ありふれた夜に

ぺたぺたと胸に手を這わせる。残念ながら女の子の柔らかい胸ではなかったが――そんなもの一度も触ったことがない――おれはこのがっちりして頼もしい大胸筋に触るのが一番好きだ。サービスなのか時々ピクピク動くのもいい。

「あのー、坊ちゃーん?」

「なに?」

少し困ったような声に返す生返事。
頭の中は素晴らしい筋肉に対する憧れや賛美でいっぱいだ。

「そろそろ満足しましたー?」

「もうちょっと」

大人のキスに気を取られているうちにパジャマの上を脱がされて、負けじと彼の服にも手を掛けて。
その後はいつも気が済むまで恋人の見事な筋肉に触る。

先日、彼の上腕二頭筋や大胸筋について熱く語っていたら、とうとう親友に言われてしまった。

――きみってもしかして筋肉フェチ?

否定できなかった。
付き合う前は遠慮もあり、腕の筋肉くらいしか触れられなかったが、今では直接触り放題だ。彼の体ならばどんなに触れていても飽きないと思う。

はぁ、と羨望の篭った溜め息をついた。違う意味の篭った溜め息が降ってくる。

「そんなに無邪気な顔見せられちゃあ、オレも手を出し辛いんですが」

深い溜め息で胸部がゆっくりと動いた。
ぺたぺた。おれは大胸筋に触り続ける。
確かに彼曰くの「お布団の上」ですることではないのだけれど。
行為に慣れないおれとしては、そういう空気に対する気恥ずかしさなんかもあったりして、毎回ぐずぐずと子供っぽい振る舞いを続けてしまうのだ。

ヨザックはもう一度短く息を吐き出した。

「自分の筋肉に妬けてきそうですよ。いっそ落としちゃおうかしら」

まずは腕から、と冗談とも本気ともつかない口調で恐ろしいことを言う。

「だめだめ!絶対許しません!」

例え冗談でも言っていいことといけないことがある訳で。

「おれの大好きな上腕二頭筋になんてことすんだよ!」

おれが慌ててそう返せば、彼は珍しく拗ねたような顔を見せた。

「大好きって、筋肉だけですか?」

「……え、えと、もちろんヨザックも……」

俯いて口の中でもごもごと続ける。

「……大好きだけど」

途端、目の前の顔がふわりと綻んだ。

「ありがとうございます。もちろん、オレも坊ちゃんのこと大好きですからね」

「知ってるよ」

改めて言われると照れてしまう。
胸に当てたままだった掌が、彼の手によって外された。

「もういいでしょう?オレにも触らせてくださいよ」

軽く両肩を押されればシーツの上だ。仕切直しの合図に口づけられる。

「……ん、ぅ」

見上げた先、ヨザックが唇の端を引き上げる。

「今夜も散々煽ってくれましたね、坊ちゃん?」

どちらのものか判らない唾液で濡れていた。

「そんなこと、してない」

肌触りのいいシーツに頬を押し当てて、答える。
今度は晒してしまった首筋に唇が寄せられる。

おれみたいな恋愛初心者にとって、こういうのはやっぱり恥ずかしい。







ポタリと背中に彼の汗が落ちた。不快には感じないけれど、刺激に敏感になった肌が粟立つ。
動けずに力なく転がったままでいると、湿った髪をそっと梳かれた。軍人らしくない優しい手つきだった。

「坊ちゃーん、大丈夫ですかー?」

しかしこれは何とかならないものか。

「その呼び方、やめてくれる?」

顔だけ彼に向けて文句をつける。
事後にまで「坊ちゃん」なんて呼ばれたくない。

「じゃー、陛下?」

「余計、嫌だ」

「ユーリ陛下?」

「陛下はいらないって。おれ、今は王様じゃないつもりだし」

「では、ユーリ様?」

「それ、なんの嫌がらせ?」

駄々をこねる子供のようだと思うけれど、恋人としては当然の要求だ。名前で呼ぶ、なんてお付き合いの第一段階くらいでクリアしておくべき要項だろう。と、おれは主張したい。
ムッとして軽く睨みつけると、ヨザックは気まずそうに目を逸らした。
ややあって言う。

「……今さら、ユーリ……なんて恥ずかしいじゃないですか」

「あ……」

――今、さりげなく呼んでくれたんだよな?

擽ったくて、えへへと笑う。
彼が必要以上に照れているせいで、こっちもそれなりに恥ずかしい。
けれど想像していたより、ずっとずっと嬉しかった。



END

2013.9.4




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