(ずっと、貴方が好きでした)
人を疑うことを知らない純真な主を持つと時々物凄く困る。
「あんたの初恋の人って誰?」
早朝ロードワークの途中で、突然名付子にそう聞かれた。
「ああ、おれの初恋は聞かないで」
更にそんな言葉まで、少しだけ眉を下げた可愛らしい顔で付け加えてみせる。
それはちょっと狡いんじゃまいか、と思ったが、口に出すような愚は犯さなかった。なんとなく、ユーリに嫌がられるような気がしたので。
「初恋ですか……ずいぶん昔のことですし、あまり記憶に残っていないけど」
質問の意図がいまひとつ掴めず、コンラッドは曖昧な返答を選ぶ。
「でもその口振りじゃ、一応覚えてはいるんだろ?」
彼は意外と引いてくれなかった。
そもそも、80歳以上年上の恋人の初恋相手、なんて知りたいものだろうか。知ってもユーリは妬かないんだろうか。あなたです、と言えないことは判っているだろうに。
因みにコンラッドは妬いている。ユーリが自分に話したくないと思うような何かしらの傷を残されたらしい初恋の人、なんて妬くに決まってる。
こうして煩悶している間も、ユーリは辛抱強く答えを待ち構えていた。
この際、冗談で笑わせてごまかしてしまおう。狡い大人はそう決めた。
「確か、ギュンターだったかな」
言った傍から否定したくなるような人選だ。
「あー、なるほど」
「……え?」
まさか、と笑い飛ばしてもらうつもりだったコンラッドは、想定外の反応に固まった。
「確かに汁さえ出さなきゃ眞魔国一の美形だもんなぁ」
「えーと、そのー……」
おおいに納得されてしまった以上、今さら冗談だとは言い難い。
「ま、美人すぎておれは遠慮しときたいけど」
本人以外の認識としては眞魔国一の美形である双黒の魔王はコンラッドの弁解も聞かず、そんな言葉であっさりこの話題を終わらせてしまった。物凄く困った。
「コンラート、あなたの初恋の人が私だというのは本当の話なのですか?」
最悪なことにその日の午後には、「冗談じゃない!」と否定して回りたくなるような初恋話が、本人の耳にまで届いていた。
うんざりと聞く。
「……誰からそれを?」
「もちろん、私の陛下に決まっています!」
「やっぱり……」
恋人を所有格で語られたことも相まって、コンラッドはガックリと肩を落とした。
ここで「俺のユーリだ」と張り合っても仕方がない。
「それで?どうなのです?」
ギュンターは尚も聞いてくる。
有り得ないだろう。少し考えれば判ると思うのだが。
「冗談を言ったら本気にされただけだよ」
「ああ!もしや陛下は……」
何にどう納得したんだか、ギュンターがひどく嬉しそうな声でこう言った。
「何十年も前から弟子として私の傍に居たコンラートに、ヤキモチを妬かれているのでは!?」
どうしてここまで自分に都合のいい解釈ができるんだ。いっそ感心してしまいそうな勢いである。
「それだけは絶対にない」
もちろん冷やかに否定した。
ギュンターとのやり取りでげんなりしてしまったコンラッドは、「すみません、朝のあれは冗談でした。ごめんなさい」と、潔くユーリに謝った。
就寝のため、パジャマに着替えを済ませた彼は、黙ってコンラッドを見返した後、はぁ、と短く息をつく。
「おれもさ、本当にギュンターがあんたの初恋相手だって思ったら、軽々しく言い触らしたりしないよ。冗談でごまかす気満々みたいだったからちょっとムカついただけ!」
なるほど。結局は自業自得だった訳だ。
「だいたい、コンラッドってギャグも冗談も笑えないのばっかりだし」
さらっと付け加えられた言葉に、本気で凹みそうになる。
どうやら彼の方が一枚上手らしい。名付子はいつの間にか大人になってしまったようで、コンラッドは少しだけ寂しかった。
少しだけ萎れた声で言う。
「俺は、あなたが好きなんです。初恋なんてもうどうでもいいでしょう?」
「どうでもよくはないと思うけど」
彼がキュッと眉を寄せた。
「話したくないくらい大事な思い出なんだろ?」
そして、見当違いのことを言って微笑う。
「ちがいますよ、ユーリ。あのね……」
あなたです、と言えないから、質問に答えるのが嫌だった。
例え嘘にしかならなくても……一目見ることも叶わなかった十五年も、人懐っこい小さな赤ん坊を抱いた時も、まっさらな魂として胸ポケットに入れて運んでいた時も、それすらなく生きてきた何十年も……ずっとずっとあなたを好きだったと、本当は言いたくて堪らない。
END
2013.9.7
title:capriccio
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