はあ

「なー村田。アメリカって長い人生の内のほんの数年滞在するだけで、アメリカナイズされちゃうような恐ろしい場所なのかな」

「いきなり何の話?」

雑用を押し付けてくる巫女たちから逃げるために眞王廟を出てきたら、今度は渋谷に捕まった。
普段なら捕まったなどとは思わないのだが。
彼がじめっとした空気を背負っていたせいで、何となく回れ右して眞王廟へ戻りたくなる。

「アメリカのことなら渋谷の方が詳しいだろ。ボストン生まれの帰国子女なんだから」

「生後半年の滞在で何が判るよ」

渋谷は拗ねたような顔でそう言って、年代物のベンチに座り込んだ。村田も隣に腰を下ろす。
二人分の体重を受け止めた木材はぎしりと酷い音を立てたが、急に壊れる心配はないだろう。

「で、誰がアメリカナイズされちゃってるって?」

アメリカの恐ろしさについて語りたい訳ではなさそうだし、前置きはいいから早く本題に入ってほしい。

渋谷が誰のことでやきもきしているかなんて、聞かなくても判るような気はするけど。

「コンラッド」

――ほら、やっぱり。

「君の名付け親がどうしたんだよ」

「最近あの人、なんかスキンシップ過剰な気がするんだよね」

呆れて返す。

「前からだろ?」

「そうなんだけど、前は気になるほど酷くなかったんだって」

「……それはそれで問題が」

げんなりした村田の呟きは、残念ながら彼の耳まで届かなかった。

「コンラッドってさ、」

渋谷は更に疲れる発言を続けてくれる。

「人が寝てるとけっこう普通にその……キスとかしてくるだろ?」

彼が一言話す毎に、溜め息を挟みたくなってくる。

「……僕に同意を求めないでくれるかな」

それ、絶対に君限定だし。

「まぁ、前はよかったんだよ。頬っぺたとかおでことかだったし。でも、昨日の夜……」

そこで言葉を切った渋谷は、薄らと頬を染めていた。
ガタッと立ち上がりそうになるのを慌てて堪える。

「まさか、渋谷……」

まさか、とうとう手を出されてしまったのだろうか。冗談じゃない。

「その、まさかなんだよ!ここに!」

動転しきった声を上げて、彼は自分の唇を示した。

「されてさ、びっくりして飛び起きたら『すみません、つい』って言われたの。つい、で唇奪われちゃ堪んないだろ!」

最悪の事態を想定しすぎていた村田は、とりあえず唇でよかったと、少しだけ安心してしまった。かなり憤慨している彼には悪いが。
服を脱がさないとできないような場所へのキスじゃなくてよかった。例えば胸とか股間とか。

――ああ、想像しただけで軽く殺意が。

ウェラー卿ならやりかねないし、そういう点においては全く信用していない。


「なぁ、村田はどう思うよ!やっぱりアメリカナイズされちゃったせいだと思う?」

そもそも渋谷は憤慨するポイントがずれている。キスをした理由にではなく、そのセクハラ行為自体に腹を立てるべきなのだ。

つい、じゃなければいいのかと独りごちる。

「え、今なんて言った?」

「何でも。」

聞き咎めた渋谷に笑顔で返した。

「ついうっかりでキスしちゃうなんて流石モテ男ー!と思ってさ」

「だよなだよな!」

勢い込んで同意する鈍い彼に、同情する振りで嫌がらせをひとつ。

「渋谷は怒って当然だよ。一ヶ月くらい口きいてあげなくていいんじゃない?」

「……一ヶ月も?」

それはちょっと寂しいかも、なんて、口の中でごにょごにょ言っている。

全く。
渋谷はそろそろ自分がウェラー卿に対して抱いている感情を、自覚してもいい頃だと思う。
キスの理由を「ついうっかり」にできるくらいだから、向こうはとっくに気付いているはずだ。愛されている者の余裕もたっぷり。有利をからかって遊んでいるに違いない。

――嫌な感じ。

実に不快だ。

「じゃあ一週間。渋谷は彼と口きくの禁止」

「えぇー」

「えぇーって……元はといえば渋谷がウェラー卿に腹を立てていたんだろう?」

「……そうでした」

しゅんとして唸ること数秒後、

「判った」

早々に結論を出せたらしい渋谷が、すくっと立ち上がって宣言した。

「コンラッドとは暫く口きかないことにする!」

全て思惑通りの展開である。
何も知らない彼が言う。

「村田、相談のってくれてありがとな!」

実際は相談にのるどころか、恋路を邪魔しているのだが。

「どーいたしまして」

幼稚園の頃からずっと彼を見てきた親友として、これくらいの嫌がらせは許されるはずだ。
どうせ村田がどんなに邪魔したところで、有利はウェラー卿のものにされてしまうのだろうし。






かくしてそれから数日間。

「陛下……ユーリ、どうしたんですか?」

「……」

血盟城内の廊下では、何があっても振り返らないぞという堅い意志を持って闊歩する魔王陛下と、

「ユーリ、なんで昨日から俺を無視するんです?」

しょぼくれた顔で追い掛けるその護衛役という、とても面白い光景を拝むことができたらしい。
それはもう金魚の糞なみに四六時中くっついて回ったウェラー卿のしつこさ故、

「ユーリ……」

「あーもう!そんなに何度も呼ぶなよ」

「……っユーリ!」

結局、彼は三日と持たず折れてしまったとか。



END

2013.7.3

title:capriccio




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