「撒く?」

何気ない台詞は取るに足らない雑談でなく。
見上げた快斗の、目だけが鋭い。

「いや…追われるのも逃げるのも性に合わねぇ」
「コナンならそう言うと思ったよ。これ、昨日の男だよね?」

さりげなく渡された携帯の画面には、確かに見覚えのある人物が写っている。

「あぁ」

簡単に肯定した後、いつの間に撮ったのかを聞こうとして止めた。
相手は月下の奇術師なのだから、隠し撮りなんてお手の物だろう。

都会の狭い空は憂鬱に曇り、強い北風が体感気温を下げるべく吹き抜ける。
お出かけ日和とはとても言い難い天気のせいか、街を行く人は休日の昼間にしては少ない。
敢えて言うなら、こんな事態には似合いの陽気だ。
例えば口封じを目論む犯人に、跡をつけられているだとか。
今現在、その犯人逮捕に協力するために、事情聴取へ出向いている途中なのだが。

「今から捕まえる」

そう、端的に宣言した。
事情聴取に遅れても、実際に犯人を捕まえてしまえば文句は言われまい。

「了解」

同行者もあっさり同意を示す。

「で、作戦は?」
「ここで騒ぎ起こす訳にもいかねぇからな…」

パタンとケータイを閉じた快斗に聞かれ、この近辺の様子を思い出しながら答えた。

「アイツは俺が一人になるのを待っているはずだ。だから一旦おまえと別れて、人通りのない方へ向かう」

大通りの信号に引っ掛かる。
お互いにだけ届く声量で続ける。

「じゃ、俺は犯人の後ろに回るってことで」

日常の中の非日常が始まる。
よくあることと言ってしまえば、それまでだが。

「それから、俺が犯人と接触した時点で、高木刑事辺りに連絡してくれ」

けれどこんな風に事の始めから、快斗と協力体制をとる事態はけっこう珍しいかもしれない。

それもこれも全ては昨晩この男が出した条件のせいだった。

『俺はあの犯人が捕まるまで、片時もコナンの側から離れないから』

快斗が、俺の身を心配して言い出した条件だというのは、わかる。
しかし言質は取ったとばかりに、共にシャワーを浴びる羽目になるわ、トイレの前までついて来るわ、同じ布団で寝ようとするわ…
途中からは完全に楽しんでいたとしか思えない。

「気付かれるなよ。さっさと犯人捕まえて、おまえから解放されたいしな」
「なにその言い方。酷い…」

わざとらしくうんざりした調子で言うと、下手な泣き真似が返ってきた。
そんな手に乗るかと思う一方、ほんの少しだけ気が咎めるのは条件反射であって、決して愛ではないと、信じていたい。



耳にした通り




人の流れに乗って信号を渡り、またね、と身に馴染んだ子供のふりで手を振った。
気付かれるな、などと念を押すまでもなく、快斗なら心配いらないだろう。
姿は見えないがつけてきているらしい殺人犯、その男への対処だけに集中する。
衆人環視の中、犯行に及ばない程度の理性はあるが、一度殺意に囚われれば歯止めが効かない。
昨晩の惨状を思い返して顔をしかめた。
まだ鼻先には濃厚な血の臭いが漂う。
酷く怯えていた、助けられなかった彼女のため、あの男を捕まえる以外にしてやれることは何もない。
それは警察の仕事なのかもしれないが、現に犯人は俺を狙っているのだから。
この身を囮に使って何が悪い。



駅へ向かう人々と擦れ違いながら、迷いなくひとつの細い道を選んだ。
この先の小さな公園に誘いこもうと決める。
シーソーとベンチと滑り台くらいしかない寂れた場所だが、周りは低い樹木に囲まれているし、隣接するアパートの窓も公園側にはない。
犯罪が起きやすい場所の条件をこれでもかと充たしていて、遊ぶ子供がいたら注意して回りたいほどだ。
逆に言えば、こっそり事を片付けるため、これほど適した場所は他に見つからないだろう。



――相変わらず、荒れてんな…

踏み込んだそこには空き缶などのゴミが散らばり、閑散としていて誰一人いなかった。
ふと、目の中へ飛び込む雫に空を見上げる。

雨。

体をじっとりと濡らす霧雨だ。
憂鬱な気分は増すけれど、この後の流れを考えれば、かえって好都合、と笑う。
ただでさえ悪かった通行人の視界は、傘で尚更遮られる。



「こんにちは」

全く消すことが出来ていない気配と、砂を踏む足音に振り返った。

「会うのは二度目だよね」

見上げて、予想と違わない人影を認める。

「滋谷巧宏さん?」

手にしたナイフまでも予想通りだ。

「……なぜ俺の名前を知っている…?」

凶器を振りかざしたその手を止め、彼は不快げに問うてきた。
殺そうとした相手が笑みを浮かべていることも、滋谷にとっては不可解らしい。

――残念ながら、おまえの目の前にいるのはタダのガキじゃねぇんだよ。

無邪気だった子供の笑顔を、不敵なものへと変えていく。

「お兄さんが付き纏い行為を行っていた女の人から、昨日、事情は聞き出してたし。名前くらい簡単に調べられたよ」

実際に名前から職場から何もかも調べ上げたのは快斗なのだが、面倒なのでそこは割愛した。

「俺は付き纏いなんてしてないさ。彼女の妄想だ。騙されたんだ」
「騙されてなんかないよ。ほら、これを見て」

往生際の悪い彼に手の中の機械を示す。

「あのお姉さん、つけてくるあんたを小型カメラで撮影してたんだ」

そして、証拠を揃えてから警察に届けるはずだった。
本気にしてもらえないかも、と不安がっていたから、僕に任せて、と言って預かったのだ。

『僕、刑事さんの知り合いがいっぱいいるからさ』
『あら、心強いわね』

ホッとした顔を見せた後、ほんの少しだけ笑ってくれた。

『それに、その男の人なんだか危なそうだし』

今となってはもう遅い。
もう少し早く行動していれば、あの女性は、と考える。

何もかもが、遅かった。



「これを見れば言い逃れ出来ないよね?」

だから、せめて、この男だけは。

「…よくわかったよ。おまえを殺せば済む話じゃないか」
そんな物を持ってのこのこやって来るなんて馬鹿なガキだな。

独り言のように滋谷が言う。

「コイツさえ殺せば俺は自由だ」

意図的に誘き出されたことにすら、まだ気付かない。

躊躇なく人を殺せる彼の両目は血走り、光る凶器を振り翳す。


「おとなしく俺のために死ね!!」

避けながら麻酔銃を撃つのは困難だし、ボールは膨らましている間に刺されそうだ。
これはもう本能的に危機感を覚えるべき場面なのだろう。
しかし逃げ出そうとこの体が動くことはなかった。
ただ、近くに潜んでいるだろう快斗に、出番だぞ、と告げるだけでよかった。
尤も、言うまでもなかったが。



「例え1ミリでも彼を傷つけたら、うっかりこの指が滑るかもしれませんよ?」

冷ややかな声に姿を探すと、彼は既にそこへ立っていた。
滋谷のこめかみにトランプ銃を突きつけて。
正に、神出鬼没。

こちらの背筋まで凍らせそうな迫力に、男は身動きできなくなる。
さすが怪盗、とこの時ばかりは感心した。

真っ先に弾き飛ばされたナイフが、視界の片隅に転がる。

「おまえ、平然とし過ぎだって」

こっちが焦ったよ、と快斗はぼやく。

中身はトランプであるとはいえ、人に銃を突き付けた状態で言っていい台詞ではないだろう。
すっかり固まっている男のことは、忘れてしまったんじゃあるまいか。

「…いや、オメーのこと信頼してたし」

半ば呆れながらそう答えた。

持ち主から離れた凶器を拾いに行く。
ハンカチを使って手に取ると、付着している僅かな血液に気付いた。
乾いているが、擦れたような跡もある。
間違いなく、昨晩の犯行時使用していたものと同じ凶器だ。
他にも犯行を重ねているのでなければ。
布で血を拭っただけなのだろう。
お粗末なことだ、と犯人にも呆れる。

「おい、いきなり何なんだ、こんな物騒な……まさか殺すつもりじゃないだろう!?早くしまえ…っ」

数分前までの威勢は何処へやら、止めてくれ、と滋谷は必死で喚いた。

「ついさっきまで勝手な言い分で人を殺そうとしてた奴が言っていい台詞じゃないね」

快斗は全く取り合わない。
引き金に掛けた指すら外さない。

「あれは…違うんだ、ちょっと、ふざけていただけで」
「ふざけてナイフ振り回す奴がいて堪るか」

下手な言い訳に怒気の滲んだ声で言い返す。

激昂していた昨日の彼を思い出し、放っておけば本当に犯人を傷つけかねないと。

「ねぇ、」

子供の高い声で割り込んだ。

「このナイフ、昨日も同じの持ってたよね?」

滋谷にかざして見せてから、血液が雨で流れ落ちないように、ハンカチでくるんでしまってしまう。

「昨日?何のことだ。俺は知らない」
「今更とぼけても無駄だよ」

少し距離を詰めて睨み上げた。

「あんたが殺人犯だっていう証拠ならある。まずは彼女にしていた付き纏い行為を証明する映像、次にこの凶器、拭き取り損ねた血が残っているし、手袋もしていないから指紋が出る。何より俺は昨日あんたの顔を見てるんだ。だからわざわざ口封じに来たんだろ」
「俺らが知ってるのはそれだけじゃないぜ?」

更に、快斗が言葉を引き取る。

「あんたは以前から被害者である阿刈美澪さんにしつこく交際を迫っていた。相手の了承を得る前から恋人気取りで、プレゼントを贈ったり日に何度も電話をかけたり食事に誘ったり…それが長じて無言電話や付き纏い行為へと発展、といったところかな」
「そして、全く相手にされないことに憤ったあんたは、昨晩とうとう凶行に及んだ」

この半日で調べ上げた事を全て語り終えれば滋谷は呆然とし、小学生と高校生、俺と快斗の顔を見比べた。

「おまえら……いったい何者だ?」
「ただの怪盗と探偵だけど?」

平然と答える快斗の声に、男は一瞬固まった。
カイトウとタンテイの漢字変換が、咄嗟にできなかったせいだろう。

「ふざけるな!」
「残念ながら、全くふざけてないんだよね」

冷たい声で快斗が言う。
相変わらずの迫力で、それ以上追及することを躊躇わせる。

「そ、そこまで全て分かっているのならどうしてこんな場所まで…?」

滋谷が怯えながら質問を変えた。

「わざと誘き出したんだよ。まだ気付いてなかったの?」
「何のためだ?脅すつもりか?金ならないぞ」
「…いいや」

短く否定した快斗は、何とも胡散臭い笑みを浮かべた。
いつのまにかその右手からトランプ銃が消えていた。

「もちろん法で裁いてもらうためさ」

代わりに携帯電話を取り出し、余裕の表情で何やら操作する。
途端。
公園前に停まっていた覆面パトカーから、わらわらと警官が駆けてくる。

「電話したら踏み込んでくれって、高木刑事に言ってあったんだ」
「なるほどな」

かくして昨晩、阿刈美澪さんを殺害し、俺に幾つかの切り傷を作った犯人は、あっという間にお縄になった。



借りた傘を差して帰路を辿る。
空は相変わらずの雨模様だが、既に傘さえあれば天気など関係のない時刻になっていた。

休日はあと数時間であっさりと終わりを告げる。



「何処までついてくる気だよ?」
もう犯人は捕まっただろ。

ビニール傘を手に並んで歩く快斗は、いっこうに江古田へ向かう気が見えない。

「コナンちゃんを送るに決まってんじゃん。昨日の今日で何言ってんの」
「……」

悔しいけれど反論ができなかった。

「俺、今回のことでけっこう反省したよ」
「別にオメーは悪くないだろ?」
「外出の原因作ったのは俺なんだし、俺のせい以外の何ものでもないじゃん」

責任を感じて落ち込んでいるらしい怪盗を、さて、どうやって宥めようかと考えていると。

「だからさぁ…今度から送り迎えは必須だよね」

快斗は思案顔でそんなことを言い出す。

「おまえ…」

頭痛を覚えて額をおさえた。

「今、ものっすごくバカバカしいことを言った自覚はあるか?」

“送り”の方はともかく、怪盗が探偵を迎えにくるとは。

「だってさ、来るななんて言えないし。危ないのはよく分かってるんだけど」

どうやら大真面目な提案だったらしい。

「もう、あんまり心配させないでよ」
「努力はしてる」

具体的にどんな努力かを問われると返事に窮するが。

俺が好きなモノは謎解きであって、血生臭い事件や殺人なんて余計なオプションはない方がいいに決まっている。
トリックも何もない衝動殺人なら尚更だ。

「え、これからするんじゃなくて?」
しててこの事件遭遇率?

心底疑わしげな目を向けられる。

「……だいたい…」

この話題を続けても良いことはないと悟ったため、

「オメーが心配性すぎるだけだろ?」

早々に話を逸らした。

「いや」

快斗は軽くかぶりを振る。

「こんな心配性になったのは、おまえと会ってから、なんだけど」
「……え?」

意外な言葉に目を瞠った。
何かあるたび泣かんばかりの顔をする快斗を見てきて、こういう奴なんだと勝手に思っていた。

「逆境でもくじけたことはないし、何とかなる、何とかしてみせるっていつも乗り切ってきたよ。まぁ、俺を一番追い詰めんのは名探偵だから、そこらへんはよーく知ってると思うけど」
「……」

でも、と情けない顔で笑いながら言う。

「コナンのことだけは頭真っ白になる。ダメなんだ。心配することしかできなくなる」

何を言えばいいのか分からなくなって、困惑してその横顔を見上げる。
気付いた快斗が今度はいつもの笑顔を見せて、伸ばした手で俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「俺をこんな心配性に変えたんだから、責任くらいちゃんと取れ」

手を振り払った拍子に水滴が跳ねた。

「……一応聞いてやるが、どう取って欲しいんだ?」

どうせまたろくでもない要求をしてくるんだろう。
コイツの言いそうなことなんて分かりきっている。



「とりあえず発信機と盗聴器つけるくらいは許して?」

それとこれとは全く別の話な訳で。

「断固断る」

もう、一瞬の間も空けずに即答した。



END

まずは、ものすっごく遅くなってしまいまして、本当に申し訳ございません!!まさかここまでかかるとは、私も想定外でして…

リクエスト内容は「事件に巻き込まれたコナンを心配する話。快斗もコナンと一緒に犯人を追い詰めていく感じで」ということでした。
エセ事件モノ、シリアスにも転びつつ私なりに頑張ってみましたが、どうだったでしょうか…?

書き直し・返品等、何かご希望がありましたら遠慮なく言ってください。
リクエストありがとうございました!
2011.5.6

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