散っていくもの

 ぶわっと吹いた風で視界が真っ白に染まった。頭上から花びらが降ってくる。
 幻想的というより寧ろ暴力的な吹雪の中を通り抜けた後に振り返って、やや茫然とした表情を浮かべた快斗が言う。

「こんな所に咲いてたんだ、桜」
「昨日もこの道通っただろ」

 俺は呆れた声で返す。

「え、コナンちゃんここに咲いてるって知ってたの?」
 全然気付かなそうなのに!

 割と失礼なことを言われたが、事実だから仕方ない。
 普段、道端に咲いた花やら木々の色付きやらに気付いて、俺に季節を教えるのは快斗の方なのだ。
 俺だって周りを見ずに歩いている訳ではないし、いつもと同じはずの風景に異変があればいち早く気付くけれど、季節の緩やかな移り変わりを気に留めながら歩くようなことは少なかった。高校生だった頃も、今も。

「小学生やってると気付くもんなんだよ」
「そう?視線低いし逆に気付かなそうだけど」
「歩美に教えられた」
「あー」

 うんうん納得、と快斗が頷く。俺が桜に気付いていたことが、余程意外だったらしい。
 ところで、いつまでこんな歩道の端に立ち止まっているつもりだろうか。なかなか動かない快斗をじっと見上げる。
 俺の視線に気付いた快斗は、なんでもないという風に、にこ、と笑った。見慣れた能天気な笑顔とは違う。話したくないなら聞かないけれど。
 黙ったまま再び歩き始めた。

「散る時になって気付くとか、散る時だけ派手だとか」
 なんか寂しいよね、と快斗が言った。
「そうか?」
 と返して首を傾げる。花が散る様を見て寂しくなるのは、そこに何かを重ねているからなんだろうが。
 散るどころか咲いたことにすら気付かない俺に、同意を求められても困ってしまう。
「人が、死ぬ時も」と、花吹雪に攫われそうな声は続ける。
「生きてる時より派手だったりするだろ」
「派手って、血とか?」
「臭いとか」
 まぁ、確かに、とは思う。
うずくまる誰かの横を素通りできる人はいるけれど、それが死体だったら足が止まるだろう。赤の他人の存在感が一番増すのは、死体になった時なのかもしれなかった。
 そんなことを考えながらも、敢えて軽い口調で聞く。
「バラバラ死体の第一発見者にでもなって凹んでんのか?」
 それとも転落死か。すぐ側に落ちてきた時の衝撃といったら相当なもので、バラバラ死体よりも酷いダメージを受ける可能性がある。
「歩けば事件に当たる名探偵と一緒にされたくないんですけど」
 嫌そうな顔で快斗が答えた。

「事件とかじゃないんだって。ただ、学校行く途中でたまーに見掛けるおじいさんがいて、話したことなんかなかったけど、そういえば最近見掛けてないなって思って、妙に気になって。コンビニの小さい袋提げてアパートに入ってくとこも見たことあったから、住んでる場所は知ってたんだよ。そんで、今日の朝行ってみたら、アパートの前にパトカーが停まってた。変な臭いがするって隣の人が通報したら、亡くなってるのが見つかったんだってさ。春になるまで誰も気付かなかったんだって」
 僅かに視線を落として話す快斗を、ちらちらと横目で見ながら歩いていた。俺も快斗も前方不注意だったせいで、前から来た急ぎ足の女性とぶつかりかけて。
「あ、すみません」
 ぴたりと声が揃ってしまって、カツカツと足音が遠くなった後で、顔を見合わせて何となく笑った。

「他人事じゃないと思ってさ」
 多少は明るさを取り戻した声で、快斗が話を再開する。
「他人事じゃないって……孤独死がか?」
「うん」
「そうかぁ?」
 最も縁がなさそうに見えるのだが。
 彼の周りにはいつだって人が集まるのに、何を不安がっているんだか。俺にはさっぱり分からない。
「だってさぁ、どう考えてもコナンちゃんが先に死ぬじゃん」
「……どう考えたらそうなるんだよ」
 随分と聞き捨てならないことを言ってくれる。
「絶対早死にしちゃうじゃん。そしたら俺は孤独死確定だろ」
 しかもあっさり聞き流された。
 どうしよう、と頭を抱えんばかりの男に、
「結婚して第二の人生でも始めたらどうだ?」
 げんなりしてしまってそう返した。無言でじとりと睨まれた。
 大きな子供が本格的に臍を曲げる前に、とりあえず「悪ぃ」と謝っておく。
 きっと、悲しくて、やりきれないんだと思う。遠い未来に独りで死ぬかもしれないことじゃなくて、独りで亡くなってしまった寂しい人に、誰も気付けずにいたことが。

 瞬間、もう一度強い風が吹いた。風が行ってしまうまでは、足を踏み出すこともできない。
 俺は押し戻されるようにして振り返った。
 家並みの向こうに桜が見える。今は人の目を惹き付ける何物も持たない、ほとんどの花びらを散らしてしまった木。やっぱりそれを寂しいとは思わないけれど。

「桜なら、散ったって来年も咲くだろ。次は満開の時に見に来ようぜ」
 快斗に向き直って、そう言った。立ち止まる人のいない道の端、一階に不動産屋が入っている雑居ビルと、客のいないそば屋の間で、ひっそりと満開になるあの桜を、お前と一緒に見に来たい、と。

 快斗はパチパチと瞬いてから、何故か眩しげに目を細めた。
「再来年も見たい」と言って、笑う。
「……そうだな」
「うん」
 いつもの顔で笑っているから、たぶんこれでよかったんだろう。
「……コナンちゃん」
「なんだよ」
 上体を折り屈めて俺の目を覗き込むような格好で、冗談めかして快斗が言う。
「今ものすごくコナンちゃんのこと抱きしめてキスしたい気分なんだけど、いい?」
「いい訳ねーだろ!」
 反射で拒絶の言葉を吐きながら、先ほど引っ掛かったことについて考える。
『再来年も』と快斗は言った。それが少し意外だったのだ。
 不意に、すぐ傍にいるはずの彼を見失ってしまいそうな、底のないような不安に駆られる。

 ──孤独死がどうのと言い出す割に、おまえは二年後の話しかしないんだな。

「……オメーの家に着くまで待て」

 その後なら好きなだけ触れていい、と素っ気なく伝えて、温かくて寂しい手を捕まえた。



2018.4.7


 
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