確かに油断していた。そのことだけは潔く認めよう。
しかし好敵手で恋人でもある探偵がいない現場では、どうにもやる気が起きないのだ。
愛しの小さな名探偵は、元の身体を取り戻して以来、めっきりキッドの現場へ足を運んでくれなくなった。彼曰く、ものすごく忙しいらしい。
まぁ、説明されなくとも大体予想はつく。
まず、休学状態であった高校へ、留年を免れるために毎日真面目に通っているのだろうし、当然、補習や課題もあるだろう。
更に、元の身体へ戻った当初、一日の大半を眠って過ごしていた彼が人前に姿を現せる程度の健康状態まで回復してからは、工藤新一の名が新聞に載らない日はないくらい、毎日事件を解決しまくっている。
お前は一体いつ寝ているんだと問い質したくなるほどの多忙ぶりだ。
何せどんな時間に工藤邸を訪れても留守だし、どんな時間に電話をかけても出ないか、もしくは「今忙しい」の一言で切られてしまう。
果たしてこの現状で俺と新一は、正真正銘好き合って付き合っている恋人同士なのだと言い切れるのだろうか。
そんな、根幹を揺るがす疑問に襲われていたせいもあり、今夜の怪盗キッドの脳内は、九割以上恋人のことで埋めつくされていたのだけれど。
だからって。
「だからってこれはないんじゃねぇ?」
いつもより遠い空にぼやいた声は幼く、情けなさばかりを倍増させる。
するりと脱げてしまった衣装を両腕に抱えて溜め息をひとつ。
小さな手の平では持て余してしまう今夜の得物は、確かに美しいが別段真新しさも見つけられないビッグジュエル、結局はただの石だ。
先程まで放っていた閃光弾なみの鋭い光はとうに消えている。
「パンドラじゃあないと、思うんだけど」
呟きながらまじまじと観察して、首を捻ってみたところで、状況が好転する兆しもなく。
「マジで、どうしよ…」
まさか宝石を月に翳したら身体が縮んで子供になっちゃいました、なんてふざけた話を、一体誰が信じてくれるだろうか。非現実的にも程がある。
思い当たった人物はたった一人しかいなかった。元、江戸川コナンである恋人だ。
彼に泣きつくのはカッコ悪いし、正直気が進まないけれど、そんなこと言っている場合じゃないだろと腹を括ってそろりと立ち上がる。
問題は、事件で引っ張り凧な彼が、この時間に家にいるのかどうか。
いてくれよと祈るように考えて、袖を捲って身につけたシャツ以外の衣装を念入りに隠し、大人の足では近かったはずの彼の家に向かって、パタパタと一心に駆け出した。
工藤邸への侵入は、身体が小さくなった分むしろ楽だった。そう間を置かずに家主が帰宅してくれたことも不幸中の幸いと言えよう。
無人のはずの邸内に人がいることに気付いた新一は、侵入者の正体を疑いもせず「またお前か」と呆れながら近付いてきて、
「ったく、いつもいつも勝手に入りやがって…」
そこまで言いかけて、固まった。見つけた影が予想よりはるかに小さかったせいだろう。
そして不幸中の幸いはそれ以上続くことはなかった。
とことんリアリストである探偵は、目の前の子供が“黒羽快斗”であることを、全く信じてくれなかったのだ。自分だって同じ目に遭ったくせに。
「もう一度わかりやすく話せるか?」
「だーかーらー!俺は黒羽快斗で、宝石の呪いで身体が縮んだんだってば!」
これ以上わかりやすい説明はないと思うくらい、はっきりと事実だけを述べているのに、新一はまだ腑に落ちない表情を浮かべながら、顎に片手をあてている。
「弟がいるなんて聞いたことないし、親戚にしてはアイツに似すぎてる。…まさか、隠し子か?」
抜群の聴力で聞き取った彼の推理に、思わずずっこけそうになった。
さすがに隠し子はないだろう。何歳の時に孕ませた子供だと思ってるんだ。
ビッグジュエルのせいで身体が縮んだ云々と同じくらい非現実的な話だということに早く気が付いてほしい。
すると、脱力した拍子に腹の虫が鳴いた。
渋々といった様子で新一が聞く。
「お腹空いてんのか?」
「空いた…」
言葉に出せば余計に空腹感が増す。そういえば夕飯を食べ損ねていた。
「バ快斗には連絡つかねーし…」
新一はケータイを弄りながら苛々と零す。電話をかけようとしていたらしい。電源を切っておいてよかった。
目の前の子供こそが黒羽快斗であることを彼が全く信じてくれない今、ケータイの存在が明らかになれば更に面倒なことになる。
「こんな時間だしなぁ…」
諦めたように時計を見上げた彼が言う。つられて見れば十時を回っていた。確かに子供が外をうろつける時間ではない。
「夕飯食って、泊まってくか?」
ただし明日はちゃんと家に帰れよ。
きっぱり付け加えられた言葉に一応頷いてから、
「あのさ…」
改めて口を開く。
「服、貸してくれないかな?」
渡されたパーカーと半ズボンには何となく見覚えがある気がした。コナンが着ていた服を残してあったのだろう。
袖を通せばふわりと漂う懐かしい香りに、知らず口元が緩んでしまう。
抱き上げた時は必ず下ろせと抗議するわりに、抵抗はしなかった子供のことを思い出す。
コナンの匂いだった。
――まぁ、正確には居候先だった探偵事務所の、洗剤と柔軟剤の香り、か。
考えながら着替えを終え、今は工藤新一になった恋人姿を捜す。
「おっ」
彼はキッチンに立っていた。どうやら夕飯を作ってくれるつもりらしい。
――新一の、手料理だっ!
気色満面、パタパタと駆け寄って覗き込んで、そのまま笑みが引き攣った。
新一が真剣な表情で見つめているのは、鍋やフライパンではなくヤカンだった。
そしてキッチンカウンターの上には、スーパーやコンビニでよく見かけるパッケージがふたつ。
「…あの、まさかとは思うけど」
割り箸と、三分お湯を注げば完成する料理――ようするにカップラーメン――を指差して、諦め半分聞いてみる。
「夕飯コレとか言わないよね?」
「嫌なら食うな」
にべもない答えが返ってきた。
「…普段からこんなんばっか食ってんの?」
「いや、今、隣がキャンプで留守だから差し入れがなくてさ」
つまり自分で料理はしない、というかできないらしい。
彼がまだ江戸川コナンだった頃、料理くらいできると気分を害したように主張していたあれはやっぱり嘘か。見栄っ張りというやつか。
何となくそんな気はしてた。
「ちなみに明日の朝食は?」
もはや何の期待もしないまま、重ねて聞く。
「コーヒー」
「だけ!?」
「ああ」
新一はあっさりと頷いてくれた。道理で不健康に痩せている訳だ。
踏み台さえあれば俺が作ってやるのに。
溜め息を吐いて再び今日の夕飯を一瞥する。
「文句があるなら出ていけよ」
素っ気ない声で新一が言う。
もちろん本気ではないことは分かるけれど。
「新一が信じてくれるまでは、ぜってぇ出て行かねーからな!」
突き放されたようで少しだけ悲しくてムキになった。
「まだ言うのかよ」
新一は呆れ顔で溜め息をひとつ。
「俺は黒羽快斗なんだって。いい加減信じてよ」
本日何度目になるのか分からない訴えを繰り返すと、ストンと腰を落とした彼が、改めて俺の顔を凝視してくる。
「新一?」
今度こそ信じる気になってくれたのか?
期待を込めて見つめ返した先、新一は「やっぱり似てる」と零して唸った。
「…まさか、名前の読みが同じ親戚の子供…?」
“海”に“斗”って書いたりする…
「何でそうなるんだよ!?」
期待していた分、余計にガックリくる。
「そうじゃなくて、ええと…」
そろそろとヤカンが鳴き出した。
新一の意識が沸騰しつつある熱湯へと逸れる。
何と言えば彼に信じてもらえる?黒羽快斗しか知らないことは何だ。
ヤカンの鋭い呼び声と同時に、そうかこれだと思い至る。
「俺、黒羽快斗が怪盗キッドだってこと知ってるし!」
まぁ、当たり前のことなのだが。
胸を張って宣言した。
コンロの火を止めようとしていた新一が固まった。
笛の音が早く火を消せと耳障りに急かす。
あんまりうるさいから背伸びして、彼の代わりにツマミを捻った。
「新一?どうしたの?」
彼の目に浮かんだ感情を読み取ろうと、いつもより遠い恋人の顔を必死で見上げた。
ヤカンを掴んだ新一が、視線から逃げるように背中を向けて、今日の夕飯に熱湯を注いだ。
三分にセットされたタイマーが動き出す。
ややあって新一がボソリと言う。
「オメーが快斗とものすごく仲が良いのはよく分かった」
でもな、と続けて振り返り、しゃがみ込んで俺の両肩に手を乗せる。
酷く真剣な顔をしていて、何度も目にしているはずのそれに、性懲りもなくときめいた。
かっこいい。きれい。
いや、そんなぼけたことを考えている場合じゃなくて。
「そのこと、俺以外には絶対に言うなよ」
だから俺が快斗でキッドなのに。
「お前だって、アイツに何かあったら嫌だろ」
俺の抱えた嘘や秘密を、新一も自分のことのように真剣に、守ろうとしてくれていることを、知った。
くすぐったいような感情が込み上げて、今すぐ新一を抱きしめたくなった。
実行しようとしても彼の足に纏わりつくことしかできないだろう、小さな身体が歯痒くて悔しい。
けれど。
――俺、けっこう愛されてんじゃん。
それを実感することができたのが、いきなり子供になってしまって、しかも新一に正体を信じてもらえないままの現状のお陰ならば、感謝したいとすら思ってしまった。もちろん一刻も早く元の身体に戻りたいが、、この機会を最大限に利用しない手はないだろう。
「ねー、新一」
「なんだよ」
調子に乗って聞いてみる。
「新一は黒羽快斗のこと、好きなの?」
答えなど、とうに知っている。それでも新一の口から聞いてみたい。
ワクワクと彼の言葉を待ち構えていると、ふい、と顔を逸らされた。
「…秘密だ」
「なんでー?」
ケチ、と膨れてみせる。
軽く頭を小突かれた。新一は明らかに照れている。
「お前どうせアイツに告げ口する気なんだろ」
「告げ口って…」
悪口を言う訳でもあるまいし。
「もういいじゃねぇか、そんな話は」
切り上げようとする新一の味方をするようにピピピとタイマーが鳴る。
――分かってるから、ま、いっか。
ラーメン食べるぞと新一が言って、今度は文句も言わず頷いた。
身体が元に戻った暁には、彼の食生活の改善をはかることを心に誓いつつ。
向かい合わせにテーブルへつき、――と言っても俺の今の座高では、いまいちテーブルへ届かなかったのだが――二人でズルズルと麺を啜る。
時計はそろそろ十一時を差しそうで、すっかり夜食と化している。
しかし新一はこんな時間まで子供が起きていて、更に夜食を食べているという事実には、たいして違和感も覚えていないようだ。
寝ろと言われても困るから構わないけれど。
特に会話もないままカップの中身を黙々と減らし、最後の一本を吸い込んだところで、
「そういやキッドの奴…」
思い出したように新一が漏らした言葉に、俺は箸を取り落として、
「明日の夜も予告出してたよな」
「っ、あー!!」
叫んだ。
大変だ。すっかり忘れていた。
明日の夜までに身体が元に戻る保証はない。かといって今さら犯行予告を取り消す気にはならなかった。明日を逃せば次はいつお目にかかれるか分からない宝石だ。
「急になんだよ」
新一が呆気に取られつつ問い掛けてきたが、とても構っていられない。
「新一、白い布と裁縫道具ない!?」
「へ?そりゃまぁどっかにはあるだろうけど」
「貸して!」
「…何に使うんだよ?」
「決まってるだろ!キッドの衣装を作るんだよ!」
新一はきょとんとして二、三度瞬いた。
どうやらとても長い夜になりそうだった。
双方一睡もしないまま迎えた翌日の夕方、
「お前、よっぽどキッドのファンなんだな」
夜を徹した作業のお陰で生まれた子供サイズのキッドを、感心したように観察しながら新一が言う。
犯行現場となる美術館の裏手まで来ていた。ここからは探偵である彼とは別行動になる。
新一は今夜こそキッドを捕まえて、隠し子疑惑をぶつけてやると息巻いていた。まだ隠し子説を取り下げていなかったらしい。
「ホントに行く気かよ」
聞かれて、頷く。
「子供は追い返されるのがオチなんだぞ」
妙に実感のこもった言葉に、笑う。
「俺が行かないと今夜のショーは始まらないんでね!」
急拵えの白い衣装を身に纏って。
「通報されて捕まるなよ」
新一が可笑しそうに笑い返しながら見送ってくれた。
せいぜい明日の朝刊を見て度肝を抜くがいいと、仕事用に貼り付けた仮面の下で思う。
身体が縮もうがなんだろうがキッドはキッドだ。俺は今夜、小さくなった身体を最大限に利用した最高のショーで観客を魅了しつつ、見事に宝石を盗み出してみせるのだ。
「そろそろ、行くか」
手摺りから身を乗り出して見下ろせば、視界に入るパトカーの赤色灯とファンの人だかり。
知らず気分が高揚する。
何せ今日はあの中に恋人がいる。
「Ladies&Gentlemen!」
美術館の屋上で一人、開演を告げる。
幼い声ではどうしても恰好がつかないのだけれど。
ぶかぶかの腕時計が予告時刻を示して微かな音を立てた。
「さぁ、ショーの始まりだ…」
小さくなってもテクニックはプロ!
不可能なしの大泥棒!
その名も怪盗キッド!!
「っていう夢を見たんだよ、新一!」
「……へぇ」
反応に困って何とも言えない相槌を打った。
「っつーか、ラストの妙な煽りは何なんだ…」
独り言のように零せばすかさず答えが返る。
「それは俺が考えたんだけど。カッコイイだろ?」
「…ああ、まぁ…」
正直なところ、どうでもいい。
朝っぱらから勝手に人の家へ入り込んで、しつこく人の名前を連呼して、叩き起こしてくれたと思ったらこれだ。
体が縮んだだの、宝石の呪いだの、非科学的なことばかりまくしたてられ、しかも無駄に話し上手なものだから、うっかり聴き入ってしまったではないか。
「なんだよ、その薄い反応」
そう言って、快斗が不満げに口をとがらせる。
「お前のせいで俺まで不健康な食生活を強いられたんだぞ」
カップラーメンにカップ焼きそばにカップうどんに…ものっすごいインスタント責めだった!
「あのなぁ…」
それは俺のせいじゃないだろう。夢の中の行動まで責められても困る。
こっちだって色々言い返してやりたいのは山々だが、今、告げなければならない台詞が他にあったせいで、渋々文句を引っ込めた。
「なぁ快斗」
代わりに、静かに名前を呼んで、壁の時計を指で示す。
「今、何時か知ってるか?」
今日は平日の朝な訳で、別段早起きもしていない訳で。
「遅刻だろ」
「…あ…」
快斗がぽっかり口を開けて固まった。今の今まで学校のことなど忘れていたに違いない。
夢の中では、俺が真面目に高校へ通わないと留年の危機だということを、しっかり認識していた癖に。
「ごめん…」
しおしおと謝られ、溜め息をつく。
快斗が朝っぱらから現れた時点で、本当は遅刻を免れることなどとうに諦めていた。
「もう、二限目から行くしかねぇな」
欠伸まじりに漸く寝室を後にする。
もれなく快斗がついてくる。
「ちなみに今日の新一の朝食は?」
快斗が見た夢を思い出し、若干の決まり悪さを覚えながら答えた。
「…コーヒー」
「やっぱり」
呆れたように吹き出した男が、作ってやるかと張り切って袖を捲る。
「ね、新一は何食べたい?」
普段より少し遅いけれど、何の変哲もないいつも通りの一日が、やっと始まりそうだった。
END
リクエスト内容は「宝石の呪いで体が縮んでしまった怪盗キッドが、近くにあった新一の家に転がり込む話」でした。煽り文までご指定いただいたので、ちょっとアレンジして採用させていただきましたが…
そもそもこのリクエストを承ったのは遥か一年以上前のことでして…こんなに遅くなってしまって本当に申し訳ないです。せめて一生懸命取り組んでみましたが、ご希望からかけ離れた話になってしまった気がします…
書き直し&返品受け付けますので遠慮なくおっしゃってください!
書き甲斐のあるリクエストをありがとうございました!!
2012.7.23
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