「夢って願望の表れだと思うか?」
天井を見上げたままコナンが言った。
まだ起きるには早い時間だけれど、二度寝する気はないらしい。腕は暖かな布団の外にあって、組んだ両手が頭の下敷きになっている。
ほとんど独り言のつもりで無造作に放り投げた問い掛けが、天井にぶつかって落ちてくるのを待っているみたいだと思った。
俺はゆっくりと身体を起こして、「怖い夢でも見た?」と聞いた。少し迷ってからカーテンに手を伸ばす。
「いや……」
短い否定の後に言葉は続かず、束の間、静けさが訪れる。音が消えた空間を波立たせないように、そっとカーテンを開けていく。窓の外では日曜日の朝が始まりそうになっていて、部屋の中まで仄かに明るくしてくれる。
「笑っちまうような、荒唐無稽な夢だよ」
「……名探偵でも、そんな夢見るんだ」
俺はもう一度迷ってから、ベッドへ戻ることにした。コナンの方へ身体を向けて転がった途端、胡乱な視線を送られる。
「オメーは俺にどんなイメージ持ってんだよ」
「理路整然とした夢見てそうなイメージ? あと夢の中でも普通に謎解きしてそう」
まあ、これは言い過ぎだとしても。原因と結果が著しく乖離しているようなものだとか、アニメや漫画の影響を受けた非現実的な要素が混ざったものだとかは、あまり見そうにないな、と思ってしまう。
コナンはつまらなそうな顔で言う。
「夢の中でやる謎解きなんて、覚醒してる状態で解いた時の記憶をなぞってるようなもんだし、結局大部分は忘れちまうし、面白くもなんともねーだろ。そもそも脳から適当に引っ張り出した色んな記憶の断片を適当に継ぎ接ぎして出来上がるのが夢なんだから、俺が見てる夢だって説明のつかないことばっかりだぜ。さっきも変な夢見てたしな」
そこまで話して一息ついた横顔に、苦さや自嘲や、それ以外の何かをも含んだ笑みが浮かぶ。笑ってしまうような夢を思い返すその表情が、少しだけ胸をざわつかせた。
「いくら火事場の馬鹿力でも、俺が、蘭とかおっちゃんみたいに、大人を放り投げられる訳ねぇんだよな」
「投げたんだ?」
「ああ。投げたら、ぶつかった先のガラスが薄氷みたいにあっさり割れて、そこに残ってるのは俺だけになって」
ぽつりぽつりとコナンは話す。浮かぶままに声に出しているようで、曖昧な言葉を選んでいるような。
「夢みたいだなって思ったんだよ」
「……それから?」
「その先はねーよ。起きたからな」
気のない声で話を終わらせると、眠たそうに二、三度瞬いた。
静かで、時間は進まずに停滞しているみたいで、頭の働きまで鈍らせてくる、眠気を誘うばかりの春の朝だった。
ついさっき、昨日、もっとずっと前のこと、今までにコナンが溢してくれた言葉と、その時見せてくれた表情が、脈絡なく浮かんでは消えていく。
脳が記憶の断片で夢を作る時みたいに、集めた材料をなぞっては組み合わせ、たっぷり、じっくり考えてから、俺はおもむろに口を開いた。
「それ、コナンちゃん死んでない?」
半分くらい瞼を下ろしていた目が、一瞬だけ大きく見開かれる。
穏やかな静寂が不自然な沈黙に変わって、天井ばかり視界に入れていたコナンが、ようやく身体の向きを変えて俺を見た。
「どう解釈したらそんなことになるんだ?」
「見当違いなこと言ってる?」
コナンは不本意そうに黙りこくった。ややあって、言う。
「死ぬ夢なんて、誰だって見るじゃねーか。なんの意味もない、ただの夢だろ」
自分に言い聞かせるみたいな声だと思ったから。
「うん、でも、コナンちゃんが夢だって割り切れてないなら、夢でもいやだ」
きっぱりと、そう言い切った。
「…割り切れない、って訳でもねーんだけど…」
「割り切れてたら、夢は願望の表れか、なんて聞いてこないだろ」
夢なんて、明晰夢でもない限りは制御不可能なもので、だからその中で何を夢見たって、自分を責める必要はない。それぐらいのこと、コナンなら理解しているはずだった。
「…おまえ、時々探偵みたいでムカつく」
強情で意地っ張りな恋人は、負けを認める代わりに憎まれ口で返してきた。
ぼそっと付け加えられた「コソ泥の癖に」は、今は聞き流しておくことにする。
「隠し事して無茶ばっかりしてる奴が傍にいるせいかも。ね、名探偵」
藪蛇だったか、と思っているのが丸わかりな顔で、口をへの字に結んだ恋人は、トップニュースになるほど大きな事件に巻き込まれても首を突っ込んでも、俺には言ってくれた試しがないし、貸し一つを押し売りしてまで人を利用する癖に頼ってくることもない。逃げ道をきっちり塞がない限り、抱え込んでいるものを見せてはくれない。こっちで勝手に気付いて勝手に助けるしかないのだ。
俺だって怪盗業でトラブルやら何やらがあったとしてもコナンには一切話さないが、何せ彼は迷宮入りを許さない名探偵だから、不審に思われてしまったら最後、話すまでもなく大抵のことは暴かれる。なのに俺は隠されていることばかりだなんて悔しいじゃないか。
できるなら何もかもを解っていたいから、ほんの僅かな声や表情の変化にも神経を尖らせてしまう。
けれど、理由は他にもあって。
「……なんで、ちゃんと気付けるんだよ」
聞き取りづらい声でぼそぼそとコナンが言う。
「火事場の馬鹿力って言ってたし。あとは声と表情かな。前に、あの話してくれた時のこと思い出したから」
読み取れたのは苦さと自嘲と、自己嫌悪。
もう見たくない顔だと思ったから。
「それだけで判っちまうんだな」
「それだけっていうか、あの後で事件のこと詳しく調べておいたから判ったんだけど。勝手にごめん」
「いや、オメーなら調べると思ってたから、別に…」
ただ、見透かされて悔しかっただけだと、コナンの表情が伝えてくる。
絶対に踏み込まれたくなかったら、月影島の事件のことはほんの一言でも漏らさなかっただろうし、見た夢のことも話さないはずだ。例え無意識だったとしても材料を差し出して、見透かすことを許したのはコナン自身なのだから、俺はその向こうにあるものを見つけ出して、彼の心に寄り添えたらいいと、そう思う。
「あのさ」
コナンに、にっこりと笑い掛けて、いっそ能天気に聞こえるくらい、明るい声を出してみる。
「やっぱり二度寝しない?」
「カーテン開けたくせに何言ってんだ」
「閉めるからさ。二度寝して、さっきの夢の続きを見て」
「……はあ?」
無理を言っている自覚はあるから、疑問符だらけになっているコナンには構わず言葉を継ぐ。
「続きはこう。空から白い魔法使いが降りてきて」
「なんだそりゃ。お伽噺かよ」
コナンは呆れて笑っている。笑いながら聞いてくる。
「んで? オメーは何してくれるんだ?」
「炎の中に取り残された名探偵を華麗に救出して、めでたしめでたし」
コナンが笑みを消した。
「夢みたいだな」
「夢なんだから、それでいいの!」
たまには夢らしい夢を見ればいい。めでたしめでたしで終わるご都合主義のお伽噺みたいな、可笑しくて堪らなくて笑いながら目が覚めるような、荒唐無稽な夢を見ればいいのに。
そんな祈りを込めて抱きしめようとしたら、何故かするりと逃げられた。
「なんで夢ん中でおまえのことなんか待ってなきゃなんねーんだよ」
布団から抜け出してしまったコナンは、頑なに顔を見せようとしない。
「ここにいるんだから、いいじゃねーか」
耳をほんのり赤く染めてそう言うなり、ぱたぱたと慌ただしく部屋を出て行ってしまう。
「……ずるい」
つられて赤くなっているだろう、顔を両手で覆って呟いた。
──いつも、俺ばっかり嬉しくて、幸せで、困る。
2020.5.4
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