──ハズレ。

 月へ翳した石は光らなかった。全く期待していなかったし、今更そんなことでは落ち込まない。
 落胆の溜め息をひとつ吐き出して、手の中のそれを投げ返せば気持ちは切り替わる。

 いつもなら。



「どうしたんだよ?」と問い掛けた。

 いつもと違うのは俺ではなく、宝石を受け止めた小さな手の持ち主だ。

「…別に」

 素気ない答えに取り繕う気も起きず、深い溜め息がまたひとつ。
 元凶である子供まで溜め息をひとつ。
 ああ、幸せが逃げていく。



 今日の探偵君はどうにも上の空で、全く張り合いがなくてつまらない。
 いつも通り毛利探偵にひっついて現場へ来たところまではよかった。
 しかし、変装して関係者に紛れ込んだ怪盗を警戒するでもなくぼんやりしているし、犯行予告時刻になってもそれは同じで。
 姿を見せた時だけは鋭い目で睨みつけてきたが、警察向けのダミーに引っ掛かって追跡を諦め、挙句あっさり帰ろうとしてくれる。
 せっかく会えた名探偵と一言も交わさず別れるなんて、そんなの俺の気が済まないじゃないか。しかも、彼の動きを警戒して仕掛けた盗聴器の回収ができない。

 結果として、わざわざ警察がうようよしている中へ潜り込んで、彼を屋上へ掻っ攫ってくるという、面倒で滑稽なことをする羽目になってしまった。



 と、いう訳で、過程は普段と異なるものの、犯行を終えた怪盗の前には、仏頂面の探偵が一人立っている。
 いきなり攫ってきたことに対する抗議すらしてこない。明らかにおかしい。
 重症だな、と今夜三度目の溜め息をつく。
 分かりきっていることだが、彼に何事だと訊ねたところで、ストレートに答えが返るはずないだろう。

「言う気がないなら当てていいか?」

 鬱陶しく溜め息ばかりついていても仕方ないし、そうのんびりしてもいられない。
 せめて威勢のいい反撃を期待して、ふざけきった台詞を投げてみる。

「もしかして、恋煩いとか?」

 彼は両目を見開いた。予想外のことが起こった。
 先程までろくに反応を返さなかったコナンが、頬を赤らめて言ったのだ。
「なんで判ったんだよ」と。



「えーっと…」

 なんで、と言われても。

 適当なことを言ってからかっただけだ。理由を聞かれても困ってしまう。

「あー、なんか…心ここにあらずだし?」

 そうか、と名探偵は答え、再び物思いに沈んでいく。

 ここまであからさまなのは珍しい、というか初めて見たかもしれない。
 常日頃から彼は意地っ張りで、俺に弱みなど見せてくれない。

 居候先の少女のことで何か悩んでいるのか、もしくは何かがあったのか。
 目下片想い中の相手がどれだけ彼女を愛しているか、なんて全く聞きたくない類いの話だが、何かがあったのならばやはり気になる。
 好敵手とはいえ結局は敵である男の前ですら取り繕えなくなるほどの何かがあったのならば。
 物凄く気になる。



「そんなに好きで好きでたまんねーの?」

 彼女のこと。

 呆れ顔で、さりげなく話を促してみた。

「………」

 コナンは気まずそうに目を逸らした。

「名探偵…?」

 またもや予想外の反応だった。
 これはいよいよただ事ではない事態が起きたのか。

 辛抱強く答えを待ち続ける。
 暫く小さなつむじを見つめるだけの時が過ぎ、


「……ちがうんだ」


 小さな声が耳に届いた。

「蘭のことじゃなくて、その…」

 彼女のことではないとなるとどういうことだ。彼は恋患いかという俺のからかいを肯定していて、つまり…

「……え?」

 力無く俯いたままコナンは言う。

「一目惚れしちまったんだ」

 はぁ!?と喚くのは辛うじて堪えた。
 バカみたいだろ、と続ける彼の細い両肩を、俺は思わずガシッと掴んだ。

「ちょっと名探偵その話詳しく!」

「…聞いてくれんのか?」

 頼りない目が縋るように見返してきた。
 自分でも思いもよらない一目惚れに戸惑っていた彼は、話を聞いてくれる誰かが欲しくて堪らなかったらしい。

 正直、調子が狂う。



 まぁ座れよと促して、小さな手にカイロを握らせた。
 座ると言ったところでベンチがある訳でもなく、尻の下は冷たいコンクリートだ。気休めにレジャーシートをひいてみたが、やはり夜は冷える。
 カラフルな縞模様のそれを見た彼は、「ピクニックかよ」と呆れ返った。呆れたくせに靴のまま上がり込んでいる。

「で?」

 咳ばらいをして本題に入った。

「相手はどんな人なの?」

 ややあってコナンがポツリと答える。

「学校帰りに見掛けた高校生なんだ。公園で、大勢の子供に囲まれててさ…」

 それは、保母さん志望の優しい子供好きの女子高生、ということだろうか。

 ポーカーフェイスの下で様々な可能性を考える。

 小さな探偵君は母性に飢えているのだろうか。

 ひたすら考える。

 相変わらず歯切れの悪い口調でコナンは続けた。

「マジックをやってたんだ」

「マジック?」

「あぁ。鳩とか花とか出してたな」

 マジック好きの女子高生がいる、なんて噂は聞いたことがない。動物を使えるところからして、どうも素人ではないらしい。職業柄、かなりの情報通だと自負していたのだが。全く知らない。

 それきりコナンが口をつぐんでしまった為、

「……そんで?」

 またもや話を促す羽目になった。
 彼は、何が聞きたいのか判らない、というように一言答えた。

「それだけだ」

「……マジックやってんの見ただけで惚れたのかよ?」

 コナンが不本意そうに頷いた。

「一目惚れなんて理屈じゃねーだろ」

「そりゃ、そうだけど…」

 たったそれだけでコナンに好いてもらえるとは。幼馴染一筋だった彼の心を動かすとは。何て幸運な女なんだ。
 さぞかし謎に満ちた素晴らしいマジックをやってのけるのだろう。見てみたい。名探偵の心を射止める何かを、怪盗らしく盗んでやりたい。
 と、そこまではいかなくとも。

 彼の想い人をこの目で確かめるまでは、受け入れることなど到底できそうになく。

 個人を特定するために、もう少し情報が必要だった。

「で、一目惚れしたからには、その子とお近づきになりたいんだよな?」

 まずは当然のことを確認してみる。

「…って、訳でもねぇけど」

 何とも煮え切らない反応が返ってきた。
 どうせ、幼馴染を待たせてるのにうんたらかんたらと、自己嫌悪感に溢れた台詞が続くことは明らかだ。
 気にせず話を進めることにする。

「マジックができて子供好きって以外に情報は?」

「情報?」

「公園の場所とか制服とかで、通ってる高校くらい分かるだろ」

 思案するような間が空いた。

「近くにあったのは…江古田高校くらいか」

 ウチの高校じゃないか。

「…へぇ」

 こちらも答えるまでに妙な間が空いた。
 たぶんそこだと思う、とコナンが続ける。

「学ラン着てたしな」
 あの辺、他の高校はブレザーだろ。

 確かにそれなら決定的だ。

 学ランねぇ、と適当に相槌を打った後、はたと気付く。
 学ランを着て学校へ通う女子高生はいない。
 


「め、めいたんてー?」

 恐る恐る呼び掛ける。

「なんだよ」

 何とも嫌そうな答えが返る。

「オメーが惚れたのってもしかしなくても男…」

「悪ぃか」

 ぶすっと睨まれた。
 彼はすっかり開き直っていた。

「そ、そりゃ、悪かーねぇけど」

 恋愛は自由だし。

 薄っぺらい言葉を返しながら、頭の中がパニック寸前だ。

 江古田高校の男子学生で、公園でマジックの練習をしている奴といえば。
 少し冷静になってみよう。いや、冷静に考えたところで、事実が変わることはないのだ。

 一人を除いて他に該当者はいない。

「名探偵、ひとつ聞いていいか」

 覚悟を決めて口を開いた。

「そいつってまさか、猫っ毛の黒髪で身長175くらいでカッコよくて女からモテそうな奴だったり…」

「後半は違う」

 即答された。

「……つまり」

 ごくりと唾を飲み込む。

「前半は当たり?」

「そんな感じだった気がする」

 事もなく肯定してくれたコナンが、怪訝そうに眉を寄せた。

「つーか何で判んだよ」

 盗撮してたんじゃねーだろーな?



 …嘘だろ?



 さりげなくかけられた冤罪疑惑など、どうでもよくなるくらい動揺している。

 俺だった。探偵君の片想いの相手は俺だった。
 さすがにポーカーフェイスを貫くことができず、そっと顔を背けて意味もなく空を見る。

 ──さて困った。

 黒羽快斗としては死ぬほど嬉しい。嬉しいはずなのに喜べない。
 キッドを好きだと言われたとしても、たぶん同じような気持ちになるんだろう。
 俺にとってキッドは半分で、黒羽快斗だって半分で、片方だけ好きだと言われると、もう片方を否定されたような気持ちになる。
 彼はその高校生の正体を知らないのだから、どうしようもないことではあるのだけれど。

 そもそも、一目惚れというところからして信用ならない、と思う。
 マジックをしている姿に惚れた?それだけで“黒羽快斗”の何が判るっていうんだ。言葉を交わしてもいないのに。キッドを好きだとは言わないのに。
 好かれたと聞いて舞い上がって、さりげなく俺から近付いて。こんな奴だと思わなかったなどと、後で失望されるのは真っ平だ。
 そんなことには耐えられないと思うほど、俺は彼の中の“工藤新一”も含めて、全部まるごと大好きなのに。



 己の中の葛藤と戦っていると、

「…そこで黙るってことは、まさかマジで盗撮…」

 冷やかな視線を感じて我に返った。

「してねぇよ!」

 葛藤は脇に置いてとりあえず否定する。
 断じて盗撮などしていない。尤も、盗聴器はバッチリ仕掛けているのだが。

「その…アレだ。そいつに変装したことあっから知ってるだけ」

 迷いながらしどろもどろに説明した。当然、疑わしげな睥睨が返る。

「さっきの話だけで判ったのか?」

「あー、まぁな。この辺の公園でマジックしてる高校生なんて何人もいないだろ。しかも探偵君が認めるほどの腕前っつったら…」

「もったいぶらずにさっさと教えろ」

 苛々とコナンは話を急かす。こちらの惑いなどお構いなしだ。

 いっそ現実を突きつけて、幻滅させてやればいいのかもしれない、と。
 そんなことを考えながら、俺は渋々口を開いた。

「…彼の名前は黒羽快斗。都内の江古田高校へ通う十七歳。世界で一番尊敬する人物はマジシャンの黒羽盗一、趣味はマジックと。
 ここまでは問題ないな?」

「あぁ」

 オメー、よく知ってんな。

 せっかく教えてやったのに、呆気にとられたような顔で見られた。

「化ける相手のことはこんくらい調べんだよ」

 完璧主義なんでね。

 にやりと笑ってみせる。過去の所業を思い出したのか、コナンがしかめっ面になる。

「で、問題はここからだけど」

 “恋は盲目”状態の彼に現実を突き付けてやるため、俺は改まった表情で先を続けた。

「たぶんそいつ、オメーが思ってるような奴じゃねぇよ。その片想いっつうのも望み薄だと思うぜ?」

「どういうことだよ」

 一息に答える。

「すっげぇ女好きなんだ」

 予想外の問題だったらしい。
 コナンがポカンと口を開けて固まった。

「スカートめくりするわ女子更衣室覗くわで…とても男、ましてや男の子を恋人にするような奴とは…」

 自分で言っておきながら不安になり、そっと彼の表情を窺う。

「幻滅したか?」

 彼がゆっくりとかぶりを振った。

「…元々、叶うなんて思ってねぇよ」

 解ってるさ、とコナンは言った。

「性別以前に、ナリは小学生のガキだからな。好きになったってどうしようもねぇんだ。ただ…」

 そのまま語尾が消えてしまう。
 あぁ、落ち込ませたかった訳じゃないのに。

 ──しゃあねぇな、応援してやるか。

 そう思わせる程度には、彼の想いは真剣だった。
 応援、というのもおかしな表現だが。
 快斗として彼と親しくなって、とにかく付き合ってしまえばいい。
 キッドであることを隠し続けるのは辛いけれど、彼は犯罪者でない俺を選んだのだから。
 そのうちこの聡い探偵は、裏の顔にも気付くだろう。その時はその時だと覚悟を決める。

「とにかく、名前が判ったことだし会いにいけば?」

 決めたからには、ぐずぐずと悩んでいるだけのコナンに、行動を起こしてもらわなくてはならない。

「望みないっつったのオメーだろーが。黒羽と会って何をどうすんだよ」

 無責任な、と呆れられる。

「やる前から諦めてるなんて、お前らしくねぇんじゃねーの」

 言い負かされたらしいコナンが軽く唇を噛む。
 本当に好きなんだな、と思う。
 “黒羽快斗”のことを。
 もとを糺せば俺のことを。

 俺だって、嬉しくない訳じゃない。

「名探偵に、いいこと教えてやる」

 真面目な顔で、そう言った。

「そいつ、名字よりは名前で呼ばれたいみてぇだぜ。今度会ったら呼んでやれよ」

 先ほどコナンは“黒羽”と呼んだ。彼から名字で呼ばれるのは寂しいし、“快斗兄ちゃん”なんてもっと嫌だ。
 ようするに“黒羽快斗”としてのただの我が儘だ。

「…なんだよ、その情報」

 不審に思われるに決まってんじゃねーか。

「いいからいいから。騙されたと思って」



「………快斗、って?」

「そ!」

 思いの外嬉しくて笑ってしまう。
 笑われたと思って機嫌を損ねたのか、コナンが顔を背けて、それから。

「帰る」

 唐突に立ち上がった。

「へ?あー…そろそろ時間まずいか」

 警察が現れる気配はないが、そういえば今日の彼は保護者同伴なのだった。
 いい加減、いないことがばれて捜索されていそうだ。

 コナンは答えないし、俺の方も見ない。
 背中を向けたまま逡巡するように立っている。

「いろいろ、ありがとな」

 よくよく見ればその耳は真っ赤で、どうしたと問い掛けるより早く。

「…またな、快斗!」

 そんな一言が耳に届いて、あっという間に彼の背中は遠くなった。
 負けず劣らず真っ赤になって、固まる。

 ──あれ?正体バレたの?なんで?

 暫し茫然としていると、結局回収し忘れた盗聴器が、

『バーロ、』

 彼の声を拾って役目を終えた。

『俺に何て呼んでほしいかなんて、本人以外判るはずねーだろ』

 最後にバキッと破壊された。


Call my name




「あ…」

 そこを通りかかったのは偶然だった。
 いつでも元気いっぱいの小さな友人たちと走り回る気分にはなれず、一人立ち寄った本屋でも、背表紙の文字は全て頭をすり抜けていった。
 目的もなく街をぶらついた。まっすぐあの家へ帰りたくなかった。

 何となく人目を惹いてしまう存在感、というものがあると思う。
 例えばあの気障なコソ泥がいい例だし、その日見かけた男もまた同じだった。

 公園で一人、マジックの練習をしていた。
 学ラン姿の高校生だ。
 手の中の白いボールが、移動して、増えて、消えて。
 取り立てて珍しいマジックでもないのに、俺は足を止めてしまった。

 興味があるのならば話しかければいい。決して警戒心を抱かれず、誰にでも話を聞けるのは子供の特権だ。いつもそうしてきたはずだ。
 けれど、これ以上近付くことすらできなかった。

 そのうち、子供が集まってきた。

「お兄ちゃん、お花出して!」
「ハトは?」
「俺、お菓子!」
「オメー、食いたいだけじゃねーの?」

 呆れたように笑った後、男は咳ばらいをしてカウントを始める。

「スリー、ツー、ワン!」

 男が両手を広げると鳩が空を舞い、色鮮やかな花びらが舞い、キャンディーが子供たちの手の中に落ちた。

「わああ!」

 大きな歓声にまた笑い、おどけて一礼をしてみせた。キャンディーを頬張った子供たちが手を叩いて急かす。

「次は次は!?」

「そんじゃ、とっておきの新作を…」

 楽しそうにマジックを続ける男から目を離せずにいたそのひと時、何故か怪盗を想っていた。
 彼が屈託なく笑ったら、こんな顔をするのかもしれない、と。
 思った途端に心臓がうるさい。

 ──なんだよ、これ…

 全く理解できない。



 まさか言葉を交わしてすらいない男のことを、今すぐ捕まえたいと思うなんて。



END

リク内容は「公園でマジックの練習をしている名前も知らない黒羽快斗に惚れてしまい、ライバルであるキッドに恋愛相談する快←コ←Kな話」でした。つい、色々な要素をぶち込んだ結果、長ったらしく解り辛い話になってしまいました。しかも割と変化球で攻めたので、期待されていたのと全く違う話になっているかもしれません。すみません…
書き直し・返品等受け付けます。遠慮なく教えてください。
こんなものしか書けませんでしたが、素敵なリクエストありがとうございました!
2012.12.19


 
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