右、左、下

流れ着いた先は石造りのお洒落な屋外プールだった。Tシャツ短パンで浮かんでいるのが申し訳なくなるような。
せっかく夏真っ盛りのプールなのに、水着のお姉さんは一人も見当たらなかったけれど。

「おかえりなさい、陛下」

代わりに一番会いたかった人が立っているから、おれにはそれだけで十分なんだ。







彼のところまで泳いでいって、わざとらしく不機嫌な表情を作って言う。

「ただいま、名付親!」

特に後半を強調。
途端、コンラッドは破顔して、「おかえり、ユーリ」と返してくれる。彼は名前で呼べと催促されるのが好きなのだ。きっと。

水を吸って張り付くTシャツを、苦心しながら脱ぎ捨てる。今回の出迎えは彼一人のようだ。

「ところでユーリ」

濡れた体を柔らかいタオルで包み込んでくれながら、コンラッドがそう切り出した。

「なに?」

彼の視線はプールの真ん中辺りに向けられている。

「あれはあなたの荷物ですか?」

「あれって?」

何のことか判らず振り返る。
確かに異質な何かが見えた。明らかにこの世界のものではない、スーパーの店名入りレジ袋。
緑の皮が水面から数センチ覗いている。

「あー……」

少し困った。

「一緒にスタツアしちゃったのかぁ」

いや、あれが無人の川辺に置き去り状態でも困るけれど。
興味津々な彼に正体を教えてやる。

「スイカ」

「スイカ、ですか」

「えーっと、英語だとウォーターメロン?お袋に頼まれて買ったんだけど」

NASAのお陰で地球文化に詳しい恋人は、「夏ですねえ」と言って目を細めた。



渋谷家で食べるはずだったスイカだが、いつ、どういった状況であちらの世界へ帰されるのか判らない以上、持ち帰るのは諦めた方がよさそうだ。
と、いう訳で。

「えー、これより、眞魔国における第一回スイカ割り大会を始めたいと思いまーす!」

パチパチパチ

疎らな拍手が起こる。
早くも目隠し用の布で視界を覆われているため、開会の挨拶も全く恰好がつかない。
今回流されたのは「白い砂浜、青い海!」の観光地カーベルニコフ地方で、スイカ割りにはもってこいだったのだが。王都へ流れ着けなかったせいで、迎えに来られたのはたまたま近くにいたコンラッドだけだった。よって、参加人数は二名のみ。
しかも服を着替えたり準備をしたりしている内に、すっかり夕暮れ時になってしまった。太陽の下でやりたかったけれど、明日の朝には王都へ向けて出発しなくてはならないのだから仕方ない。
それに、たまには二人きりというのも悪くはないと思う。悪くはないのだが。
問題は別のところにあった。

「コンラッド、なんでおれの前に座ってんの?」

例え目隠しをされていても、唯一の観客がどこにいるのかは声の聞こえ方で判る。

「駄目ですか?」と聞き返された。
どうやらNASA仕込みの地球知識項目に、スイカ割りは含まれていなかったらしい。

「スイカと間違えてうっかり殴っちゃったらどうすんだよ」

「別に殴ってもいいですよ?」

笑いを含んだ声で言われたい台詞ではない。
不安になって、恐る恐る聞く。

「……まさかこっちでは棒で殴ると愛の告白になるとか、ないよな?」

「さすがにそれはありませんね」

可笑しそうに笑われた。

「愛の告白なら口で言われたいし」

平然と続けられた言葉は聞かなかったことにしておこう。

「あのなぁ!」

おれは何とか気を取り直し、彼がいるであろう場所へ向かって文句をつける。

「にやにや笑って見てるのが観客の役目じゃないんだぞ」

「では、何をすれば?」

「右ーとか左ーとか好き勝手なこと言って、助けたり惑わせたりする、とか?」

彼の生真面目な質問に、僅かに首を傾げながら答える。スイカ割りなんて暫くやった記憶がないけれど、こんな感じだったような気がする。

「判りました」

コンラッドは相変わらず座り込んでおれを見上げているようだが、殴られそうになったらさすがに逃げるだろう。たぶん。

「ではユーリ、もうちょっと左です」

ルールを飲み込んだ彼からさっそく指示が来た。

「う、うん」

なんか違うんだよなぁ、と思いつつ。
あと一歩。右斜め前。指示の通りに移動する。

「はい、そこで下を向いて屈んで」

素直に従ってから、スイカ割りの指示としてそれはおかしいんじゃ、と気付いた。後の祭りだ。
髪に長い指が差し込まれ、くい、と軽く引き寄せられる。

「う、わっ」

バランスを崩して砂に膝をつく。

逃げる隙もなく唇が重なった。一気に顔に熱が上る。

――こんな場所で何てことしてくれるんだ。

「……っコンラッド!」

「すみません、つい」

すぐに離れた彼が悪びれず飄々と言う。
湿った唇を尖らせる。

つい、と言えば何でも許されると思っているんじゃないのか、この男は。







「……割れた?」

「はい。綺麗に割れてます」

一度触れて満足したらしいコンラッドの正確な指示出しのお陰で、盛り上がりに欠けるスイカ割りはつつがなく終了した。

「けっこういいものですね」

しみじみ、彼が言う。

「だろ?日本の夏の風物詩!」

こんなことでスイカ割りの面白さが伝わったのかどうかは疑問だが、自国の文化を褒められるのはそれなりに嬉しい。

「いえ、そっちではなく」

嬉しかったのに否定された。

「これです」

そう言ってコンラッドが触れたのは、依然目隠しに使われている布だった。
スイカは無事に割れたことだし、いい加減外してほしいのだが。
彼は外すどころか冗談とも本気とも取れる口調で、とんでもないことを言ってくれた。

「今度やってみますか、目隠しプレ……」

「変な趣味に目覚めるのは止めろ!」

問題発言に喚き返す。

「早く普通にスイカ食べようよ!」

しかも、今一番の問題は。

「ユーリが先では駄目ですか?」

「後も先も駄目!」

「酷いなぁ」

彼に変な結び方をされたせいで、どんなに格闘しても目隠しが外れないこと、だったりする。



END

2013.8.29




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