トンネループ

「俺なら大丈夫だよ」

 酷く無邪気に、子供そのものの顔で命が笑う。

 俺は大丈夫じゃねぇんだよ。
 そう、思う。

 暇を見つけてはCTを睨んで、もう、わざわざ取り出すまでもない、目の前の空間に精密に描けるほど、眺めて、考えて、本も苦手な論文も死ぬほど読んだ。なのに。まだ。

 何も見つけてやれないんだ。




 あの時、当然と言わんばかりに投げられた台詞。

『俺は危が治してくれるんでしょ?』

 それは真っ直ぐで痛いほどの信頼だった。



 今日も命は疑いなく続ける。

「だって危がついてるし。ね?」

「…あぁ」

 こっちだって当然の顔で肯定して、バカなことでも言って笑わせてやれたら、と思う。
 けれど、何にも浮かばない。
 結局、見舞いに来るのは自分のためだ。
 例え癌細胞に侵されていようと、命は今も生きている。
 それを自分の目で確かめてようやく安心する。
 迷って悩んでばかりいる自分が心底情けなかった。

「そろそろ戻らねぇと」

 このまま居続けると離れられなくなりそうで、いい加減腰を上げた。

「俺様がいないと寂しいだろーが、」

「平気だよ。みんな顔見せに来てくれるし」

「…へぇ」

 ――結局その他大勢と同じか。

 まぁ、仕方ない。これが西條命という人間だ。博愛主義の、医療バカ。彼の中では恋愛が占める割合なんて、果てしなく低いんだろう。わかっている。
 半ば諦めながらも少しだけ不愉快な気分で背中を向けると、命の声が追い掛けてきた。

「でも、危が来てくれるのが一番嬉しい」
 こっちからは会いにいけないからね。

 振り返れば、言葉を裏切らない表情で笑っている。

「…そーかよ」

 何度も見ているのに思わず見惚れる。

「もしかして危、照れてるの?」

「まさか」

「好きだよ」

 簡単に言うな。

「…バカ野郎」

 あぁ、今日も先を越されたな。

 こんな台詞だって命はきっと誰にでも言うのだ。
 けれど赤くなった彼の顔を見れるのは、俺だけの特権だと信じている。

「仕事、頑張ってね」

「おー」

 そのまま出て行こうとして気が変わった。

「…あやめ…?」

 引き返して触れるだけのキスをする。
 赤く染まった首筋が愛しい。

「……俺が必ず治してやるから、おまえはちゃんと安静にしてろよ?」

 そう、耳元で告げてやる。

 はったりでも何度でも繰り返せば、いつかはきっと真実になる。
 …かもしれない。

 その頭が小さく上下するのを確かめてから、今度こそ命の病室を出た。
 どうせ俺の言い付けなんか、聞きやしないのだろうけれど。

 反芻した数瞬前の笑顔の後、悪夢のようにあのCTが浮かぶ。

 どうしても助けてやりたい。助けたかった。
 命のためでなく、命がこの先救うであろう子供たちのためでもなく。
 紛れもない本音は自分のために。

 助けたい。でも手段がない。

 またぐるぐると悩み込んで、無限のループに巻き取られる。

 死んでも諦めないと誓った。言葉で言うのは簡単でも、それは本気で死にそうなくらい苦しかった。



 今日もこの暗いトンネルの先に出口は見えない。



2011.3.20

title:MAryTale




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