ただ歩く

おれの一日はコンラッドで始まる。



「おはようございます、陛下。朝ですよ」

耳を擽るような声だ。ようするに近い。

「陛下って呼ぶ、なあぁ……」

決まり文句の途中で欠伸が出た。
耳元でコンラッドがくすくすと笑う。だから、顔が近いんだって。

「ロードワークへ行くんでしょ?ユーリ」

そう言う彼は既に行く気満々のジャージ姿だ。サイズが合っていないせいで男前が台なし。
それでも首から上はいつもの爽やか笑顔である。

「行く」

つられて頬を緩めながら答えた。
今日もいい天気だ。だって部屋の中が明るい。晴れた日の朝はワクワクする。

「では起きてください」

ジャージの上下を放られた。
難なくキャッチして布団を跳ね退ける。

「着替え、手伝いましょうか?」

「いらないって!」

そんなに早く出掛けたいのだろうか。答えを待たず伸びてきた指から逃げる。

「それは残念」

少し引いた。

「……もしかして脱がせたかったんデスカ?」

「変質者を見るような目で俺を見るのは止めてください」

「ああごめん。あんたもそっちの気があるのかなとか……ちょっとだけ不安になっちゃって」

「そうだったら嫌?」

「ええと……その、嫌、とかじゃないんだけど」

「それはよかった」

相変わらず爽やかににっこりと笑われる。

――あれ?暗に肯定してる?

疑問を口に出す前に、

「それより」

コンラッドが急かすように言った。

「急いで着替えないとロードワークする時間がなくなっちゃいますよ」

「そうだった!」

慌ててボタンに指をかける。どうせずっと城の中に閉じ込められるのだから、朝くらい思い切り運動しておきたい。

「中庭に寄ってキャッチボールもしようか」

「うん!するする!」

グラブとボールを引っつかんで部屋を出た。少しくらい朝食に遅れても、皆は許してくれるだろうか。

廊下には誰もいなかった。いつもなら早朝でも深夜でも、見張りの兵士が立っているはずなのだが。

「……ユーリ?」

足を止めたおれにコンラッドが、後ろから怪訝そうな声を掛ける。
ゆっくりと目に映る全てが溶けていく。

ああ、夢か、と思った。誰もいないことは判りきっていたから、おれは振り返らなかった。

代わりに時間を巻き戻す。
おれはまだベッドの中にいる。



――陛下、朝ですよ。

――陛下って呼ぶな、名付親。

何度見ても飽きない夢だ。

――陛下、早く起きてください。

――名前で呼ぶまで起きないからな。

それにまだ目を開けたくない。開けたら何もかも終わる気がする。

――ユーリ。

困ったように笑う声が耳を掠めた。それっきりだった。



「……コン、ラッド……」

「それってウェラー卿のことでしょう?」

張り付く瞼をこじ開けると、現実の声が耳に飛び込んできた。
こじ開けたけれど、何も見えない。真っ暗闇だ。世界が明るくても暗くても、今のおれには見えないんだった。

「ユーリはウェラー卿に会いたいの?」

無邪気で残酷な少年の声が、矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。

「どうしてあなたは大シマロンの人間とそんなに親しいんだろう?」

細い糸のような白に近い金髪が、頬を擽ってはらりと落ちる。彼も顔が近いなと思う。だからどうという訳でもないけれど。

「……サラ」

もしおれに答える気があったとしても、掠れた声で少年王の名前を呼ぶ他には、何もできそうになかった。

「ねえ、また夢でも見たの?どんな夢?」

忘れたよと呟いて体を起こす。喉がカラカラに渇いているから、声なんて殆ど出ないのだ。それでも、足だけは動かすことができる。

「もう少し休んだら?」

追い掛けてくる声に振り返らず頭を振る。
前に、進まないと。何も追ってこられないところまで。

「まだ歩くの?」

「ああ」

迷いなく頷いた。

歩くさ。
歩くことしかできない。
夢に逃げても虚しいだけだ。
名付親で始まる一日なんて、もう来るはずがないのだし。

あの派手な大シマロン軍服より、ダサいジャージの方がよっぽど似合ってる。



END

2013.9.20

title:capriccio




back



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -