Present xxx.

きつい酒を煽りながら漏らした一言に、腐れ縁の昔馴染は目を瞠った。
静かにグラスを下ろして聞いてくる。

「坊ちゃんのこと、諦めたのか?」

下の酒場の喧騒が微かに耳に届く。

「まさか」

迷わず、そう答えた。
諦められる日なんて一生こないだろう、けれど。

「いつか手に入るかもしれないと、そう思うことをやめただけだよ」

面白くなさそうにヨザックが鼻を鳴らした。







早朝だろうが真昼間だろうが深夜だろうが、厭味なくらいいつでも爽やかな男前から、今朝は珍しく酒の匂いがした。

「もしかして昨日遅くまで飲んでた?」

「……判りますか?」

途端、彼は気まずそうな表情を浮かべる。

「すみません」

「いや、いいけどさ」

彼にしては珍しかったから尋ねてしまっただけで、不快に感じた訳ではないのだ。
走るペースを少しだけ落とした。

「二日酔いなら無理して早朝ロードワークに付き合ってくれなくてもいいのにって、言いたかったの」

「別に俺のことなんて心配しなくていいんですよ」

コンラッドはアルコール臭に似合わない爽やかな笑顔で答える。

「こうやってあなたと二人きりで過ごす時間を、俺は毎日楽しみにしてるんです」

「……そっか」

嬉しいだとか、おれもこの時間が好きだとか。何故か口にすることができなかった。
何となく気恥ずかしくて、けれど浮足立つような気分で。

最近はいつもこうなのだ。コンラッドの何気ない一言に、過剰反応して振り回される。

――なんでだろ。

大賢者様にでも聞けば判るだろうか。



言葉を探している間に折り返し地点へ着いた。おれは城壁にタッチして、元来た道を戻ろうとする。しかし連れは足を止めたまま動かない。

「コンラッド?」

「……そういえば」

彼が話を切り出した。とてもたった今思い出したようには見えない顔をして。

「あなたに話があるんです」

妙に真面目な声だった。

「なんだよ、改まっちゃって」

壁へ寄り掛かってコンラッドを見上げる。
長閑な朝で、空は晴れていて、おれは完全に油断していた。何を言われたのか全く理解できないくらいに。

「結婚することにしました」

と、コンラッドは言った。

「……けっ、こん……?」

けっこん、ケッコン、血痕……

それはサスペンスドラマやらミステリー漫画やらの殺人事件現場とかにあるアレですか、と大真面目に聞き返しそうになった。
数秒後、結婚という文字が真っ赤なゴシック体でドーンと頭の中に浮かぶ。
余計どう反応すればいいのか判らなくなった。

コンラッドが、結婚。誰か、知らない女の人と。

こんなに毎日近くにいるというのに、おれは彼に恋人がいたことすら気付くことができなかった。

「ま、まぁ、考えてみればあんたもいい歳だもんね」

だいぶ遅すぎる反応になった。

「八十代のヴォルフが適齢期だって言うなら、相当逃しまくってるし」

何故だか探るような視線を感じる。
彼が求めているはずの答えを探した。名付子として不自然でない答えを。

「で、相手はどんな人?」

興味津々といった顔で、明るく矢継ぎ早に質問をぶつける。

「どんな人、と聞かれても……」

照れているのだろうか。彼は少し眉を下げて口ごもる。

「やっぱり美人?まさか魚人姫じゃないよな?」

答えを知りたいとも思わないのに訊き続ける。
何か言ってくれないとすぐにネタが尽きてしまう。

「ええと……あんたのギャグには笑ってくれる?」

おれが苦し紛れに捻り出した、四つ目のどうでもいいような質問を聞いた途端、

「そんなこと言ったりしませんよ」

コンラッドが心底おかしそうにくすりと笑った。

何で彼が唐突に笑い出したのか判らない。判らないこと、知らないことだらけだったんだなと今更思う。

銀の光が散る瞳の持ち主が、優しさを湛えたそれでおれを見つめて言った。

「俺が笑わせたいと思うのはあなただけです」

だったら結婚なんてするなよ。

思わずそう言ってしまいそうになって、慌てて唇の内側を噛んだ。
どうしてこんなにもやもやするんだろう。おめでとうと言えなかったんだろう。
そうだ、真っ先に「おめでとう」と言うべきだったんだ、おれは。

名付親の結婚を素直に喜べない理由が、おれには全く判らない。







「坊ーっちゃん!」

「……うえっ、な、なに?」

急に声を掛けられて飛び上がった。振り返るとお庭番が立っている。
夕日を受けた癖のある髪は、燃えるようなオレンジだ。

「坊ちゃんこそなんです?素っ頓狂な声出して」

「あー、ごめん。ぼーっとしてたからさ」

朝からずっとこんな調子だった。問題の護衛が城を出ていたことが唯一の救いか。
しかし鬱屈の原因が不在であっても十分ぼんやりしていたものだから、体調が悪いのだと誤解されて、昼過ぎに執務室を追い出された。こんなことで執務が手につかなくなるなんて王様失格だ。

「お部屋でゆっくりお休みください」と、例によって過保護な王佐は目と鼻から汁を垂れ流しながら言っていたが、そんなところへ引きこもっていたらますます気分が塞ぐ。城内で人の来なそうな場所を探したつもりだったのだけれど、結局はヨザックに見つかってしまった。

「こーんなところで黄昏れちゃって……どうしたんですか?」

気付けば日は沈み始めていて、あれから何時間経ったのだろう。
考えていたことはひたすら一つだけだ。

「コンラッドが、結婚するんだってさ」

気付いたら、ぽろりと口にしてしまっていた。

「あー、そうみたいですねぇ」

ヨザックは驚くでもなく返してくる。

「知ってるんだ。さすが幼馴染」

それともおれが知らないだけで、とっくに周知の事実なのだろうか。

「いいえー、優秀な諜報員だからですよ」

「自分で言うのかよ……」

つい、突っ込みを入れてしまった。
確かにヨザックの優秀さはよく知ってるけどさ。

彼ならコンラッドの結婚話についての情報も、色々と持っているのだろうなと思う。
尋ねる代わりに深い溜め息を吐き出した。
それをどう解釈したのだか、欄干に肘をついたヨザックが聞いてくる。

「坊ちゃんは反対なんですか?」

「反対なんて、してないけど」

たぶん、反対とか賛成とか、そういうことではない気がする。

「なんでそんなこと言うの?」

「いやあ」

ふに、と頬を突かれた。

「何すんだよ」

手を引っ込めて彼は言う。

「浮かない顔をしてらっしゃるから」

そしてどうにも憎めない顔でにっこり笑った。
いつもと変わらない陽気なお庭番の口ぶりに、少しだけ肩の力が抜けた。

「まぁ、ちょっと引っ掛かってはいるよ。唯一の欠点を隠したまま結婚するなんて狡いというか……不誠実だと思う」

「欠点?」

「破壊的にギャグが寒いこと。コンラッド、ギャグで笑わせたいのはおれだけなんて言うんだ」

そんなものおれ限定で披露されても全然嬉しくない。
どっかずれてるんだよなあの人、と思ったらまた溜め息が出た。

「……坊ちゃん」

不意に真面目な声で呼ばれる。思わずヨザックの顔を見た。

「それだけですか?」

「……え?」

「ウェラー卿の結婚話について、坊ちゃんが思うことは本当にそれだけ?」

今朝も同じものを見た覚えがある。何かを探ろうとしている目。

「……どういう意味だよ」

コンラッドといいヨザックといい何なんだ。おれに何を言わせたいんだ。

「アイツが結婚したら、今まで通りって訳にはいかないんですよ。四六時中坊ちゃんにべったりじゃあなくなるだろうし、ろーどわーくにも付き合ってくれなくなるかも……」

それ以上、聞いていられなかった。

「判ってるよ!」

考えないようにしていることを無遠慮にぶつけられ、まずいと思いながら語調が強くなる。

「今のままでいられる訳ないことくらい判ってる」

今まで当たり前に受け取ってきたものが、他の誰かのものになってしまうことくらい。
その誰かと過ごす時間の方が楽しみで幸せで、ずっと守っていこうと思う。それが結婚するってことだろう。

「坊ちゃん……」

気遣わしげな声がいたたまれない。

本当の親子ならよかったのかもしれない。それとも兄弟だろうか。
何だか違う気がする。
そうじゃなくて、そういうのじゃなくて。

「で、でもさ」

取り繕うように慌てて続けた。

「おれもいい加減名付親離れしなきゃって思ってたし、うん、ちょうどいいと思う」

そう、自分に言い聞かせる。
ウェラー卿コンラートはおれの名付親で、こちらの世界における保護者でもある。
野球仲間で、一番の味方で、親友で。どんな単語を並べたとしても表し切れないくらい、おれにとって大切な存在で。
それなら尚更「おめでとう」と言えないのはおかしい。

「ちょうどいい、ねぇ……」

ヨザックはつまらなそうに零して、頭の後ろで手を組んだ。そのまま柱に寄り掛かる。

「結婚してほしくないならするなって、一言言ってやればいいんですよ」

そんなこと思っていない、とは即答できなかった。

「……おれにそんなこと言う権利はないよ」

「ありますって。坊ちゃんは魔王陛下なんですし。それに何よりアイツの世界は、陛下中心に回っていることですし?」

冗談めかした言葉にかぶりを振る。

「でも、これからは生涯の伴侶を中心に回るんだ。そうだろ?」

ヨザックは、特に表情を変えないまま黙っていた。

「コンラッドには幸せになってほしい。おれの変な我が儘で邪魔したくない」

子供じみた独占欲で彼を縛ってはいけない。
立派な王になろうとしているのに、これでは元の木阿弥だ。むしろ前より悪いだろう。
へなちょこ王改め我が儘王?最低だ。

「本当に、幸せになってほしいと思ってるんだ」

繰り返した言葉はやけに薄っぺらく響いた。まるで嘘でしかないみたいに。

「……坊ちゃんて、意外と強情なんですねえ」

何故か溜め息をつかれてしまった。
失敗だったかなと呟く声が聞こえた気がしたけれど、

「それじゃ、オレはここら辺で失礼しますね」

「あ、うん……」

ヨザックがくるりと背中を向けたため、独り言が含んだ意味については問い質し損ねた。







兵舎で見つけた申し訳程度のバルコニーで、柱との隙間に身体を押し込んで、ぼんやり夕焼けを眺めていた。完全に日が落ちたら帰ろうと決めた。

「おめでとう」と言えなかった理由から目を逸らすように、変わっていく空の色を見上げ続ける。

幸せになってほしいのは本当。
結婚してほしくないのも、認めたくないけれど本当。
おれじゃダメなのかなとか、おれといるんじゃ幸せになれないのかなとか。

コンラッドはおれを笑わせるだけで、コンラッドが笑うのは知らない誰かのお陰で、おれは何にもできないんだろうか。


――おれが、幸せにしてあげられたらいいのに。


何度目か判らない溜め息を吐き出してから、ふと、我に返った。
ゴン、と手摺に頭突きした。じんじんする。それなりに痛かった。

「あー……」

何だかおかしなことを考えてしまった気がする。
ぐったり足元に視線を落とせば、影が石廊下に溶け始めていた。戻らないと、と思いつつまだ動けない。
もう一度手摺に額を押し付けた。



「……ユーリ?」

今は会いたくない人の声がする。それから近くなる足音も。
弾かれたように顔を上げた。

「コンラッド……」

「こんなところにいたんですね。これじゃ、見つからないはずだ」

何となく顔を見ることができなくて、意味もなく手摺を抱えながら答える。

「ヨザックにはあっさり見つかっちゃったんだけど」

「あっさりではありませんよ」

彼が隣に立つのが判った。

「あなたが姿を消してから、何時間経ったと思っているんです?」

呆れたような声だ。
一応、怒ってはいないと思う。たぶん。

「手の空いた城勤めの者総出で捜し回っていたのに」

「え?おれ捜されちゃってたの?」

「医者を連れてきたのに肝心の陛下がお部屋にいらっしゃらないと、始めにギュンターが大騒ぎしましてね」

部屋にいることになっているのだから何処へ行っても平気だろうと踏んでいたが、そういえば教育係の存在を忘れていた。

「ギュンターが勝手に暴走しただけで、体調は悪くないんですよね?」

そこらへんはよくあることなので、説明するまでもなく名付親は事情を理解してくれる。

「うん……心配かけちゃってごめん」

「謝らなくていいです。怒ってないから」

どうも前に行方をくらました時と勝手が違う。
彼の反応に内心首を捻った。

「本当に、城の中にいてくださってよかった。もしも町まで行ってしまって、陛下の身に何かあったらと思うと……」

生きた心地がしませんでしたと言われる。大袈裟な。

「別にあんたが責任感じることないだろ」

やっとコンラッドの顔を見て告げる。
確かに原因は彼の結婚話だが。おれが勝手に悶々としていただけなのだし。

「いえ、俺の責任です。俺と……グリエの」

「なんでそこでグリ江ちゃん?」

コンラッドは気まずそうに目を逸らした。

「……とりあえずお部屋へ戻りましょう。陛下がこんなところにいたら、兵士たちを驚かせてしまうから」

早口で告げる横顔をじっと見つめる。彼がどんな顔をしていて何を考えているのか、おれにはだいたい判るんだ、なんて自惚れてきたけれど、今朝からはさっぱり判らない。

「後で全て説明します」

やはり目を合わせないままそう言って、コンラッドは促すようにそっと背中を押した。







城へ向かってひたすら歩く。知らない内にずいぶん遠くまで来てしまったようだ。何せ血盟城の敷地は広い。
コンラッドは、部屋に着くまではよく判らない説明とやらを始めるつもりがないらしく、さっきからどうでもいいような会話ばかり続けている。

「そういえば」

今度の切り出しは本当に、ふと思い出した、というような口振りだった。

「もうすぐあなたの誕生日ですね」

次に彼がそんな話題を持ち出したのは、ちょうど野球場を通り掛かったからなのだろう。

「すぐってほど近くはないと思うけど。あと一ヶ月くらい先じゃん」

「判ってますよ。俺がユーリの誕生日を忘れるはずがない」

そういう台詞を言う相手は、入籍間近の恋人限定にしといた方がいいんじゃないかな、と思う。
優しい声も、その顔も。おれが彼の結婚相手なら確実に妬いている。

そんなことをぼんやりと考えていたせいで聞き逃した。

「……ですか?」

「え?」

きょとんとして見返すと、彼はもう一度繰り返してくれる。

「何か欲しいものはありませんか?」

「欲しいもの?」

「誕生日プレゼントです。ちょっと希望を聞いておこうと思って」

「別に気ぃ遣わなくてもいいって」

気付けばいつの間にか足が止まっていた。

「いらないから」

「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。俺にあげられるものなら何でも差し上げますから」

だからそういう台詞は入籍間近の恋人に……以下略。

呆れながら聞く。

「ほんとになんでも?」

「ええ」

コンラッドは悪戯っぽく答えてみせる。

「男に二言はありません」

おれが念を押すように尋ねたことで、何か口にしづらい希望の品があるのだと勘違いされてしまったらしい。

「何がいい?」

どんな希望でも叶えてみせましょうといった顔で、答えを待ち受けられている。
欲しいものなんて聞かれても困る。村田に言わせるとおれは人より物欲が薄いらしいし、実際、草野球チームの備品以外に欲しいと思うものは今のところない。
だから言葉に詰まってしまう。

「……えっと、コンラッド」

「はい?」

「あのさ、やっぱり……」

ないよと答えようとした。途中で声にならなくなった。

おかしいな。何もないはずだったのに。


『結婚することにしました』


今朝聞いたばかりのコンラッドの言葉が、頭の中をぐるぐると回り始めた。


――欲しいもの。


彼からしかもらえないもの。けれど他の誰かにあげてしまう、おれがもらえるはずのないもの。



「あんたの名字」

「……え?」

「あんたの名字が欲しい、って言ったら?」

「……え?」

ハリウッド俳優なみの男前が、間抜け面でぽかんと固まった。
おれはおれで自分が口にした言葉に動揺して、どう誤魔化そうか必死で考えていた。
いきなり飛び出した突飛な発言のせいで、やっと自覚した感情にも動揺していた。

――なんだよそれ。

出来ることなら一生気付かずにいたかった。

――こんなんありかよ。

最近彼の一挙手一投足にいちいち振り回されていたのも、彼の結婚を喜べなかったのも、それから一日中もやもやしていたのも、理由は全て同じで単純明快。
野球仲間で親友で一番の味方で、それだけで十分だと思うのに、足りない。まだ、欲しいものがある。
男としての彼が欲しかった。知らない女に譲るのは嫌だった。
彼が丸ごと欲しいと思った。いや、今までは全ておれのものだと思い込んで、すっかり安心しきっていた。

名付親に、保護者に、しかも男に、おれはいつの間にか恋していたのだ。

「……」

ついさっき自覚したばかりの片想い相手は、未だ凍り付いたように動かない。
決して報われることのない恋に悩んだり落ち込んだりするのは後にして、今は何とかこの場を乗り切らなければ。

「い、いろいろ組み合わせてみたんだけどさっ、ウェラーが一番合うと思うんだよ。一度くらい渋谷有利原宿不利ってからかわれない名前になってみたいというか……」

結婚は人生で一度きりの予定だし、そもそも今とっさに考えた言い訳である。

「……」

何かしら反応が欲しいところだが、コンラッドは開いた口が塞がらない状態から抜け出した後も言葉を発してくれない。

「あー、えっと、いや、その!冗談!冗談だから!」

それでなかったことにしてしまおうとしどろもどろに言い募り、ぶんぶん両手を振っていたところ、

「……ユーリ」

やっと口を開いてくれた彼に、何故かぎゅうっと両手を握られた。

「どちらにするか選んでください」

「……は?」

今度はこっちが口を開けて固まる番だった。
何の話だ。

「眞魔国式に左頬へ平手打ちでいくか、地球式に赤い薔薇の花束と指輪でいくか」

どうしておれは今コンラッドに手を握られているのだろう。どうしてこの男は目を輝かせているのだろう。

「あのー、コンラッドさん?」

全く理解できない。

「いったい何の話デスカ」

ウェラー卿はけろりと答えてくれる。

「プロポーズの方法」

「ちょっと待てよ!」

この国がイスラム圏に倣って重婚推奨中だなんて知らなかった。

「あんた結婚するんだろ!結婚するって決めたすぐ後に、いや、おれへの報告が一番最後だとしたらもっと前から決まっててとっくに入籍済みなのかもしれないけど!そんな時にさっそく二股かけるなんて不誠実にも程があるぞ!」

おれの捲し立てを受けたコンラッドは、虚を突かれたような顔で瞬いた後、答える。

「ああ、そんな話になってましたっけ。無事に目的を果たせたので忘れてました」

「忘れてたぁ!?」

最低じゃないか。
これでは百年の恋も冷めてしまう。残念ながら冷めてくれないけど。
確かにウェラー卿は国中に隠し子がいてもおかしくないモテ男だが、おれの知る彼はここまで人で無しではなかったはずだ。そもそも人じゃないけど。

「ええっと……」

その人で無し魔族がひとつ咳払いをした。

「今から事情を説明するので、そんな目で見るのを止めてくださると嬉しいんですが」

「そんな事情、別に聞きたくないなぁ」

「そこを何とか」

悄然とした顔で言われる。

「聞いていただけませんか」

怒っていいから。

コンラッドは狡い。
そんな顔をされたら聞かざるを得ないじゃないか。

彼が言い訳がましく続ける。

「悪いのは九割方俺ですが、一応グリエも共犯なんです」

「またグリ江ちゃん?っていうか、これってもしかしてさっきの話に繋がるの?」

「お察しの通りです。まあ、座ってください」

促されて石段に腰を下ろした。
城の明かりが届いているお陰で相手の表情が判る程度には明るいが、日はとうに沈んでしまった。周囲に人影もない。

コンラッドは、一人分のスペースを空けて隣へ座った。

「その……結論から申し上げますが……」

らしくなく歯切れの悪い物言いだった。

「嘘、なんです」

「……なにが?」

ばつの悪そうな顔で「全部」と言われた。

「全部って……」

「つまり、結婚するって言ったのは嘘ってことです」

「……結婚、しないの?」

「しません」

「ホントに?」

「本当にしません」

我ながらしつこいとは思ったが、騙されていたらしいのだから疑い深くなってしまうのは仕方がない。しかもヨザックと二人掛かりで。

「……なんでそんな質悪い嘘ついたんだよ」

当然の疑問だった。

「おれ、けっこうショックだったんだぞ」

「すみません」

コンラッドは苦しそうに謝罪して俯いた。また、そんな顔をする。それ以上責められなくなってしまう。

「で、グリ江ちゃんがどうしたって?」

仕方なくこちらから話を促した。

「……昨日の夜、酒場の上の宿でグリエと飲んでいて……うっかり飲み過ぎたらしく……」

つまり、酔った彼が幼馴染に嫌がられながら叶わぬ恋についてひたすら語っているうちに、日頃の鬱屈とした想いが膨れ上がり噴出して自棄になり、いっそ他の誰かと結婚してしまおうかと漏らしたところ。

「ちなみに、一応補足しておきますが俺の片想いの相手はユーリです」

「……う、うん」

とにかく、いっそ結婚してしまおうかと漏らしたところ、ヨザックがこう言ったらしい。

――自棄おこす前に試してみたらどうだ?

「陛下はとても鈍いから、女と結婚する、くらい言ってやらないと、万が一恋愛感情を持っていたとしても自覚できないんじゃないかと」

それはまた酷い言われようだ。不本意ながら真実を突いていた訳だが。

「それを試してからでも遅くないと言われて。勿論あなたを騙すことに迷いはあったんですが、酔った勢いと、それから……
どうしても、ユーリの気持ちを知りたいと思ってしまったんです。朝になって酔いが醒めても変わらなかった。一日限りの嘘のつもりだったんです」

尤も全く脈なしだったら自棄で見合いくらいしていたかもしれないけど、と付け加えて、コンラッドは長い告白を終えた。
そして恐る恐る聞いてくる。

「……ユーリ、やっぱり怒ってます?」

「……」

あまりのことに何と答えていいのか判らなかった。

「陛下のお怒りを買ってしまったのですから、謝罪は幾らでもさせていただきますが……」

「……」

「……とりあえずめでたく両想いだと、そう思ってもいいんですよね?」

辛うじてこくりと頷いた。

「よかった」

彼が、心底安心したようにホッと息をつく。
おれはまだ顔を見ることができない。

「お詫びに何でも差し上げます。手でも胸でも命でも」

相変わらず何もかもくれようとする彼が言う。

「……だから、」

小さな声でぼそぼそと反論した。

「そういうのはいらないって」

「もちろん俺の名字でも」

「……その発言は忘れてくれ」

「嬉しかったので一生忘れません」

意地悪め。アレは本当に失言だった。

「名字とかはおいといて!」

慌てて話題の転換を試みる。

「と、とりあえず誕生日!誕生日に欲しいものがあるんだけど!」

ややこしい話が始まる前まで話題を巻き戻した。

「なんです?」

「え、えと……」

すかざず聞かれてやっぱり口ごもる。
咄嗟に思い付いたものは残念ながら一つだけだった。
背に腹は代えられない。熟慮せず採用。


「        」


おずおずとこっそり耳打ちする。
いきなりこんなことを言ったら引かれるかもしれないが、名字をくれ発言と比べればごく普通の希望だろう。
枯れたアラ百男と違って、一応お年頃の若者な訳ですから。

「喜んで」と言って彼は破顔した。
笑んだままの顔が寄せられて、あっという間にピントが合わなくなって、一ヶ月早いよと思いながら目を閉じる。

唇は焦れったくなるくらいゆっくりと重なった。

「……ん」

前倒しで受け取ったプレゼントは少しかさついていて、彼の唾液の味がした。







「……というか普通いきなり舌入れる?」

「すみません、つい」

コンラッドは悪びれなく笑っている。「すみません」なんて絶対に口だけだ。
おれはあまりの生々しさにクラクラして、ぶっ倒れそうになっているというのに。
再び彼の顔が近付いてくる。今度こそ触れるだけの素早いキスだった。

恋愛経験値に差がありすぎて、早くも先行きが不安である。



END

2013.7.29




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