衝動について

目を開けると鼻先にあったのが彼の首で、何となく手を伸ばして触れてみた。

「ユーリ?どうしたの」

「んー、ドクドクいってるなと思って」

お互い寝起きの間延びした声だ。

「首、絞めるんですか?」

手を離して笑う。

「んな訳ねーだろ」

「あなたに殺されるなら幸せなのに」

唇の端が引き攣った。
おれは時々コンラッドのことが判らなくなる。判らなくて、恐くなる。







「なぁグリ江ちゃーん」

「なんです、情けない声出して」

おれは両眉を下げたまま訴えた。

「あんたの幼なじみが恐いよー」

ヨザックがさらっと切り返してくる。

「襲われたんですか」

「……そうゆうのじゃなくて」

今日だけは照れたり憤慨したりするような気分になれなかった。真顔で答える。

「言ってることが恐い」

「ま、坊ちゃんに関することだけはトチ狂っちゃう奴ですからね」

「そんな言葉で片付けていい問題じゃない気がするんだけど」

「そりゃまた何があったんで?」

彼はようやくおれの話を、本腰入れて聞く気になってくれたらしい。立派な筋肉を更に強化すべく持ち上げていたウエイトトレーニング器具を置き、向かいへどっかり腰を下ろした。
この器具を借りれば筋肉ムキムキになれるだろうか、なんて頭の片隅で考えた。







「おれ、昨日の夜コンラッドの部屋で寝てたんだけど……」

さっそく昨夜の出来事を、かい摘まんで話し始める。

「真夜中に目が覚めて、急にさ、コンラッドの首に触りたくなって……」

「何でいきなり首なんです?」

本題へ入る前に突っ込みが入った。
そこを聞かれると困る。

「何となく?寝起きでボケーッとしてたし……」

同じベッドに入って眠って、ふと目を覚ました時、至近距離で彼が微かな寝息を立てていて。ルッテンベルクの獅子とまで呼ばれた男がおれの前で無防備に眠っていることが、当たり前のことなのに新鮮で。
おれに攻撃されたらどうするんだよ、なんて寝ぼけた頭で有り得ないことを考えながら、晒された首に手を伸ばしたのだ。

「……急所ってさ、信頼してない人にいきなり触られるとけっこう怖いじゃん?」

途中を省いたせいで話の繋がりは理解できなかっただろうに、ヨザックがにっこり即答した。

「坊ちゃんなら触ってもいいわよアタシのここ」

グリ江ちゃんだった。
しかも彼が示している場所は、首よりもかなり下だった。ようするに股間。

「……その急所じゃないしセクハラだし」

「せく、はら?」

少し発音が違う。

「セクシュアルハラスメント!職場で立場を笠に着た上司が部下に性的嫌がらせに当たる発言を」

「上司は陛下の方じゃなーい」

「そういえば……じゃなくって!」

グリ江ちゃんのペースに乗せられて、話がうやむやになるところだった。

「首の話だろ!」

遅まきながら軌道修正を図る。

「そうでした」

彼は意外とあっさり本題へ戻ってくれた、のだが。

「で、陛下は隊長の急所に触ったんですか?」

気のせいだろうか。相変わらず彼の言う急所が首のことに聞こえないのは。

「触ったよ、首に」

一応、念を押しておく。

「そしたらコンラッドまで起こしちゃって。まぁ、それは別にいいんだけど」

その後の展開を思い出して溜め息が零れた。
首を絞める気かと聞かれた。冗談だと思って笑った。それからコンラッドは。

「おれに殺されるなら幸せだって言うんだ、あの人。おれに殺されたいんだって」

「それは……」

困った発言ですねとヨザックが空を仰ぐ。
ほの暗い望みなど似合わない、澄みきった青い空だった。

「寝ぼけてる時に嘘は言えないはずですし……アイツの本心なのはまず間違いないでしょ」

「……だよなぁ」

そもそも彼は悪趣味な嘘はつかない。

「アイツの考えそうなことといえば……死の瞬間すらも陛下から与えられたいんです、だとか。自分を殺したら陛下はずっと忘れないでいてくれるはずだ、ああ、一生消えない傷となってでも、陛下の心の中に居続けたーい……とかですかね」

「なんだよそれ。おれはそんなもの与えたくないし、万が一、二度と会えなくなるようなことがあっても、絶対にコンラッドを忘れる訳ない!」

「オレに言われても困るんですけど。あくまで推測ですし」

「あ、ごめん」

「隊長のことが判らないー、だとかここで嘆くより、直接おかしなこと言うなって怒った方が話早いですよ」

正論だった。

「……だよな」

穏やかに笑わなかった頃のコンラッドのことならばヨザックの方が詳しいのだろうが、幼なじみとはいえ彼の全てを理解している訳じゃない。理解しているのなら寧ろ妬いてしまう。
今朝方、話を蒸し返した時には見事にすっとぼけられてしまったけれど、もう一度彼に尋ねてみようと思う。

あの、静かで幸福な真夜中、不意に手を伸ばしたくなった時の衝動を、おれは改めて思い返した。

「でも、そういえばおれもさ、コンラッドはどこに触られても嫌がらないだろうなとか……例えば首を絞めたとしても、微笑ったまま受け入れちゃうんだろうなとか……考えてたような気がするなぁ」

ぱちぱちと数度瞬いた後、ヨザックが呆れ声で言う。

「お互い様ですね」

わざとらしく溜め息をつかれる。

「やめてくださいよ、二人で首絞めぷれい、だとかおっぱじめるのは」

「しねーよ!」

そんなマニアックな趣味はない。向こうもないはずだ。たぶん。

「そりゃよかった」

そう言ってヨザックはカラリと笑って、再びダンベルを持ち上げた。それはもう惚れ惚れするほど軽々と。



END

2013.7.11




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