探るようにヨザックがハミングする。

「それ……」

聞き覚えのあるメロディーだった。
穏やかな顔が脳裏に浮かぶ。胸を締め付けられる懐かしさ。

「なあ、ヨザック、その歌って……」

「うちの隊長がしょっちゅう歌ってたんで、オレも覚えちゃいました」

「……コンラッドが」

「ええ。しかもウキウキっていうか、デレデレっていうか……腑抜けた顔で口ずさんでましてね。アヒルの人形相手に歌ってる光景なんかも目撃しちゃって。アレは気持ち悪いことこの上なかったわぁ」

「へ、へぇー」

アヒルといえば、例のメイドインUSAらしきアレのことだろう。そんな物を地球から持ち帰った理由は知る由もないが。彼の兄でもあるまいし。
人形に歌を歌い聞かせるルッテンベルクの獅子と呼ばれた男、なんて見たくないと心から思う。
いやいや、実はアヒルフェチなのかもしれない。取り留めもなく考えを巡らせる。
今度、地球産アヒルグッズをプレゼントしてみようか。意外と喜ぶような気がしてきた。

――ところで、今度っていつ?

性懲りもなく寂しさが押し寄せてきて、おれは慌てて言葉を継いだ。

「あんたの親友って意外と変人だったのな」
マトモそうに見えるのに。

今さら気付いたんですかと笑いながら、ヨザックが部屋の明かりを消した。

「さあさ坊ちゃん、目をつぶって」

「うん……」

視界が真っ暗闇になる。

おれが眠れるように色々してくれるのは嬉しい。けれど、あの歌は困る。今度こそ泣いてしまうかもしれないから。
どうせなら眞魔国の歌を選んでくれればいいのに、なんて思いながら、ヨザックが戻ってくるのを待つ。

黙ったまま枕の脇に腰を下ろした彼が、深く息を吸い込むのが判った。さすが歌姫。しっかり腹式呼吸だ。

そうして始まった子守歌らしきものは。

「らっぶ、みー、てんだー、らーぶ、みー、すいー」



ちょっと待ったぁ!と言いたくなった。
習い立ての子供のような、拙い英語もどきはともかくとして。なんだろう、この弾んだ曲調は。
言われるまま目を閉じたことを後悔した。

これは、なんていうか。ものすごく彼らしいというか。

1コーラス聞き終わった時点で堪えられなくなり、

「……ぶっ」

おれはとうとう噴き出してしまった。アハハと思い切り声を上げて笑った。

「坊ちゃん?」

ヨザックはキョトンとしている。

「あー、ごめんごめん。あんたが歌うと全然ちがう曲に聞こえるから可笑しくて!」

「坊ちゃん大好きーって気持ちをオレなりに込めさせていただいたんですが……駄目でした?」

「駄目じゃないよ。ありがとう」

まだ笑いが止まらなくてお腹が痛い。笑いすぎて少しだけ涙が出た。ほんの、少しだけ。

わざとなんだと思う。何てったってグリ江ちゃんは夜の蝶で歌姫だから。夜の蝶は自称かもしれないけれど。
だから、笑わせてくれてありがとう。

「アイツが歌うと無駄な色気垂れ流し状態なんだよな」

「ご所望ならオレだってお色気ばーじょんを歌いますよ。色気ならグリ江の方が上だものー」

「いやいや全くご所望じゃないです。あんたの本気をおれなんかに使っちゃダメだ!」



陽気なお庭番のお陰で、ご近所迷惑なくらいの賑やかさで、彼のいない夜がまた更けていく。
どうせなら一緒に寝てしまえと、ヨザックを布団の中へ引っ張り込みながら、決めた。
今度がいつ来るか誰にも判らないとしても、この部屋に彼への贈り物を並べよう。宝物だというアヒルの隣に。誰もいない空間に佇んでも、泣きたいくらい寂しくならないように。
地球へ戻る度に持ってくるとして、彼が長く留守にすればするほど、部屋の中に黄色い物体が増えていくのだ。

――ちっとも帰ってこないあんたなんか、せいぜい後で困ればいい。







ずいぶん久しぶりに足を踏み入れた私室は、何の変化もなくコンラッドを迎え入れてくれた。掃除もしてあるようで埃ひとつ落ちていない。帰ってくることができた、迎え入れてもらえた喜びと安堵に、一人胸を熱くしながら部屋を見回す。
妙に黄色が目につくと思った。唯一の黄色い物を飾っていた棚を確認する。

……これは……

室内はほぼ何の変化もなく、コンラッドを迎え入れてくれた。
当然、変わってしまったこともあった。



「気に入ってくれた?」

飛び込んできた愛しい主がニコニコと聞く。

「眞魔国におかえり!ってことで、おれからのプレゼントなんだけど」
あ、編みぐるみはグウェンからな。

「そうだったんですか……ありがとうございます。ところで」

棚にぎっしりと並ぶメイドインUSA、ひとつだけマイドイングウェンダル。どれも鮮やかすぎる真っ黄色だ。

「どうしてアヒルと黄色い豚なんですか?」

「グウェンのもアヒルだよ」

豚鼻がついているように見えたのは気のせいだったのか。
名付子は嬉々として言い募る。

「だってあんたアヒル好きだろ?求愛しちゃうくらいアヒル船長が好きなんだろ?」

頭痛がしてきた。

「……俺がいつアヒルに求愛を?」

「いつかは知らないけど。グリ江ちゃんに聞いたんだ。アヒル船長にラブミーテンダー歌ってたって」

「……ああ」

そういえば、そんなこともあった。ユーリがこちらの世界へ来る前だ。会うことのできない彼の代わりとして、貰い物のアヒルに歌っていたら、うっかり幼馴染に目撃された。その上口止めもし損なった。お庭番なんてやっていることもあって、アイツは逃げ足が異様に早い。
言い触らされはしなかったお陰で油断していたが、よりにもよってユーリに話すとは。

「コンラッド?」

ヨザめ、と思わず眉を寄せると、ユーリが不安そうな声を上げる。

「もしかしてアヒル嫌いだった?アヒル船長だけ特別とか?」

確かにアヒル船長は特別で、コンラッドの一番の宝物だ。それは『ユーリからもらった最初のプレゼント』だからであって。
彼以外の誰かからアヒル好きか否かと問われたら、特別好きではないと答えるだろう。けれど。

増殖した黄色を改めて見回す。全てユーリ(と兄)からの贈り物だという。

「……いいえ」

コンラッドは心からそう答えた。

「ありがとうございます。とても嬉しい」

ホッとしたようにユーリの顔が綻んだ。

「宝物にするよ」と続けながら、ふと胸に不安が過ぎる。迂闊にも自ら誤解を深めてしまったような気が、するのだが。

案の定、ユーリは笑顔でこう言った。

「よかった!やっぱりあんたアヒル好きなんだな!」
みんな有り得ないって言うんだぜ。後でちゃんと教えてやらないと。

これはまずい。とんでもない誤解が城中に広まるのは時間の問題で、放っておけばどんどんアヒルが増える。

「おれもまたあっちで買ってきてやるからな!」

「……ありがとうございます。でも、陛下……」

ユーリからの贈り物に囲まれて暮らすのは幸せだろう。けれど、これ以上の黄色はいらない。
それをどう説明すれば丸く収まるものかと、微笑み返しながら必死で考えている。



END

2013.12.17




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