信じてる

 出会った頃にエクボの目に映った二人は、無能力の霊能詐欺師と都合よく利用されている子供でしかなく、茂夫が悪い大人に騙されているとしか思えなかったし、師弟などという呼称が当て嵌まるような関係には到底見えなかった。
 そうではないのだと理解したのはいつ頃だったろうか。二人が正しく師弟であることを知り、その関係を好ましく感じ始めるまで、多くの時間を費やす必要などなかった。互いを信頼し、必要とあらば助け合う様を見ていると、いい関係じゃないかとしみじみ感じたものだ。どうかいつまでも壊れずに続いていってほしいと願いすらした。……いや、正直に言おう。羨ましいとさえ、思い始めていた。こんな薄気味悪い光景を見せつけられるまでは。


「師匠、お客さんが会計素通りして帰っちゃいました。追いかけますか?」
 ついさっき来たばかりの客だった。悪霊などの気配は全く感じなかったが、何となく嫌な予感はしていたのだ。
「ほっとけ。客じゃなくてただの冷やかしだ」
 面倒そうに答える霊幻の姿を視界に入れたエクボは、驚きのあまり言葉を失った。茂夫はただ不思議そうに首を傾げた。何だかんだ言って霊幻を慕っているはずなのに、欠片も動揺を見せなかった。
「あの、師匠」
 茂夫は言う。ショックが大きすぎたせいで感情が麻痺しているのかもしれないと危惧する。
「服がすごく汚れてますけど」
「さっきの男にトマトジュースぶっかけられたんだよ」
 ――なに馬鹿言ってんだ!さっさと救急車呼べ!
 誤魔化す気があるのか呆れる程お粗末な嘘にカッとなって怒鳴りつけようとした矢先、茂夫が呑気な声で答えた。
「それは災難でしたね」
「は?」
 開いた口が塞がらなくなった。これは麻痺ではない。だったらなんだ?非常事態であることにすら、茂夫は気付いていないのか?
「全くだ。こんな格好じゃ仕事にならん。今日はもう閉めるから帰っていいぞ」
「はい」
「いやちょっと待て」
「あ、小銭ないからバイト代は今度まとめてでいいか?」
「いいですよ。じゃあまた」
「おい!」
 受付に出しっぱなしだった漫画本をしまい、学生鞄を持った茂夫がドアを開けて、
「エクボは帰らないの?」
「さすがに放っておける訳ねぇだろ!」
 また僅かに首を傾げた。
「よく分からないけど、なら先に帰ってるね」
 あまりにいつもと変わらないその様子に、引き留めることも追い掛けることもできなかった。ドアが閉められるまで茫然と見守り、恐る恐る霊幻の方を振り返る。正しいのは茂夫で、エクボが見間違えたのかもしれないと思ったのだ。本当に赤い液体を掛けられただけなのかと。
「モブは行ったか?」
「…あ、ああ」
 シャツの滲みは明らかに面積を広げていた。どこからどう見てもそれは血だ。
「お前、今、俺に憑依できるか?」
 霊幻が声を発するたび、ワイシャツは濃い赤でいっそう染め上げられていく。やけに色を失って見える手が、腹の辺りをグッと押さえた。
「これは、ちょっとな、さすがに限界だわ。適当な病院に、運んどいてくれ。よろしく」
「はぁ!?」
 ――俺様が運ぶ?冗談じゃねー!!!
 勝手なことを抜かして答えも待たず意識を飛ばした男の身体を乗っ取ったエクボは、探り出したケータイで迷わず3つの数字を押した。憑依したところで傷が塞がる訳ではないのだ。不用意に動かせば出血多量で死ぬ。この身体が魂のない抜け殻になって、エクボのものになってしまうかもしれない。無能力だから使い道がない。心底いらないと思うのに。
 お前なんかいらないから死ぬなよ、絶対に死ぬなよと譫言のように繰り返しながら止血している内に、待ち望んだサイレンが聞こえてきた。
 この救急車は茂夫と擦れ違っただろうか。事務所の方へ向かう救急車を目撃してもなお、茂夫は霊幻の嘘を盲目に信じるのだろうか。
 いつか茂夫と交わした会話を思い出した。確か、霊幻にかけられた呪いを仕方なく取ってやった夜のことだ。あんな仕事のやり方では客から恨まれて物騒な事態になったことも少なくないのではないかと、ほんの少しだけ気になったエクボは、茂夫に聞いてみたのだが。
「そうでもないよ。依頼人に刃物突き付けられてるのは見たことあるけど」
「それかなりヤバいやつじゃねーか……」
 茂夫は当たり前の顔をしてこう答えた。
「大丈夫だよ。師匠は絶対に刺されないから」
 師弟の歪な信頼関係に今さら怖気が走る。心底気味が悪かった。


2017.1.11




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