泣かないように、眠れるように

 朝、起きるのが怖くなった。

 今までは眠ることが怖かった。嫌な夢ばかり見るからだ。
 カイトを傷付ける夢。失う夢。腕輪に支配されていた頃の自分の夢。
 悪夢にうなされて飛び起きて、電話の前へ走ったこともある。結局、かけられなかったけれど。

 怖い夢は今でも変わらず見る。仕方のないことだと思っている。
 過去から目を逸らすことは許されないし、どんなに時間がかかっても、犯した罪は償おうと決めた。どんな夢も冷静に受け止められるようになった。
 だから、今朝もルークが目を逸らしたいと思うのは、夢の中に見た過去ではない。目を開けると必ず視界に入ってくる、

「……ビショップ」

 こちらを凝視する従者の姿だ。

「お前、また居たのか……」

 今日も昨日も一昨日も、きっと明日だって見ることになるのだ。寝ぼけ眼に真っ先に映るのが、至近距離に迫る憔悴した美形の顔なのだ。これはホラーだ。恐すぎる。



 夢から覚めたように瞬いたビショップが、慌てて腰を上げて微笑んだ。

「おはようございます、ルーク様」

 目の下の隈以外には相変わらず隙のない姿に、溜め息をつきながら時計へ目をやる。今朝は少し時間に余裕があるようだった。
 今日こそこの問題をどうにかしてやろう。
 ルークは固く決意して、溜め息混じりに従者を呼んだ。

「ビショップ」

「はい?」

「ちょっとそこに座れ。話がある」

 早々にベッドから抜け出して、小さなテーブルセットを示す。
 放っておけばそのうち解決するだろう、なんて甘い考えだった。毎朝ぎょっとさせられるのにはいい加減うんざりだ。

「話、ですか?」

 僅かに首を傾げてから、綺麗な所作でビショップが腰掛けた。
 乱れたままのベッドの上に、すとんと座り込んで言い放つ。

「最近、僕はお前のせいで熟睡できない」

 単刀直入な切り出しに、彼は理由を問うことなくうなだれた。

「……申し訳、ありません」

 安眠妨害している自覚はあったらしい。別に謝ってほしい訳ではないのだが。
 悄然とした様を晒すビショップに、ルークは淡々と問い掛けた。

「どうしてお前は毎晩毎晩、夜中にこっそり僕の部屋へ来て、朝まで見張っていたりするんだ?」

「……それは……」

「それは?」

 彼はなかなか口を開いてくれない。じっと待つ。

 ややあって、頼りないほどに小さな声が、答える。

「……ルーク様のことが、心配で」

 彼は視線を落としたまま言い募る。

「……ルーク様のお顔を見ないと、どうしても安心できなくて……」

 予想通りの答えだった。
 彼の不安の理由は聞くまでもなく判る。

 ――僕のせいだ。

 唇を噛む。
 きっとビショップもルークと同じで、嫌な夢を見ているのだ。それだけの仕打ちをしてしまった自覚はある。
 目を閉じれば今もあの時の顔が瞼の裏にちらつく。彼には悪いことをしてしまったと、申し訳なく思っている。
 決して後悔はしていないし、あの時はあれが最善策だったと、今でも信じているのだが。それでビショップが何を思うかなんて、考えてやれる余裕がなかった。

 ほんの二週間ほど前のことだ。ルークは彼の中で一度死んだ。
 オルペウスに対抗するための作戦だった。いつも側にいるビショップをも、徹底的に騙す必要があった。
 彼には何も説明しないまま、二度と嵌めないと誓った腕輪を受け入れ、その力に呑まれ、カイトと命懸けのパズルで戦い、負けた。ビショップは全てを上から見ていた。
 爆発と同時に飛び降りる以外の脱出方法はなかったし、死ぬかもしれないという覚悟もあった。命を懸けた賭けだった。

 幸い動けないほどの傷を負うこともなく、人の気配が消えた頃にパズルから抜け出し、ビショップを捜しにいったのだが。
 仄かな月明かりの下、見つけた背中はぴくりとも動いていなかった。立ち尽くしたままの彼にそうっと近付いて、その顔を見て瞠目した。
 顎から雫が滴って、落ちる。また落ちる。
 彼は、静かに泣いていたのだ。

 ルークを見つけたビショップは、当然、ものすごく驚いた。ルークも負けず劣らず驚いた。
 騙したことを謝るよりも先に、思わず「お前でも泣くんだな」と言ってしまった。「当たり前です」と殴られて抱きしめられてわんわん泣かれた。何を言っても泣き止んでもらえず、自業自得とはいえ大変な目にあった。もう二度と彼には泣かれたくないと思った。

 一連の出来事の回想を終えて、ルークは改めて決意する。ビショップのことは二度と泣かせまい。宥めるのが面倒だから。



「……夢の中にいるような、気がするんです」

 今まさに泣き出しそうな顔をしているのであろう、ビショップがぽつりと呟いた。

「今でも、あなたが生きている夢を、こうしてお傍に置いてくださる夢を、私は見続けているのでは、と……」

 ルークが消えていないことを確かめるように、束の間見つめ、また俯く。

 わかった、と再び嘆息した。
 間違いなく生きているから大丈夫だと、言葉を尽くしたところで意味はなさそうだ。ルーク自身がそうだったからこそ、判る。

 ならば、いっそのこと。

「今夜からお前もここで寝ろ。一緒に寝れば安心できるだろう?」

 弾かれたようにビショップが顔を上げた。

「そんなことできません!」

 案の定、涙目だった。

「寝てる間に来られる方が落ち着かないよ」

「今夜からは、ルーク様の眠りを妨げないようにもっと気を遣います。口元に手をかざして呼吸を確かめたり、胸に触れて心臓が動いていることを確かめたりするのはやめますから」

「……お前そんなことやってたの?」

 呆れてうろんな目で見遣る。どうりで熟睡できない訳だ。

「では、私専用の監視カメラをこの部屋に仕掛けさせていただき、それを一晩中見ていることにします」

「なるほど、それはいい考えだ……ってそっちの方が嫌だよ!」

 真面目な声でおかしなことを言うから、うっかり流されそうになってしまった。危ないところだった。

「そう、ですか?」

 ビショップは、ルーク様も大門カイトにやっていたじゃないですか、と言いたげな顔だ。放っておくと今夜からでもやりかねない。
 それに、カイトのことと今回のことでは、全く話が違うと思う。
 確かにずっと親友を見ていたのは、ほんの少し……いや、かなり私情が入っていたけれど。

 理詰めで説得できる気がしなくなってきた。

「頼むから僕と一緒にここで寝てくれ」

 どうしてこんなことを頼まなければならないんだ、と思いつつ。
 ルークはじっとビショップを見詰める。視線が絡む。

 迷うような沈黙が続いた後、

「……ルーク様が、そこまでおっしゃるなら」

 承知しました、とビショップが答えた。やれやれ、と深く息をつく。これで問題は解決するはずだ。
 ほっとして寝癖を直しにかかった。すぐに身支度を手伝う手が伸びてくる。

 ようやくいつも通りの一日が始まる。



 何の滞りもなく今日の仕事を終えた後、さっそく枕持参で現れた彼は、気のせいでなければウキウキしているように見えた。

「それでは隣にお邪魔しますね」

「……」

 嬉しそうにベッドへ潜り込んでくる。

「おやすみなさい、ルーク様」

 気味が悪いくらいニコニコしている。

「……おやすみ」

 どこかで何かを間違えた気がした。







 結局、人を抱き枕にして眠るビショップのせいで、またもや安眠妨害されることになるのだが。

「……ルークさま……」

 少なくとも彼は安らかに眠れるようになったのだから、構わないかと諦めて、端正な寝顔を眺めている。
 時折欠伸を噛み殺して、ルークを呼ぶだけの寝言に呆れて。

 ――こんな夜も、まぁ、悪くはない。



2014.4.3




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