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 電話を終えて会場へ戻ると、音の洪水に迎えられた。

「Congratulation and happy wedding!!」

 女性司会者のよく通る声、音楽、拍手、シャッター音。
 どうやらケーキ入刀のシーンに出遅れたようだ。

「一也さん、――さん、おめでとうございます!」

 新婦の名前は聞き取れなかった。披露宴が始まってから何度も耳にしたはずだが、有り触れた名前であるせいか不思議と記憶に残らない。

「今この瞬間、世界で一番輝いているお二人です!さあ、カメラ、ビデオに最高の笑顔でお応えください!」

 大袈裟な、と思いながら、閑散としているテーブルへ戻った。世界で一番は大袈裟だが、後輩の幸せそうな姿を見ることができてとても嬉しい。この結婚にはクリスも少なからず貢献している。
 サビの歌詞を聞いて、知っている曲だと気付いた。結婚情報誌のCMで使われている、結婚式の定番ソングだった。
 新婦の友人が「おめでとう!」と声を上げてまた盛り上がる。
 同じテーブルの面々は、ほぼ全員、カメラを手にケーキ前へ陣取っていた。今から向かってもいい場所は空いていないだろう。後で写真を送ってもらえばいい。
 ここからでも御幸の顔は見える。彼と釣り合う美しい新婦の姿も見える。
 やはり名前は思い出せない。

「一也さん、――さん、同じ方向のカメラに視線をお願いします!」

 撮影会はもう暫く続きそうだった。
 背もたれに掛かったナプキンを取り、席に着く。
 青道OBが集められたこのテーブルには、白けた顔の倉持だけが残っていた。久しぶりに会った後輩は、いったい何が気に食わないのか、終始眉間に皺を寄せている。

「指輪のデザイン」

 と彼が聞き取りにくい声で言った。

「どうしてクリス先輩に頼んだか知ってます?」

「知ってるも何も……」

 理由も聞かずこんな話を受けたりしない。
 唐突な質問を怪訝に思いながら、答える。

「自分はセンスがないし、彼女が俺のファンだから、と頼まれたが」

 倉持は別の理由を知っているとでも言うのか。
 御幸に頼まれた時のことを思い出す。忙しいのにすみません、とひとしきり恐縮した後で、「クリス先輩にお願いしたいことがあるんですが」と、緊張した面持ちで切り出したのだ。



「デートの時も服がダサいって嫌がられるんですよ。そのまま服屋連れて行かれたこともありましたし」

 一度は断った。ずっと使う大切な物なのだから、結婚相手以外の男が選んだ指輪など受け取りたくないだろうし、あまりよくないんじゃないか。その男がジュエリーデザイナーならまだ分かるが、プロ野球選手であるクリスは明らかに門外漢だ。
 センスに自信がないなら彼女と一緒に選べばいい、と言った。
 それでも御幸は引かなかった。指輪はサプライズで用意したいのだと言う。

「俺が選んだんじゃプロポーズ自体、失敗しそうで」

 だから、お願いします、と続ける。

「後輩の最後の我が儘を聞いてもらえませんか」

「……お前に我が儘を言われた記憶はないがな」

「じゃあ最初で最後の我が儘ってことで。お願いします」

 御幸は深々と頭を下げた。
 そこまで言われたら断わるのも悪い気がする。何より、初めて御幸がクリスを頼ってくれたのだ。どうして自分なのかは分からないし、色々と腑に落ちないこともあるが、一足早い結婚祝い代わりとして引き受けてやるのもいいかもしれない。

「……俺だってセンスに自信はないぞ」

 逡巡の末、クリスはそう答えた。
 御幸が唇の両端を引き上げた。笑ったのだろう。

「いいんです」

 何故か泣き出しそうな顔にも見えた。

「クリス先輩が選んでくれるなら何でも」



 歓声で意識を引き戻された。
 メインテーブルの方へ視線を向ける。

「次に新婦から新郎へお願いします!」

 ケーキ入刀に続けてファーストバイトセレモニーを行っているらしい。お互いにケーキを食べさせ合うなんて、御幸が物凄く嫌がりそうなイベントだ。彼女にせがまれて折れたのか、無理強いされたのか。
 そもそも甘い物は苦手だろう。生クリームたっぷりのケーキなんて口に突っ込まれて大丈夫なのか。
 もっと大きく!と騒がしい野次が飛ぶ。

「新婦から新郎への一口には、これから一生あなたに美味しいご飯を作ります、という意味が込められています」

 一生。
 司会原稿通りさりげなく告げられたのだろう、その言葉がとても重いと思った。

「指輪は、クリス先輩から御幸に渡したんスか?」

 倉持が言った。そういえば指輪の話をしていた。

「ああ」

 短く肯定する。もちろん代金を支払ったのは御幸だが、結婚祝いのつもりだったから、一緒に引き取りに行ってクリスから彼に渡した。ちょうどオフシーズンで時間にも余裕があった。

「なら、御幸の希望通りにはなったんスね」

 倉持はクリスの方を見ない。不愉快そうに生クリームだらけの新郎を睨んでいる。

「希望?」

「あいつ、指輪をもらいたかったんですよ。クリス先輩から。
 渡されて、受け取りたかったんです」

 そんなことがどんな意味を持つんだ。確かにどちらかが女なら、間違いなく誤解される様だとは思ったが。
 先輩から後輩へ、男から男へ。
 渡す、受け取る。
 たったそれだけのことに何か意味を持たせるのなら。
 まるで。

「今隣にいるあの女じゃなくて、クリス先輩と結婚したかったってことっスよ」

 ぞんざいに倉持が言い放った。
 さっきから同じ曲が繰り返し流れている。今夜はこの曲にうなされそうだ。

 早く、何か答えなくては。

「……男同士だろ」

「気持ち悪いですか?」

「……いや、偏見はないが……」

「けど、自分のこととしては考えられない」

 当然っスよね、と言われる。答えが、見つからない。
 クリスは何も知らなかった。思いを告げられたこともなかった。
 今更知って、どうすればいい?御幸は結婚してしまったじゃないか。彼女と一生を誓い合ってしまったじゃないか。もう、何もかも手遅れだ。

「どうしてこんな話をしたんだ」

 責めるように聞く。

「御幸に頼まれたのか?」

「ちがいますよ」

 その時、倉持は初めてクリスを正面から見据えて、言った。

「俺がムカつくからです。このまま何も知らないでいるなんて許せなかったんで」

 こんなとこでしていい話じゃなかったことは謝ります、すみません。
 という全く心の篭っていない謝罪で、倉持のしたかった話は終わったらしい。クリスが御幸を受け入れるか拒絶するかの答えなど、端からどうでもいいのだろう。

 そろそろ周りに人が戻ってくる。テーブルに並ぶモエ・エ・シャンドンのグラニテが、溶けて形を失っている。
 クリスは見つからなかった答えの代わりに、誰に向けるでもなく呟いた。

「……アイツは、幸せなんじゃないのか?」

 ただ一人聞いていた倉持は言う。

「あの顔が幸せそうに見えるんスか?」

 スポットライトで照らされて、沢山のフラッシュを浴びて、祝福する人達に囲まれて、真っ赤なドレス姿の新婦の隣で、御幸は笑顔を見せている。
 分からなかった。
 会うたびクリスに向けられていたのと同じ笑顔だった。
 例えば友人である倉持の前では、違う顔で笑うんだろうか。青道にいた頃のような無邪気な顔で。もっと幸せそうな顔で。

「お色直しを済ませたご新郎ご新婦が、改めて高砂の席へお揃いになりました!皆様、今一度盛大な拍手でお包みください!ご結婚、誠におめでとうございます!」

 新郎新婦が一礼する。煽るようにCMソングが大きくなる。
 司会者も笑顔で拍手を送る。フロックコートとカラードレスがよく似合う美男美女の姿に、黒服のスタッフも目を細めている。
 二人の左手で光るのは、クリスが選んだ揃いの指輪。

 ふと、思う。
 あの指輪を選んだのはクリスなのに、どうして名前も知らない女の指にはまっているのだろう。
 知らないのではなく、知りたくない。だから聞き取れないし覚えられない。

 この広い披露宴会場の中で、手を叩いていないのも笑えずにいるのも、きっとクリスと倉持だけだ。



2015.6.21




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