私の神様は死にました

 ある日突然、僕は死んだ。

「私もそろそろルーク様が命を落とされたという現実を受け入れようと思いまして」

 悲壮な決意を語るビショップの声と疲れたような笑み。昨日の夜もこの部下は僕が眠るまで傍にいて……その後、死んだのだろうか。それとも自分で気付いていなかっただけで、もっと前から僕は幽霊だったんだろうか。そんなはずない。
 手も足も体も透けていないし、メイズたちとはついさっき話したし、生きているに決まってる。何故か死んだことにされているだけだ。
 訳が判らずビショップをまじまじと見る。僕を見ないまま彼は言う。

「このまま亡霊に縋り続けていたら、ルーク様に笑われてしまいますからね」

 笑える要素などひとつもないし、とりあえず、勝手に殺すなと言いたい。



 そもそもの始まりは今日の朝、ビショップが部屋に顔を出さなかったことだ。
 僕は怪訝に思いながらも、一人で身支度を整えて執務室へ向かった。
 中へ入ると三人の部下が一斉に振り返り。

「ルーク様、今朝はどうして、そのぉ……」

 代表してメイズが聞いてくる。

「髪がぺったんこな上に濡れているのでしょうか」

「ビショップが来なかったんだ」

 だから寝癖の直し方が判らなかったのだと付け加えるまでもなく、端的に答えただけであっさり納得された。それもちょっとどうかと思った。
 普通の人は身支度くらい、一人で完璧にできるんだろう。僕にはできない。できると思ったけれどできなかった。
 今度ビショップにコツを教えてもらおうと考えつつ、部屋の奥へ目をやる。

「あれ?」

 思わず首を捻る。いつもの机でビショップが仕事を始めていた。急な出張が入ったか、もしくは寝坊でもしたんだろう――ビショップだって人間なんだから、寝坊するくらいの可愛げがあってもおかしくない――と予想を立てていたのに、彼はいつも通り働いている。
 どうして今日は部屋に来なかったんだ?と聞こうとして、やめた。普通、部下は上司を起こしにこない。毎朝僕を起こしにくるのは彼の仕事じゃない。やめたくなったのならばいつでもやめていいはずだ。
 代わりに「おはよう」と言った。いつもは起きてすぐに交わす挨拶だから、ここで言うのは何だか変な感じだ。

「……」

 再び「あれ?」と首を傾げた。声を聞いて顔を上げたビショップが僕の方を見ない。誰かを探すように視線をさ迷わせる。

「今、ルーク様の声が聞こえたような……」

「ああ、僕だよ。おはようビショップ」

 どうして見つけてもらえないんだろうか。もう一度はっきりと言ってみたが、彼とは視線が合わないままだ。
 薄い色が見えなくなるくらい疲れているのかもしれない、と思ったところで、ビショップが深く溜め息をついた。

「私は疲れているのかもしれませんね」

 そうか、やっぱり疲れているのか。

「またルーク様の声が聞こえました」

 ビショップは僕を通り越して、メイズ達に話し掛けているらしい。
 聞こえたから何だというのだ。聞こえているなら僕に話し掛ければいいじゃないか。

「私は本当に駄目な男ですね……」

 彼は自嘲するような笑みを浮かべながら、寂しそうに言葉を継ぐ。

「ルーク様が亡くなってからもう、半年も経つのに」

 なるほど、僕が死んでからそんなに経つのか。
 うっかり釣られて生前の思い出などを振り返り、一瞬しんみりしてしまったが。

「…………え?」



 そして話は冒頭に戻る。



「私は今、ようやくルーク様のお気持ちを理解できたのです」

 こんなことになるまでの経緯を冷静に振り返ってみたところで、訳が判らないことに変わりはない。

「あの時、ルーク様は私の中で、永遠の存在となりました」

 呆気にとられて言葉も出ない。
 ぽかんと口を開けるばかりの僕に、メイズが小声で耳打ちしてきた。

「どうやらビショップ様は……ルーク様のことが見えなくなっているようなんです」

「見えない?」

「その、非常に申し上げ難いんですが」

 フンガも小声で説明を引き継ぐ。

「アムギーネでの対戦パズルでルーク様が亡くなったのだと、思い込んでしまったようで」

 留めにダイスマンの「どうします?」だ。どうするかなんて聞かれても困る。

「なんで、いきなりこんなことになったんだ?」

 昨日まではいつものビショップだった。
「急を要する案件もないですし、明日は休みになさいますか?」
 一日の仕事を終えた後でそう聞かれて、まだ休まなくて平気だと答えた。意外とごねられることもなく、彼はすぐに引き下がってくれた。一緒に夕飯を食べて、お風呂に入って、寝た。こんな騒動が起きる予兆など何ひとつとしてなかった。
 いきなりのことにメイズ達も困惑しているはずだと思ったのだが。

「それだけショックを受けられたということですよ」

 気遣わしげな声で彼女は答える。

「ショック?」

「考えがあってのこととはいえ、ルーク様が一時……行方を眩ませたことに、我々も少なからずショックを受けました。爆発を目の当たりにしたビショップ様なら尚更でしょう」

「それで状況が落ち着いた今になって、とうとうおかしくなっちゃったんじゃないですかね」

 フンガとダイスマンも口々に言う。
 何だか責められている気分だ。僕の味方がいない。



「後はルーク様にお任せします」と言って三人は部屋を出ていってしまった。
 どうすればいいのか途方に暮れる。

「本当に僕のことが見えないのかい?」

「……」

「ビショップ?聞こえてる?」

「ルーク様、あなたの声を聞いていられるのはとても嬉しいのですが、いつまでもこんなところに居てはいけませんよ。私はもう大丈夫ですから」

「そうじゃなくて、ビショップ」

「あなたの仕事も私がしっかり引き継いで、何とかやっていきますから。何も心配いりません」

「ビショップ!」

 噛み合わない会話に堪らなくなって、僕は彼の両肩を掴んだ。何の反応も返ってこない。本当に幽霊になったみたいだ。自分が透明になったみたいだ。
 そろそろと腕を引いて後ずさる。ビショップは僕を見ていない。僕を透かして壁を見ている。

 例えばカイトのためならば、彼の永遠になれるのならば、自分なんていつでも消えていいと思っていた。
 でも、こんな消え方は嫌だ。こんなビショップは嫌だ。絶対に嫌だ!


 僕はビショップから逃げ出した。部屋へ戻って適当な私服に着替え、ロータリーで黒塗りの車を捕まえる。

「ルート学園へ行ってくれ」

 僕の白い髪と白い服と顔を確かめた運転手は僅かに目を瞠っていたが、結局なにも聞いてこなかった。後部座席でぐったり目を閉じる。車はすぐに動き出した。

 まだ十時にもなっていなかったはずだ。今行っても授業中だろう。昼まで待つことになっても構わない。

 とにかくカイトに会いたかった。



2015.1.3




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