失言に注意

「特に難民対策の書類については、責任を持って早く目を通してください」

 抵抗しようものなら縛りつけてやる、といった勢いで、紐を弄びながら続けた。

「あなたが受け入れたんですからね」

 縄の先には当然の如く、刃物が括りつけられている。

「あぁ、そうしよう。どれだ?」
「そこに積み上がっているもの、ほぼ全てですよ」

 執務机の上を指す。
 彼は呆気にとられて瞬いた。

 難民を受け入れることによる国家の負担は、金銭面だけに留まらない。
 定住地の確保、雇用の確保、生活費至急、等々、並べてみればきりがなかった。

 ――固まっている暇があったら手を動かせ。

「ジャーファル君、その目はやめてくれないか」

 本気で怖い、と顎を引く。

「そうですか?」
「……殺意を抱かれているとしか思えない目だ」
「私が敬愛するあなたにそんなもの向ける訳ないじゃないですか」

 呆れつつ答えた。
 とりあえず働く気にはなってくれたらしいので、武器は納めて対面の机の前に腰を下ろす。
 どうも物騒に見えるらしい両目で、今度は書類を睨みつける。

 決裁が済んでいることを期待して訪れた執務室で、部屋の主が目を開けたまま寝ている、尚且つ、積み上げた書類の山が数ミリも動いていないとなれば、殺意に似たものが涌いても致し方ないと思う。
 ちなみにその山はジャーファルが夜を徹して出現させたものだ。
 本当は有能な王なのに、見張っていないと働かない。
 あぁ、本当に腹立たしい。

「……敬愛?」

 こちらはひたすら苛立っているというのに、何が嬉しいのか彼の声に喜色が滲んだ。

「つまり、こんな俺でもお前は愛してくれているのか?」

 彼の手が止まっているのなら、雑談をするなと怒れるのだが。
 疲労で視界がはっきりしない。最後に休んだのはさて、いつのことだったろうか。

「えぇ、えぇ、愛していますとも!」

 目を擦りながら筆を動かし続ける。

「だからさっさと仕事を終わらせてください!」

 おかしなことを言われた認識もなく、とんでもないことを言った自覚もなく。

「そうか、わかった!こんな仕事はさっさと片付けて、今夜はお前と愛し合うことにしよう」
「望むところですよ」

 何しろ会話を交わしながらも意識の半分以上は目の前の書類に集中していたものだから、条件反射に近い自分の答えなど、数秒後にはすっかり忘れていた。



「終わったぞ。見直したか?」

 数時間後、綺麗に片付いた机と共に、シンドバッドが自慢げな笑みを浮かべる。
 窓の外は、とうに日も暮れて暗かった。

「終わって当たり前なんですよ。そもそもあなたが昼間にふらっと出掛けなければ…」

 こんなに溜まったりしなかったのに。
 王が不在では決裁できない書類というものが、存外に多くあったりするのだ。

「王として視察に行っていたんだよ、ジャーファル君」
「なるほど」

 手元を片付けつつ、適当な相槌を打つ。
 悪いがジャーファルはそんな言葉には騙されない。

「ところで今日、あなたがまた道端で眠っていたという証言を耳にしたんですが?」
「いや、それは」

 はははとごまかすように笑う。
 王の威厳などカケラもない。
 全く、と深い息をつく。
 これ以上疲れるのは勘弁してほしいので、一刻も早く執務室を出ることにした。

「ジャーファル、何処へ行くんだ?」

 しかし、室外へ足を踏み出した矢先、何故か分かりきった質問を投げる彼に呼び止められた。

「何処って、自室へ戻るんですが?」

 怪訝に思いながら振り返る。
 まだ眠るには少し早い時間だが、寝不足で疲れがたまっているのだ。いい加減休みたい。

「そうか。しかし俺の部屋の方がいいと思うぞ」
 お前のベッドは小さいだろう?
「は?私はあのサイズで十分ですが」

 不自由したことは一度もない。

 シンドバッドがいったい何を言いたいのやら、ジャーファルにはさっぱり分からなかった。

「俺にとっては狭すぎるんだ」

 相変わらずよく分からないが、たぶん苦手な机仕事のせいで、他人のベッドに文句をつけたくなるほど疲れきっているのだろうと判断する。

「そうですか、ではシンも早く自室のベッドへ戻ってお休みください」
「…ジャーファル」

 途端、脱力したような声で呼ばれた。

「はい?」
「さっきからお前は…わざととぼけているのか?」

 額を押さえて彼は聞く。

「何のことでしょう?」

 話が噛み合わなすぎて長くなりそうだ。
 速やかな退室を諦めた末に向き合ったシンドバッドが、妙に真剣な顔をしていて戸惑う。

「俺達は今日、めでたく両想いになったのだから、夜にすることなど決まっているだろう?」
「は!?」

 あまりのことに眠気も疲れも吹っ飛んだ。

「いつの間にそんなことになったのです…?」

 恐る恐る尋ねる。
 彼の表情が硬くなっていく。

「まさか…本当に覚えていないのか?」
「えぇ、たぶんそのまさかです」

 あからさまな不興顔に腰が引ける。
 無意識の内に後退った。
 ぐいと思い切り腕を引かれた。

「とりあえず寝所へ行こう。話はそれからだ」
「え、ちょ……シン!待ってください!」
「待てるか!」

 俺が何のために真面目に仕事したと思ってるんだ全く。

 とうとう王としての自覚が生まれたからか、ジャーファルが見張っていたからか、武器まで出した脅しに負けたからか、その三択だろうと思ったが、口に出したら彼の不機嫌に拍車がかかる気がして黙っていた。



 さすが七海の女たらしと呼ばれるだけある、と有無を言わせず寝台に押し倒されながら、思った。
 ばたんばたんと音が立つばかりで、碌に抵抗できていない。
 押さえ込み方が巧みなのだ。慣れている。
 女性のこともこんな風に強引に襲っているんじゃあるまいか。
 現実逃避に近い思考を巡らせていると、うっかり唇が重なった。呆気なさすぎて反応に困る。
 それも触れただけで離れるような可愛いものじゃなかった。
 しつこいくらいに吸い付いて、口を開けと舌で突く。
 甘い接触にときめくとか鼓動を高めるとか、呑気なことができるはずはなかった。そもそも全く甘くない。
 仰向けになっているのに眩暈がする。呼吸困難を起こして死んでしまいそうだった。

 必死で頑丈な胸板を押し返し、解放された瞬間に喚いた。

「っ…待ってください!」

 すっかり息も絶え絶えだ。
 眼前の濡れた唇が生々しすぎる。

「ちゃんと説明を、」
「……説明なんて不粋なもの、この場に必要か?」

 耳元で囁くのは嫌がらせだろうか。

「必要ですよ、当たり前じゃないですか!」

 彼の吐息の温かさを感じる。
 もう、本気でやめてほしい。

「だからお前が、俺を愛してると言ったんだ」
「私は敬愛と言っただけです!」

 それ以上のことを言ったのかもしれないが思い出せない。

「敬愛でも親愛でも愛は愛だよ。そして俺はお前が好きなんだ」
「勝手な解釈をしないでください!」

 後半の台詞は聞き流すことにした。

「いいじゃないか、他に好きな者もいないんだろう?」
「そんなことは…っ」

 ない、と言えない。
 言い負かされそうになって必死で反論を探す。
 言葉に詰まっている時点で負けかもしれなかった。

 当然、シンドバッドのことは好きだ。自分でもおかしいと思うほどに好きだ。彼の全てが好きだった。彼から与えられた何もかもを捨てられない。彼から見捨てられたらきっと死んでしまう。
 信仰のような愛だった。だからこそ生々しい接触になど耐えられない。
 王は皆から愛されるものだ。そして皆を平等に愛す。特別な愛を注ぐ相手は、生涯を共にすると決めた妻だけだ。
 シンドリアの王であるシンドバッドが、ジャーファルなんかに触れてはいけない。汚してしまう。愛されてはいけない。
 この愛は未来永劫に、一方的なものでなければならない。

 混乱しているうちに衣服が乱され始めている。
 肩がひんやりと外気に触れる。
 彼の掌が素肌を撫でた。
 ますます焦る。

 ――どうすればいい?
 再び往生際悪く暴れてみたところで、やはり押さえ込まれて終わりだった。

 ――どうすればこれを止められる?


「あ、なたに…っ」

 咄嗟に導き出した答えは明らかに間違っていた。

「あなたに抱かれるくらいならマスルールの方がいいです!」
「……え?」

 勢いというのは恐ろしいものだ。しかしこんな状況へ追い込まれて、冷静でいられる者はかなり珍しいと思う。少なくともジャーファルには無理だった。混乱と動揺でおかしくなっていた。

「え、君、マスルールが好きなの…?」

 手を止めた彼が、茫洋と言う。
 勘違いを訂正する余裕もなく、

「…っ失礼します!」

 固まっている王を渾身の力で突き飛ばし、ジャーファルはその場から逃げ出した。



「いろいろと迷惑をかけてしまって……」
「俺は別にいいッスけど」

 あの人に睨まれることくらい。

 そう返されてますます申し訳なく思う。

 予想通りと言うべきか、昨晩の騒動の火の粉は全く無関係であるはずの彼にまで飛んだ。
 付き合っているのかと問われたマスルールが肯定も否定もしなかったため、王は誤解を深めている。
 正直ありがたかったけれども、事態がややこしくなってしまったため、もはや現実を直視したくない。

「だから、気にしなくていいって言ってるじゃないッスか」

 うなだれたジャーファルの頭を、ポンポンと撫でる。
 一応は自分の方が年上なのに、子供扱いされているようで情けない。

「ジャーファルさん可愛いし」
「可愛いって…」

 本当に子供扱いだ。
 全く悪気が見えないから脱力する。
 彼はジャーファルの態度を気にも留めない。
 顔を逸らして、空やら植物やらを気儘に眺めた後、また口を開く。

「……俺は、好きッスよ」

 そんな言葉が聞こえると同時に、隣にあったはずの顔がぐっと近付いた。

 それは、一瞬の出来事だった。

「え、君……今…」

 呆然として、唇を押さえる。

「でも、あの人が機嫌悪いといろいろ支障あるんで、」

 重なったばかりの薄い唇の主は、

「早く仲直りしてください」

 酷く無責任な言動の果てに、さっさと立ち去っていってしまった。



2011.5.30




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