四月が嫌い

「今日から四月ですね」

 おはようございます、の後に御幸はそう言った。つまり今日は四月一日で、エイプリルフールで、だから今から言うことは嘘ですよ、と。
 そういう意味だったらしいことをクリスが理解したのは、次の言葉を聞いた後だった。

「今日、だから言いますけど。俺もクリス先輩のこと嫌いです」

 誤解しようのない、とても分かりやすい嘘だった。目を逸らしていて、早口で。そうして暫くクリスの前に立ち尽くしてから、「それだけです」と続けて背中を向けた。
 嫌いが“嘘”なら本当は“好き”だ。わざわざ言われるまでもなく、この後輩から慕われていることは知っていた。わざわざこんな形で伝えなくてもいいだろうと、呆れるような思いすらあった。
 呆れを遥かに凌駕する感情は、怒りだ。御幸は確かに「俺も」と言った。クリスが彼を嫌っていると決め付けてかかった後輩に、物凄く腹が立っていた。

 クリスは彼に嘘を吐かれた後、何の反応も返さなかった。彼の方を見てはいたが、表情ひとつ変えなかった。背中を向けて逃げた彼を、追い掛けようともしなかった。
 嘘だと気付かれていないかもしれない、誤解されたかもしれないと、せいぜい一人で苦しめばいい。

 到底信じてはもらえないだろうが、クリスも御幸のことが好きだった。純粋に先輩として慕ってくれているだろう彼とは、全く違う意味で好きだった。



 朝練を終えた後の食堂では、害のない嘘が飛び交っていた。特に賑やかなのが一年だ。いや、もう学年は上がったのか。
 どんぶり飯三杯のノルマに苦しむこともなくなった、ひとつ下の後輩達。

「御幸てめぇ少しは騙されろよ!つまんねぇだろ!」

 倉持の向かいに座る彼は、いつも通り飄々としている。笑っている。今朝のことなど全く堪えていない様子に見えて、クリスは密かに落胆した。
 たまたま四月一日の早朝にクリスと会った御幸が、思い付きで嘘をついただけだ。嫌いという嘘に込められた好意には、何の含みも重さもない。とうに分かっていたことじゃないか。




「実は俺、御幸と付き合うことにしたんだ。キスももう済ませたよ」

 昼食のために再び食堂へ向かう途中、するりと隣へ並んだ亮介が言った。
 エイプリルフールなんて嫌いになりそうだ。

「……」
「まあ、嘘だけどね」

 質の悪い嘘をつくな、という非難を込めて、クリスは冷やかな視線を送る。
 彼は意にも介していない様子で笑った。

「さっき御幸がさ」

 こちらが聞いているのかどうかも構わず、自分のペースで話を進めていく。

「クリス先輩はエイプリルフール知ってると思います?って、この世の終わりみたいな顔して聞いてきたから、確かめてあげただけだよ」

 知らない訳ないのに馬鹿だよねと言う。

「……無条件で、か?」
「まさか。俺の命令に一度だけ問答無用で絶対服従って条件付き」

 何を命令してやろうかな、と彼は楽しげにまた笑った。
 少々後輩のことが心配になってきた。どうしてそんな条件を呑んだんだ馬鹿。
 クリスに誤解されていないか知るためか。何事もなかったような顔をしていたくせに。

 迷った末、クリスは口を開く。

「……あまり無茶な命令は」

 やめてやってくれるか、という声は、笑顔の亮介に遮られた。

「大丈夫」

 怯むほど威圧的な笑みだった。

「クリスほど酷いことするつもりはないよ」

 彼は辛辣な一言を残して立ち去った。反論する隙もなかったし、元より反論するための言葉など持ち合わせていない。
 一方的な会話が終わった今、ようやく気付くことができたのだが、どうやら亮介は怒っていたらしい。偶然虫の居所が悪かった訳ではなく、きっと御幸のために怒っていた。嫌われているのだと御幸が思い込んでも無理のない態度を取り続けるクリスのことを、いい加減にしなよと言外に責めていた。







 日々はめまぐるしく過ぎて行った。台風のような太陽のような後輩投手がクリスを暗い場所から引っ張り上げ、御幸とも同じポジションの先輩後輩として話せるようになり、熱の篭った試合を重ね、夏が終わった。
 野球漬けの毎日で、叶わない恋のことなど脇に置いていたように思う。自分の想いすらそんな扱いなのだから、御幸が一度だけ問答無用で亮介の命令を聞く条件を呑んだことなんて、クリスはすっかり忘れていた。
 死にそうな顔の御幸に呼び出されるまでは。

「色々あってどうしても逆らえない人から今すぐ告ってこいって命令されちゃったので、言います。一生言うつもりなかったんですけど」

 昼休み、人気のない中庭で、初めて聞く弱々しい声は辛うじてクリスの耳に届いた。命令という言葉だけを拾って、四月一日のことを思い出した。十中八九命じたのは亮介だろう。

「クリス先輩のことが好きです。俺と付き合ってください」

 それは紛れもなく告白だった。ストレートで、分かりやすく、全く誤解しようがなかった。
 とても告白しているとは思えない、青褪めた顔で震えていた。

 今日は何月何日だ?
 思わず馬鹿馬鹿しい問いを自身にぶつけた。月さえ分かればいい。四月でさえなければ。嘘になってしまうあの日でさえなければ。
 クリスはまだ何も言えずにいる。

 ――俺はお前に触れてもいいのか。この手を伸ばしてもいいのか。お前を捕まえてしまっていいのか。

 考えるより先に体が動いた。一歩ずつゆっくりと距離を詰める。彼は何も気付かない。

「あ〜……やっぱ気持ち悪いっスよね。男から本気で告られるなんて」

 だから嫌だって言ったのに、と恨みがましげに御幸が零す。

 九月の温く湿った風が、俯く彼の髪を揺らしていた。



2015.4.1




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