翌朝、何気なくつけたテレビには、静寂を取り戻した東都スタジアムが映っていた。
そして顔が分からない程度にちらりと映る、見覚えのある男、犯人の中岡一雅。
コナンにより改心させられたのだろう彼は、とても素直に自供しているらしい。
頭の中を、普段は使うことのないひとつの単語が過ぎる。
――クロスバー。
「そういえば動機ってなんだったの?」
聞きそびれていたことに気付いて、何事もなかったような顔でコーヒーを飲むコナンに問うてみた。
本当に何事もなかったような、少しだけ眠そうな見慣れた顔だ。昨日巻き込まれた事件のことも、それから、彼の心に影を落とし続ける事件のことも。
動機、と言われて少しだけ考え込んだコナンが、
「それ、なんじゃねぇか?」
ややあって指で差したのは、部屋干しした洗濯物たちだった。
子供のシャツと、上着とズボン。特に変わった物は見当たらない。
と、いうことは。
「…リストバンド?」
当たりらしい。コナンが軽く頷く。
「オメーが飛ばせっつったから説明し損なったんだぞ」
「飛ばせって、カズ選手の話?あれ、事件に関係あったの?」
「なかったら何でわざわざ朝早く公園なんか行くんだよ」
確かに、それは俺だっておかしいと思ってた。
「カズ選手が言ってたんだ。十五、六年前、俺と同じように一緒に練習をした子供に、赤いリストバンドをあげたって。それが中岡さんだった」
「すげー偶然だな」
「ああ」
公園へ行った時点ではそんな繋がりがあるなんて知らなかったけど、と続ける。
「赤いリストバンドをもらった後、中岡さんはそれをつけたままサッカーを続け、そして高校三年の春、杯戸公園での自主練を見ている子供に気付いて、カズ選手と同じ言葉をかけたんだ。サッカー好きか?ってな。それから二人は時々一緒に練習をするようになった」
「へぇ…」
今のところほのぼのとしたいい話だ。中岡も子供好きの好青年、という印象しか抱かせない。
「中岡さんと子供、知史くんの関係はその年の冬まで続き、中岡さんが高校選手権で日本一になった後には二人で祝杯を上げ、リストバンドを知史くんに譲った」
この延長線上に今回の爆破事件が起きるとは、なんて酷い筋書の物語だろう。
「そして、二月。中岡さんはバイクで事故を起こした。リハビリをしても足は完全に元通りにはならず、スピリッツとの契約を破棄して南米に渡った。一年後日本に戻ってきても荒れた生活を送っていたが、再び杯戸公園へ足を向けた時、知史くんと再会したんだ。地元のサッカーチームに入っていた知史くんが今度サッカーの試合に出ると聞いて、中岡さんは応援にやってきた。手首に赤いリストバンドをつけた知史くんは、試合で見事なシュートを決めた。
ちなみに、爆弾を止める方法がクロスバーの真ん中にシュートを打つことだったのは、知史くんにとって最初で最後の試合でのシュートが、クロスバーの真ん中に当たった後、そのままゴールに入ったからだ」
「…最初で、最後?」
何だか、雲行きが怪しくなってきた。
「知史くんは体が弱かったらしい。その試合は特別に少しだけ出してもらったもので、中岡さんが知史くんを祝いに彼の家を訪れた時には、知史くんは亡くなっていた」
そんな気はしていたけれどやはりそうきたか。
「それって死因に問題あったりしたの?事件性とか…」
「いや、病死だよ。自宅でサッカーの試合を見ている最中に発作を起こして、救急車で東都スタジアムの近くの病院へ運ばれたけれど、助からなかった」
そこまで一息に言い切ったコナンが、「問題は」と続けてやり切れない表情を浮かべる。
「問題は東都スタジアムの近くにいたおっちゃんと、試合を観戦していたサポーターたちも、熱中症で倒れた老人を救うために救急車を呼んでいたってことだ」
やっと姿を現した救急車が、真っ直ぐこちらへ向かわず曲がろうとしてしまう。彼らは救急車が道を間違えたと思い、なんとか止めようとする。
「当然、救急車に乗っている人間に、おっちゃんたちの事情が分かるはずない。試合で興奮したサポーターたちが騒いでいるだけだと思う。救急車は二分ほど足止めをくらい、その足止めがなかったら子供は助かったかもしれないと、彼らを恨む気持ちを抱かせた。知史くんの母親は何も知らずにやって来た中岡さんにそのことを話した。ずいぶん感情的になっていたはずだ。話を聞いた中岡さんは、おっちゃんとサポーターに復讐しようと決めた」
ってとこだな。
「うーん…」
長い話を聞き終えて唸る。
「納得できるような、できないような」
話の間にテレビのニュースは終わり、天気予報士が爽やかに告げる。
今日は過ごしやすい穏やかな一日になるでしょう。
「そんなもんだろ、犯罪の動機なんて」
常日頃から、人が人を殺そうとする理由なんて理解できないと言っている彼らしく、コナンが早々に話を投げた。
仕方なく一人で考える。
いくら中岡が子供好きでも、一年にも満たない短い時を共に過ごした赤の他人である子供のため、例え上手くいかないことばかりの人生に嫌気がさしていたとしても、ここまで手間がかかる上、リスクも大きい事件を起こそうと思うだろうか。
それはちょっと、考えられない。
彼にとってその子供は、もっと特別な存在だったのではないだろうか。
「…犯人の中岡ってさ、よっぽどその子のこと好きだったんだね」
仮説でしかない考えを噛み締めながら言ってみる。あながち間違っていないような気がする。
「まぁ、事故で全てを失った自分に、再び希望をくれた存在だからな」
淡々と答えるコナンはたぶん、“好き”に篭った意味には気付いていない。
「失ったからと言って、今回みたいな事件を起こすのは間違ってるが」
そう、苦々しく続ける彼に、
「…俺も」
ぽつり、呟いた。
「なんだよ?」
聞き取ったコナンが促すように言う。
「俺も……コナンが死んだら死因に関係してそうな人全員逆恨みして、すごい事件とか起こすかもしれない」
「おい、冗談にならないこと言うな」
鋭く睨みつけてきた探偵と、
「冗談じゃなくて、」
目を合わせてゆっくりと口を開いた。
「本気だって言ったら?」
いつか彼が自分を責めるのをやめたとして、誰かを救えなかった自分を許そうと思える日が来たとして。
必ず、できれば近い内にそうなって欲しい。そのきっかけを作ってやれるのなら尚いいと思う。
それでも、後悔や罪の意識から解放するくらいでは、必死に誰かを救おうとし続ける彼を止めることはきっとできないだろう。
だから、俺の言葉が枷になればいいと、そんな思惑もあったのだけれど。
「…んなん止めに行くに決まってんだろ」
コナンは一瞬言葉に詰まった後、真顔でそう答えてみせた。
「死んでんのに?」
「ああ」
例え遺体安置所から飛び出してでも。
コナンこそ冗談を言っているとは思えない顔で、大真面目に言うから笑ってしまう。
「なにそれ」
酷くいびつな笑顔になった。
そして上手く笑えなかった俺を見て彼が口にした言葉は、前提が間違っているせいでちっとも説得力のない一言だった。
「そもそも、俺は死なないから平気だ」
「…うん」
根拠を聞いても答えられないんだろうなと思いながらも、同意すれば本当になる気がして頷いた。
俺の目に映ったお前は確かにヒーローだった。呆気にとられて圧倒されて惹かれた。
危なっかしさに目が離せなくなりながら、好きになったということも潔く認める。
けれど何よりも彼を守りたいと思ってしまった今では、早くやめてしまえと言いたい俺がいる。
そうやってヒーローであり続けることは、彼自身の命を脅かす死神であることと同義なのだ。
探偵の仕事は真実を明らかにすることだろう。人命救助は管轄違いのはずだ。探偵は探偵らしく目を輝かせながら謎解きでもしてればいいんだ。
復讐してやるなどと言ったのは、半分は彼の無茶をやめさせるため、残りの半分は本気だった。
『んなん止めに行くに決まってんだろ』
矛盾だらけの台詞を思い返して笑う。今度はちゃんと笑うことができた。
待っているよと思う。
キッドが気違い呼ばわりされようと、いなくなった探偵へ向けて犯行予告を出そう。
生き返ってでも現れてくれないと困る。
その時、俺が誰よりも憎んでいて、復讐したいと望む相手は、コナン自身だと思うから。
END
2012.5.13
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