長い呼び出し音の後でようやく電話に出てくれたコナンは怪訝そうに、「なんだよ」と用件を聞いてきた。このタイミングで俺から電話がかかってくる理由が分からなくて、何か忘れてったか? なんて考えていそうな声。電話の向こうからは夕暮れの街の音が聞こえてきて、それは俺が機械に押し当てていない方の耳に入ってくるざわめきと似通ったもので、彼もまだ外にいることが分かる。
音で推測するまでもない。彼の小さな背中が見えなくなるまでここを動かずに見送ったのは、数分前のことだった。
彼の居候先まで送っていこうとしたのに、それはもうきっぱりと断られてしまった訳だが、あと少しでも一緒にいる時間が長くなっていれば、こんな電話はかけなかったかもしれない。かけていたかもしれないけれど。なんだか、無性に寂しくなってしまったから。
電話してきた癖に黙っている俺を訝しく思ったのか、珍しく「快斗?」と呼びかけてくるコナンに、できる限りのさりげなさを装って、言う。
「会いたい」
切られた。
そもそもが本気の「会いたい」ではなかったし、深刻な「会いたい」でもなかった。暫く会えなくなる予定もない。明日だって放課後になれば会いにいける。登校前に捕まえたっていい。全部分かっているからコナンはきっと、呆れ顔で電話を切ったのだ。本気で深刻な「会いたい」だったら、コナンはちゃんと戻ってくる。
──わかってる。
「仕方ねーな」だとか言いながら戻ってきてくれたり、「俺も会いたい」だとか言い出したり、そんなコナンはコナンじゃない気がする。むしろ恐い。
問答無用で通話終了してくる方が、彼らしい行動に違いないのだ。余計に寂しくはなったけれど、それでいいとも思っている。
コナンはまだ近くにいるはずだから、今からでも走って追いかけて、会いにいってしまえばいいのにな。
そう思いながら身体は動かなくて、両目だけが人混みに埋もれてしまいそうな、小さな恋人を探していた。
結局、その日の夜も、次の日の朝も、放課後も、その次の日の朝も会いにいけなかった。会いたいから「会いたい」と言ったのに、そのせいで会いにいけなくなるなんて滑稽すぎて笑えない。ああいう類いのやり取りは、付き合いたてのバカップルにしか許されない茶番だったんだろうか。
悶々としている間に放課後になった。今電話したら本気で深刻な「会いたい」を言ってしまう気がする。そもそも電話をかけられそうにないけれど。
引き続き悶々としながら校門を出ると、小規模な人集りが出来ているのが目に入った。集まっているのは女子ばかりだ。気にせず素通りしかけたところ何故か人垣が割れ、「快斗兄ちゃん!」と澄んだ声が聞こえる。
「……へ?」
全く隙のない、子供らしく取り繕った笑顔全開で駆け寄ってくるのは、コナンだ。ランドセルは背負っていなかった。代わりにスケボーを抱えている。一度帰宅してから江古田まで来たらしい。
期待してしまう。わざわざ、どうして?
すぐにでも確認したかったが、人集りがそれを許してくれない。コナンはといえば黙ってただニコニコしているだけで、「可愛い」だの「弟いたの?」だのと煩い外野への説明は俺に丸投げしてきた。一瞬、恋人だと答えてその作り笑顔を崩してやりたくなったけれど、彼の機嫌を損ねたくはないからやめておく。無難に親戚の子だと説明して、そそくさとその場から逃げ出した。
人目が少なくなる辺りまで無言で歩き、小さな駐車場の手前で足を止める。
塗装のはげたネットフェンスに軽く体重を預けて並んだ後、「何か、あったのかと思っただろ」と、先に口を開いたのはコナンだった。
「……何もないけど」
喧嘩はしていないはずなのに、なかなかに気まずい空気が漂っている。
「だったら何で来ねーんだよ。いつもだったらこっちの都合なんか構わずに、朝でも夜でも真夜中でも、好きな時に押し掛けてくるじゃねーか」
俺の行動がいつもと違うからおかしなことになったのだとコナンは言うが、こっちにだって一応言い分はある。
「だってさぁ、会いたいって言ったら切られたんだぜ? 会いたくないのかもって思うのが普通だろ」
飛び切り素直じゃない恋人が相手では、話は随分と違ってくるけれど。もしかして、を考えて不安になることが、全くない訳でもないのであって。
「別に、オメーに会いたくない時なんか」と、そこまで言ってコナンは言葉を止めた。
「……滅多にねーよ」
「……そこは、ないって言い切るとこじゃない?」
照れ隠しだとか、意地を張っているような様子はなかった。彼なりの誠意を見せた結果として、そんな答えになってしまったらしい。嘘を重ねて生きるしかない彼はたぶん、必要のない嘘はつきたくないんだと思う。
気を取り直して、「例えば?」と聞く。
「……オメーを巻き込みたくない時、とか」
「とか?」
「それが片付いた後、は会いたくねーな。おまえがめんどくせーから」
酷い言われようだ。
「あのさぁ、死んでてもおかしくないような無茶ばっかやらかしておいて事後報告すらろくにしない癖にそういうこと言う?」
「勝算があることしかやってねーんだからいいだろ」
「一か八かみたいなのが多すぎて心臓に悪ぃんだよ!」
「オメーほとんどその場にいねーだろ」
「いないからこそ恐いんだけど!?」
コナンは心底面倒そうな顔をしている。またこの話か、と若干うんざりし始めているのは俺も同じだ。言いたいことなら幾らでも見つかるけれど、俺が今さら何を言っても、彼を変えられないことは解っている。
無言のまま顔を見合わせ、溜め息。
「……もうこの話やめない?」
「……そうだな」
とりあえず、『オメーに会いたくない時なんか(中略)ねーよ』をコナンの口から聞くことができただけでも上出来だし、理由はなんであれ彼の方から会いにきてくれた。今はそれで十分だ。
いい加減気まずい空気を変えたくて、「うち、寄ってくだろ?」と、いつも通りの調子で、笑って言う。
「帰るぜ?」
コナンが一瞬の逡巡も見せずに答えた。せっかく作った笑顔が崩れ去る。
「なんで!?」
「この後、おっちゃんの手に負えなそうな依頼人が来ることになってんだよ」
そう話す彼の瞳はキラキラと輝いていて、あからさまに待ちわびているようだ。彼好みの謎めいた事件でも持ち込まれるんだろう。ここで粘ったりごねたりしてみたところで、魅力的な謎には勝てっこない。早々に諦めて言葉を変える。
「じゃあ、送ってく」
「おー」
今度はあっさり頷くから、少し拍子抜けしてしまった。
「え、いいの?」
今日は送っていっていい日なのか。この前との違いは何なんだ。
「なんだよ、その顔」
「……断られてもついていこうって意気込んでたから、予想外だったというか」
同じように一昨日のことを思い出したらしいコナンが、ふい、と顔を背けてしまう。
迷うような間があって、それから、「あの時は」と決まり悪そうに口を開いた。
「蘭から連絡があってさ、買い物帰りで近くにいるって言うから、合流することになってたんだよ。けど、それをオメーに言ったら、だったらそこまで送るって言い出すだろ」
「言ったと思うけど……?」
「オメーと、蘭が話してるとこ見るのは……っ好きじゃねーんだよ。悪ぃか!」
自棄を起こしたように喧嘩腰で言い切ったコナンは、惚けている俺を置き去りにして、荒い足取りで歩き出す。言い逃げされて堪るかと、俺は慌てて追いかける。
どちらに嫉妬してしまうのかなんて、表情を確かめるまでもない、声を聞いただけで分かるから。
「全然悪くない。嬉しい」
弛みきった顔で隣に並んで、まるで一昨日のやり直しみたいに、ゆっくりと夕暮れの街を歩く。事務所前で彼の背中を見送った後にまた会いたくなっても、電話をかけることはないだろう。
2020.12.10
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