消耗してゆく
「やはり国一番の医者を呼ぶべきなのでは!?」
「お言葉ですが閣下、どんな医者を呼んだところで治しようがないですよ」
執務室の前を通りかかったら、何やら深刻そうな会話が耳に飛び込んできた。
「それよりも地球へ戻られた方がいいのではないですか?医療技術はあちらの方が発展しているようですし」
中にいるギュンター、ギーゼラ親子が誰について議論を交わしているのか理解した途端、思わず溜め息が出てしまう。
「しかし陛下はあちらへの移動の際、水の中を通られるのですよ。お体を冷やしてご病気が悪化したらと思うと……」
そこまで聞いて我慢しきれなくなった。
コンコン
開けっ放しのドアを一応ノックしてから、
「あのさあ、ギュンター。ギーゼラも」
おれは会話へ割り込んだ。
「何だよその大袈裟すぎる話。まるでおれが重い病気にかかってるみたいじゃないか」
「陛下!」
「ただの風邪なのに」
うんざりと続けて乾いた咳をする。
「陛下、お部屋でお休みになってくださいと、再三申し上げましたのに」
「一日中寝込んでられるほど具合悪くないってば」
十日近く前から咳と微熱が続いていた。慣れてしまったから別段辛くはない。平熱が上がったと思えばいいだけのことだし。
「しかし顔色が優れないご様子で……もう一度、今度はギーゼラでなくちゃんとした医者に……」
「ギーゼラは立派な女医さんだし、もう一回診てもらう必要もないよ」
問題は、過保護な教育係の方だろう。毎日隙あらば汁垂れ流し状態で心配してくる。おれはそんなギュンターの方が心配だ。いつか干からびてしまいそうで。
しかし、いつでも心配性なギュンターはともかく、ギーゼラにまで深刻な顔をさせてしまっているのにはそれなりの理由があった。治癒魔術が効かなかったのだ。
おれも初日は自己回復能力を向上させるためと言って、人に診せることを丁重に断った。三日続いた頃ギュンターに泣きながら懇願されて、仕方なくギーゼラのところへ行った。
けれど、まるで効き目がなかった。
『治ったら何をしたいですか?』
柔らかい声で何気ない問いを投げ掛けられた時、できないことしか浮かばなかったのだ。
したいこと。
コンラッドとキャッチボール。
じゃなかったらグリ江ちゃんをお供に城下街探索?
以前なら当たり前のようにできたこと。今は決して言えないこと。
ウェラー卿は大シマロンにいる。ヨザックはおれのせいで意識不明の重体。
自分を責めてはいけないと言われたけれど、他に誰を責めればいいのか判らない。
沈みがちな思考を振り払う。せっかくギーゼラが元気になるための気力を引き出そうとしてくれているのに、落ち込むことばかり考えてどうする。
何とか前向きな答えを引っ張り出す。
「……王様として、しっかり仕事がしたい。国のことをもっと勉強して……ギュンターの個人授業も真面目に受ける」
偽りなく、今、一番したいことだ。
「あぁ陛下……なんという御立派なお言葉でしょう……」
感動で目を潤ませた教育係とは対称的に、ギーゼラは少し困ったような顔で言った。
「いえ、陛下。私がお聞きしたかったのはそういったことではなく……」
そんな訳でおれの風邪はまだ治らない。
けほけほと咳をする。ギュンターが背中を摩ってくるけれど、咳き込むほど酷くはない。喉も痛くならない。
「いいですか閣下、今の陛下に必要なのは最高の医者ではなく、治そうとする気力を引き出してくれる人なんです」
またもや暴走し始めそうなギュンターを、そんな言葉でギーゼラが宥める。
お会いになりたい方はいらっしゃいませんか、と聞かれた。
「グレタお嬢様を留学先から呼び戻しましょうか?」
「そんなことしなくていいよ。風邪うつしちゃったら可哀相だから」
例えグレタが国内にいたとしても、決して傍には寄らせないだろう。何せ大切な愛娘だ。
「では、御尊父や御母堂はどうでしょう?お会いになりたいのでしたら、どうぞ地球へお戻りください。ただし防寒対策は万全にして!」
「濡れたら何着てても同じだよ」
会いたい人ならいる。すぐに優しいあの笑顔が浮かぶ。でも、言えない。
彼に会えば治る気がする。根拠もなくそう思う。
前に熱を出した時だって、夢の中で彼と会ったらすぐに治った。
そういえば、最近彼の夢を見ていない。あまり寝ていないせいかもしれない。眠ると真っ暗な夢を見る。
おれの心を読んだ訳ではないだろうが、
「……それでは陛下」
ギュンターは怖ず怖ずと三つ目の提案を口にした。
「やはり、コンラートに……」
ぼんやりと聞く。
「なんで、コンラッド?」
「一番親しかったでしょう?会いたいのではないですか?」
頷きそうになるのをぐっと堪えた。
かぶりを振る。
「コンラッドには言っちゃ駄目だ」
彼の事情も立場も知っているのに、会いたいと駄々をこねるなんて幼い子供同然だ。
「今、国のために大事な仕事してるんだから。万が一戻ってきちゃったらどうすんだよ」
「ですが……」
ギュンターは辛そうに眉を寄せた。
伏せられた紫の瞳を見据えて、命令に近い強さで言い切った。
「いいからコンラッドには絶対言うな。判ったか」
「え、ええ。陛下がそこまでおっしゃるのならば伝えはしませんが……」
早くお元気になってくださいと、ギュンターが半ば涙目で呟く。
言い返すのもバカらしい。
だから、おれは元気だって。
「渋谷、怠いなら部屋で寝てろよ」
それから二日後の夕方、机へ突っ伏していたら村田に肩を叩かれた。
ゆるゆると顔を上げる。
「らしくないんじゃないの?勉強なんて大嫌い!な君が図書室で自習なんてさ」
「悪かったな。らしくなくて」
教育係が何も教えてくれなくなってしまったのだから仕方ない。何かを教えてくれるどころか、人の顔を見るなり寝かしつけようとしてくる。
こっちは珍しくやる気を出しているのに。
「君が普通の状態なら感心するところだけど」
「普通だろ。ちょっと風邪ひいてるだけで」
「風邪ねぇ……」
村田のひんやりした掌が額に触れる。冷え症かと聞く前に彼が非難するような声を上げた。
「これ、微熱ってレベルじゃないだろ」
「そうか?」
体温計がある訳でもないのだし、自分では判断がつかない。ずっと37度代前半のつもりでいた。
溜め息混じりに村田が言う。
「不健康なままでいたいなんて……渋谷ってもしかしてM?」
「……なんでそうなるんだよ」
おれだってそれなりに色々考えてみた。
早く治そうと心から思っていないらしい、その訳。
一人でロードワークへ出掛けないで済む理由が欲しいのか、城で大人しくしている理由が欲しいのか。
捜しに来てくれる人がいないから。
何にせよどうしようもないと思った。
「とうとうあのフォンヴォルテール卿にまで仕事取り上げられたんだって?」
「そうなんだよ」
疲れているならゆっくり休めと言われてしまった。眉間の皺も三割増し状態で。
「どうしちゃったんだろうな、グウェン」
どうしちゃったんだろうな、おれは。
「君のことを心配してるんだろ」
「……やっぱりそうなのかな」
たかが風邪なのに申し訳ない。
「彼だけじゃない。皆、心配してる」
「判ってるよ」
迷う気配を見せて口をつぐんだ村田は、
「……渋谷」
ややあってさりげなさを装った調子で言う。
「フォンクライスト卿、とうとう鳩飛ばしたみたいだよ」
「……コンラッドに?」
彼は肯定も否定もしなかった。
情けなくて何だか泣きそうだ。
END
次男よ今すぐ帰ってこい。
2013.7.20
title:capriccio
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