飴と毒
子供が食事をとるさまというのは何とも微笑ましい。
成長障害を疑うほどに体が小さく、食も細かったジャーファルだが、最近ではやっと普通に食事してくれるようになった。
「シンドバッド様」
自分が食べることも忘れてにこやかに見守っていると、妙な顔になった彼がこちらを見た。
「ん?なんだ?」
あんまり見つめていたから気に障ったのだろうか。
謝ろうかとも思ったが、彼が口を開く方が早かった。
「これ、食べない方がいいです」
鶏の煮込みを指差して言う。
食べない方がいいと言いつつ平然と食べている。
「どうしてだ?」
その様子からして大した理由ではないと判断したが、一応理由を尋ねると、味を確かめるように殊更ゆっくり咀嚼した。
そして、答える。
「少量ですが毒が入っていると、思います」
「…分かるのか!?」
――充分大した理由じゃないか…!
食事に毒物が混入していたという事実よりも、この子供が気付いたことに驚いた。
「えぇ、一応」
こういう時、シンドバッドは並ならぬ彼の生い立ちを思い出す。
「死に至るほどの量ではありませんが、王様に万が一のことがあってはいけませんので」
毒と言いながらまた口に入れて、行儀よく噛んでからそれを飲み込む。
制止の言葉も出ない、ごく自然な所作だ。
多少唖然として見ていると、視線に気付いた彼が手を止めて言った。
「あぁ、私は平気です。慣れていますから」
穏やかな笑みには不釣り合いの、何とも物騒な台詞だった。
笑顔すら痛ましく思えてくる。
「それに、きっとこれを作った方に悪気はありませんよ。毒を入れた者が悪いのです」
勿体ないです、と言いながら尚も食べる。
「……ジャーファル、」
幾分低くなった声で呼びかけると、
「はい?」
ジャーファルがようやく手を止めた。
「ちょっとこっちへおいで」
席を立って距離を詰める。
「なぜですか?」
「いいから早く」
座ったままの子供を、腕を引いて立たせた。
そのまま部屋を出る。彼は戸惑い顔でついてくる。
女官とすれ違いつつも引き摺るように進む。
そして、人気のない場所へ出たと同時に、シンドバッドは厳しく命じた。
「全部吐け」
「……え?」
彼は困惑して固まった。
理解してくれるまで待ってはいられない。
呆けている彼の上半身を両腕で固定し、喉に数本まとめて指を突っ込む。
目を見開いた彼が抵抗する。容赦なく奥へ進む。指を噛まれて痛みが走る。
「ぅ、ぐ…っ」
やがて消化しきれていない食べ物がせり上がり、苦しげな彼の口から溢れてきた。
「ゲホッ、ゲホ…ッ」
途中で水を飲ませる。また吐く。
どれくらい食べていただろうか。もっと早く、止めればよかった。
結局全ての料理を容器へ吐き出すまで、せめてと小さな背中を摩っていた。
「……何するんですか…」
抗議は弱々しい掠れ声だ。
睨みつけてきたジャーファルは涙目になっていた。
可哀相なことをしてしまったと思うが、仕方あるまい。
「…苦しい思いをさせて悪かった」
今度はうがい用に水を差し出す。
彼は素直に受けとった。口の中が気持ち悪かったのだろう。
「もう一杯いるか?」
「平気です。あなたこそ、早く手を洗ってください」
汚してしまってすみません。
無茶をしたのはこちらだと言うのに、そう言って頭を下げてくる。
「構わないさ」
彼の『平気』という言い分は今ひとつ信憑性に欠けるため、手を洗うついでに水も汲んできてやった。
手渡せば再び口を漱ぎ出す。
見守りつつ、しかめっ面で考える。
平気と言っても毒は毒で、害があることに変わりはないと思う。
もしかしたら、毒が混入されていたのは彼の料理だけだったのかもしれない。皿の大きさが違うのだから、二人のために用意された料理を見分けるのは簡単だ。
口止めしたところで噂は容赦なく広がる。大部分の者は若い王の気まぐれということで、ジャーファルの存在も傍に置くことも黙認してくれているが、王の命を狙った刺客である彼を、快く思わない者は少なからずいることだろう。
毒物を混入させた者は早急に割り出して解雇する。
とりあえず毒入りと知ってわざわざ食べることはない。それでは相手の思う壷になってしまう。
ジャーファルに何と言い聞かせればいいものか。
これが一番の悩みどころだった。
「ジャーファル」
「はい」
名を呼ぶと、信頼しきった瞳が見つめ返してくる。
「俺と約束したことを覚えているか?」
初めて言葉を交わした夜、誰かを守るためにその力を使えと言った。
「お前は俺を守るんだろう?強くなって共に戦うんだろう?」
「そうなれればいいと思っています」
自信なさげな声だったが、目には決意がこもっていた。
「ならば健康にも気を遣いなさい」
危険物から遠ざけるのは年長の役目だ。これは基本的な教育だ。
「害のあるものを口にしてはいけない」
単純に命じてしまうことにした。
言葉を尽くすより早いだろうし、シンドバッドの言うことならジャーファルは今のところ素直に聞く。
「別に平気なんですけれど…」
口の中でもごもご呟いた後、
「あなたが言うのなら、そうします」
やっと了承してくれた。
「よし、いい子だ」
頭を撫でる。
「そんなことをされる年じゃないです」
そう言いつつも顔はあまり嫌がっていない。
「俺にとっては可愛い子供だよ」
今まで甘やかされることなどなかったのだろうジャーファルは、反応に困って俯いた。
早く愛されることにこそ慣れて、毒の味など忘れて欲しい。
従順なばかりではつまらない。遠慮を捨てて歯向かってくるくらいでないと。
既にその片鱗は見えている彼の背中を押して、食事に戻ろうかと促した。
2011.6.2
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