走って、
閉ざされた扉の向こうからは、今夜も彼の声が聞こえない。
開けてもらえない扉の前で、黙って膝を抱えている。話し掛けてみようと思ったのだけれど、言葉を見つけることができなかった。
──ごめん。
それ以外に何が言えるだろう。
名前くらい呼んでみようとも思ったのだけれど、返らない声に悲しくなるから、結局飲み込んで唇を噛んだ。
おれのせいじゃないと皆は言う。コンラッドもグウェンダルもヴォルフラムも。誰もおれを責めたりしなかった。
――責められないからって現実は変わるのか?
冷たい床から寒さが這い上がってくる。膝を抱く腕に力を込める。
眠り続ける彼はもっと寒いのだと思う。
それとも寒さなど感じない?
――あなたは走るんです、陛下。
ずっと耳に残っている彼の声。
走れないよと呟いた。
あんたがそんなんじゃ走れない。
「陛下、またここにいらしたんですか」
バサリと温かい何かが降ってきて、おれは寒さで固まった身体を揺らした。
「…コンラッド」
降ってきたのは彼の上着だ。温もりと微かな香りが残っている。
すっぽり被った布の下から、名付け親の顔を窺った。
「廊下へ座り込んだりして。そんな薄着では風邪をひいてしまう」
心配そうな顔で言った後、かいがいしく上着を羽織らせてくれる。
何を言えばいいのか判らなくて、再び扉へと背中を預けた。
「最近、顔色が優れないようなので。眠れていないのかもしれないと思って、部屋まで様子を見に伺ったのですが」
「……そうなんだ」
「それに、昼間もここにいたでしょう」
「……うん」
軽く眉を寄せたコンラッドは、「まさか」と確認するように訊いてくる。
「昨日の夜もここに座っていた、とか言いませんよね?」
「……昨日もっていうか」
小さな声で答える。
「ずっとだよ」
深いため息が返ってきた。もっと早く気付くべきだったと悔やんでいるらしい。
おれが勝手にしていることだし、城内だから危険がある訳でもないし。彼が気に病む必要なんてないのに。
おれの勝手で、自己満足だ。
おれが夜通しここに座り続けたって、何の意味もないことは解っている。扉ごしで癒しの魔術が効くとは思えないし、そもそも魔術で心は治せない。
散々説明を受けたどうしようもない事実だ。
おれが何をしたってヨザックは元通りにはならない。アニシナさんも手を尽くしてはくれたけれど。
今は待ち続けるしかないのだ。
「自分のためにあなたが身体を壊したと知ったら、あいつはきっと悲しみますよ」
床に片膝をついたコンラッドが、おれの冷えた両手を包んで言った。
「……うん」
彼の手も同じくらい冷えていた。
「うん、それは、判ってんだけどね」
それでも体温は伝わってきて、左手からも伝わってきて、コンラッドは確かに生きてるんだよなと思って。
なんだか泣きそうになってしまった。
「こうやって毎晩ここにいたらさ、グリ江ちゃん、優しいから……逆におれのこと心配して目覚ますんじゃないかとか」
武人らしく傷のある大きな手に、そっと頬を押し当てる。
「考えてたの」
怪訝そうな顔で扉を開けて、思いっ切り呆れ返ったような声で。
坊ちゃん、いったい何してるんです? って。
言ってくれるんじゃないかって。
「全然、うまくいかなかったんだけど」
彼の手を解放して口の端を上げる。
何だか泣き笑いみたいになってしまった。
「……ユーリ」
人差し指で濡れた目尻を拭った後に、コンラッドも扉へ寄り掛かって座り込む。
回した腕で抱き寄せられる。温かい。
こてんと肩へ頭を預けた。
やっぱり言葉が見つからない。彼も何にも言わなかった。
きっといつか目、覚ますよな?
クリスマスの絵みたいなグリ江ちゃんの笑顔、あれで見納めってことはないよな?
絶対大丈夫だなんて根拠のない気休めは、もう聞きたくないし言えそうにもないのだ。
暫くそうして彼と座っていて、ふと冷静さが戻ってみれば、これは男二人が廊下でとっていい体勢ではないだろうということに気付く。
身じろいで離れようとした。いっそう強く抱き寄せられた。
更に近くなった顔が茶化すように笑う。
「こんなことしていたら人の部屋の前で何を…って、出てきてくれそうなんですけど」
おれも少しだけ笑って返した。
「ヴォルフラムじゃないんだからさ」
時を告げる鳥が鳴いている。
目覚まし代わりの一番鳥。
薄暗かった廊下に陽が差して、眠れないまま今日も朝がくる。
「部屋で少しでも休みますか?それとも、」
走りますか、とコンラッドは訊いた。
END
2013.3.14
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