あなたになりたい
…それじゃ足りない
俺が欲する全てのモノを彼は両手に持っている、と。
嫉み、妬み、負の感情の全てが膨らんで溢れて止まらない。
街で見かけるたび追い掛けて、じっと背中を睨み続けた。
俺と丸っきり同じ顔をした男は、友達と騒ぎ、彼女と歩く。切望する日常を持っている。俺がどんなに望んだところで、決して手には入らないような。
おまえになりたかった。なれないなら壊したかった。
「最近ちょっと容赦なさすぎねぇ?」
思い切り蹴り付けたサッカーボールを軽々と避けた怪盗は、苦情を言いつつも飄々としている。
「オメーの腕が鈍ったんだろ」
「まさか」
俺は、彼の昼間の顔を知っている。
無邪気な笑顔、一人でいる時の暗い顔、
その全てを殺してキッドを演じる。
昼間の彼を追い掛ける俺の存在になんかとっくに気付いているはずだ。けれどキッドは何も言わない。
「なぁ、解けない謎がない人生なんて、つまんなくねぇの?」
代わりに、自分こそ余程つまらなそうな顔で、そんなことを問うてきた。
「道端に不思議なもん見つけて、あれは何だとか思うこともないんだろ」
大抵のことは知ってるからな。
「……俺にだって解けない謎くらいあるさ」
少し逡巡した後、答える。
例えば、おまえ。
爆音と共に警察のヘリが現れて、会話はうやむやに終わってしまった。
羨ましい。妬ましい。憎たらしい。
俺に、よく似た男。
翌日、彼は公園にいた。
泣いている子供を見つけるとその前にしゃがんで、カラフルなお菓子を出してやる。まるで優しい魔法使い。
「ほら、もう泣くんじゃねぇぞ?」
俺にだけどうしようもなく冷たいのだった。
どんなに睨みつけても決して振り返らない。
当たり前のことだ。俺は怪盗の敵で、探偵で、彼を追い詰め窮地に陥れ、彼の使命の邪魔をする。
俺も泣けばいいんだろうか、そう思った。
いつしか追い掛ける理由が変わっていた。振り向いてくれと渇望した。
おまえの目の前で泣けばいい?惨めにボロボロと、決して知らない振りなど出来ないように。
こんなにも痛いのに涙が出ない。痛みには慣れきってしまったせいか。
人混みの中で、押されて転んで、遠ざかる背中は気付かない。こんなに小さくて些細なコドモになんて。
「ボウヤ、大丈夫?」
買い物袋を提げた女性が言う。
「うん、大丈夫だよ」
ニッコリ笑って立ち上がった。
幾らでも笑うことが出来るんだ、心の中に何があっても。
俺はコドモじゃない、けれど、オトナでもない。
そして、キッドとは会わないまま二週間が過ぎた。
いつも同じことの繰り返しだった。
人混みに揉まれて転んで見失う。この人じゃない。この人でもない。
『大丈夫か?』
彼の声と掌をひたすら待っていた。
「俺はもうおまえと戦わない」
白い衣装を着た夜の彼は「ふうん」と言った。暫く続く言葉を待った。何も聞こえなかった。
それで、終わりだった。
敵ではなくなっても駄目なのか。
酷く落胆して踵を返した。何故ここまで心が沈むのかも分からずに。
冷たいビル風に身も心も震えた。
その背を、キッドの声が追ってくる。
「ところでおまえ、何でいつも俺の跡ついてくんの?」
「…っ」
待ち望んでいた問い掛けのはずなのに、俺はギクリと立ち竦んだ。
「なぁ、何で?」
そんなの決まっている。
――おまえが一度も振り返らないからだ。
けれど、どうしてそんなことを望むのか。その答えが一向に分からない。
「…オメーは何でだと思ってんだよ?」
苦し紛れに問い返した。
怪盗は意地が悪そうにククッと笑う。
「探偵の癖に、犯罪者から答えを聞くのか?」
「……」
もう、返す言葉がない。
「自分で見つけろよ、“名探偵”?」
皮肉のように付け加えられた名称。
「答え合わせは次の満月の夜にでも」
優雅に一礼して羽根を広げる。一瞬見えた彼の唇は楽しげに弧を描いていた。
遠くなる白い影をいつまでも見送りながら、もしかするとこれはそういうことなのかもしれないと気付いて途方に暮れた。
――全ての謎を解く鍵の名前はきっと恋だった。
END
2012.3.12
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