先に逝く人
「あなたより先に眠るのは嫌だけど……」
とろりと甘くて、ふんわり優しい。耳に馴染んだ恋人の声だ。
飽きずに髪を梳く指が心地好くてまどろむ。瞼はくっついたまま開かない。眠気に白旗を挙げる寸前、添い寝を決め込んだ彼がさらりと言う。
「あなたより先に死にたいな」
――なんだって!?
一気に目が覚めた。
すぐさま飛び起きて喚こうとしたが、何せついさっきまで眠りかけていたのだ。目は半開き、身体は起こせず、おまけに「うにゃにゃ」という声しか出なかった。つまりおれの機嫌が急降下したことは、全く伝わらなかった訳で。
コンラッドはまるで歌うように続ける。
「だってあなたがいなくなったら、俺は生きてはいけないから」
何とも勝手すぎる言い分だ。
顔が埋まっていた胸板をぐいぐいと押す。
「起きちゃったんですか」と彼が言う。
あっけらかんとしたその声と表情からは、気まずさを読み取ることができない。
「どうしました?」
ぐいぐい押して、腕から逃れて、今度こそしっかり開いた目で睨みつける。
――あんたは酷い。あんまりだ。
おれはあんたがいなくなっても、生きていないといけないのに。だってこの国の王様だから。トップには重い責任がある。
――なのに、あんたは。
「ユーリ?」
睨まれる理由に心当たりがないと首を傾げている男には、直球勝負では負ける気がした。どうしたものかと考えを巡らせる。ふと歌詞の一節が頭に浮かぶ。
「なぁ、コンラッド」
ここは変化球で攻めるべし。
「日本には亭主関白って言葉があるの知ってる?」
コンラッドがぱちくりと瞬いた。
いきなりすぎた故の戸惑いか、それともNASA知識外の地球語を耳にしたせいか。まぁ、どっちでもいいけれど。
「亭主は、通じてるよな?」
「ええ」
顔中に疑問符を浮かべたままコンラッドが頷く。
「関白っていうのは、昔、天皇に代わって政治を行ってた職のことで……この国で言ったら近いのはグウェンかな。そんで亭主関白っていうのは、夫が妻よりも威張ってて、絶対的な権力を持っている夫婦関係を表す日本の俗語デス」
「なるほど」
果してこの解説で合っているのか。もちろん自信なんて全くない。
まぁ多少間違っていようと、コンラッドが納得できたならそれでいいんだろう。
「で、そんな亭主関白ぶりを歌った有名な歌があるんだ。その歌、アニシナさんが聞いたら怒ること間違いなしの、常に男を立てろ、女は黙ってついてこい!みたいな歌詞なんだけどさ」
いっそフルで歌ってやろうかと思ったが、あいにく歌い出しを思い出せない。
「俺より先に寝るなとか、俺より後に起きるなとか」
記憶にある限りの歌詞をなぞりながら、コイツがおれより先に寝たことはないし、後に起きたこともないなと考えた。
うーん、正に理想の嫁……じゃなかった、恋人。
おれの理想とは違うけれど。
おれとしては、あまりに完璧すぎる護衛の彼には、たまに寝顔を晒すくらいの可愛げを見せてもらいたい。
聞き手が特に何もコメントしてこないので、思い付くままつらつらと続ける。
「あとはー、浮気するかもしれないけど嫉妬するなとかさ。自分が約束できないことまで許してもらおうとするな!って思うよな。結局、どこの世界でも女は強しってことで、あとで関白は失脚しちゃうんだけど」
「……はあ」
まずい。コンラッドが「つまり何を言いたいんですか?」っていう顔になってる。
「あー……えっと、失脚のことはどうでもよくて」
余計なことまで説明しすぎたようだ。
「おれが今、あんたに言ってやりたいのはさ」
おもむろに身体を起こしてみた。狭いベッドの上に胡坐をかく。今から口にする歌詞の重みが、しっかり彼へと伝わるように。
つられて半端に起き上がった彼を、キッと強く見据えて言う。
「おれより先に死んではいけない」
コンラッドが目を見開く。
「あんたはおれより一日でも長生きして、おれを看取って思い切り泣け!」
ってこと。
途方に暮れたような顔をされた。
ややあって、言われる。
「……酷いことをおっしゃいますね」
「あんたも同じようなこと言っただろ」
自業自得、じゃなくて因果応報?
「俺は希望を言ってみただけですが、あなたのは命令じゃないですか」
拗ねたように返されるのが面白かった。
こっそり笑ったら欠伸まで出そうになって、慌てて噛み殺す。
そもそも眠る寸前だったのだ。頭がふらふらし始めたし物凄く眠い。
「言っとくけど!」
それでも、もう一言伝えておかないと。
「王様として言ったんじゃないからな。あんたの、人生の伴侶としての命令なんだからな」
何とかそこまで言い切れば、
「ユーリ……」
何故か感激したように名前を呼ばれた。
おれちゃんと伴侶って言ったよな?妻とか嫁だなんて誤解招きそうな単語は口走ってないよな?いや、そもそも伴侶も間違いだったか?
眠くて思考がまとまらない。バタンとベッドへ身体を投げ出す。
言いたいことを言ってすっきりしたおかげか、本格的に眠気に負けそうだった。
「じゃ、おやすみ」
逆らわず今度こそ目を閉じる。
「そこで寝ちゃうんですか」
酷いなぁ、と繰り返す恨みがましげな声は、聞こえなかったことにした。
コンラッドがおれより先に死ぬ。年齢を考えれば当然のことだ。16年しか生きていないおれに対して、彼は100年も生きている。順当にいけばおれが残される。それが嫌だから命令なんてした訳じゃないんだ。
「……おやすみ、ユーリ」
だって、またもやおれの身体を抱き込んで髪を梳いているこの男が、天寿を全うした上で、おれより年食ってるからってだけの理由で、穏やかに死んでいく未来が来ることなんて、どうしても信じられなかった。悲しくなってくるほどに。
今夜も彼は先に寝ない。明日はおれより早く起きて、何事もなかったかのような笑顔で、いつも通り起こしてくれるんだろう。
と、思っていたが甘かった。
翌朝、奴は満面の笑みを浮かべて言ったのだ。
「昨日のアレはプロポーズ?」と。
――お前を嫁に貰う前に……
忘れていた歌い出しを唐突に思い出す。
そういえばそういう歌だった。
END
次男の「光(柴/田/淳)」vs陛下の「関白宣言(さ/だ/ま/さ/し)」
2013.11.20
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