快斗の顔色は真っ青だった。
目の前に広がる海の色を映しているようだと思う。雲ひとつない空かもしれない。彼が涙を浮かべて拒絶する魚の色かもしれない。
何にせよ、全く美しい色ではなかった。
こっちに倒れてきて押し潰されるのは嫌だと思い、とりあえず一歩離れてみた。



「快斗お兄さん大丈夫?」

心配そうに尋ねた歩美に、快斗は力なく答える。

「ダメかも…」

「まさかオメー、泳げねーのか?」

「泳げる泳げる」

元太の呆れ声の質問は慌てて否定して、けれど好奇心旺盛な子供たちの追及はまだ終わらない。

「じゃあ何をそんなにビクついてるんですか?」

「ビクついてねぇって。俺は別に魚なんか怖くな……あ、」

光彦の質問に答える途中で、自ら弱点を暴露してしまったことに気付いたらしく、「あー…」と情けない声を上げた。
掻き消すように一斉に子供たちが笑った。

急用が入った博士の代わりにと、引率役を頼んだ立場としては何だか悪いことをしてしまったような気にもなるが。
行き先を告げる前に即答した快斗が悪い。自業自得だろう。

じりじりと照り付ける日差しの下、今年初めての海だった。


伴侶の心得



「あいつ、俺らよりよっぽど馴染んでるよな」

あんなに海を怖がっていたくせに、子供たちの入る浅瀬には天敵がいないと分かるやいなや、彼らの面倒を見るという名目で、一緒になって楽しそうに遊んでいる。
行先を知らずにやって来た快斗が水着など持っているはずもなく、膝までたくし上げたジーパンはとっくにずぶ濡れだ。

「ガキっぽいっつーか、精神年齢が低いっつーか」

思うに彼があそこまで青ざめていたのは、海へ来る途中で見かけた魚が泳ぐ寿司屋の水槽や、魚の絵が踊る土産屋の看板等のせいだったのだろう。
何にせよ放っておくとどんなことを仕出かすか分からない子供たちを快斗が見張っていてくれるのならばこれ幸いと、灰原と二人、砂浜のパラソルの下で傍観を決め込んでいる。

「あー、コラ!深い方は危ないから行くなよ、助けてやれないから!」

「魚がいるからですか?」

「うっせ!」

からかわれた快斗が子供たちに思い切り水をかけ、「キャー」だとか「わー」だとか騒々しい悲鳴が遠く耳に届いた。
まるで本当の兄弟のようで、微笑ましく思える光景だ。微笑ましいと、思うのに。
何となく笑えなくて彼らから目を逸らした。



「貴方は行かなくていいの?」

隣に寝そべる灰原が言う。

「同じくらい子供っぽい工藤くん?」

「バカイトがいれば平気だろ」

まずは聞かれたことに答えてから、引っ掛かって彼女を睥睨した。

「というか俺がガキっぽいって何だよ」

「あら、彼と仲良く遊ぶあの子たちに妬いてるから、そんなに機嫌が悪いんでしょう?十分子供っぽいじゃない」

「俺は別に妬いてなんか…っ!」

言い返してから、まるで拗ねた子供のように膝を抱えて座っている己を自覚して、慌てて両足を投げ出した。

「ムキになった時点で貴方の負けね」

しかし既に遅かったらしく、灰原にクスリと笑われてしまう。面白くない。

視線を投げた先の快斗は、ビーチボールをぶつけられながら楽しげに笑っている。ますます面白くない。ゴロンとシートの上へ転がる。

空はこんなに晴れているのに。そこら中から笑い声が聞こえるのに。
またひとつ溜め息を吐き出した。早く帰りたい。
そもそも快斗が保護者としてついてくるなら、俺は来なくてもよかったんじゃないか。海は嫌いではないが暑さは苦手だ。
昼寝しようにも騒がしくて眠れない。快斗と子供たちの笑い声が、耳に触って眠れない。



意地になって眠ろうと試み続けて、三十分は過ぎただろうか。

「コナンくーん!哀ちゃーん!そろそろ一緒に遊ぼうよー!」

歩美の呼ぶ声は聞こえなかった振りをして目を閉じていると、隣の灰原が腰を上げた気配を感じる。

「呼んでるわよ」

動きたくねぇ、と返す。むしろ灰原が誘いに乗ろうとしていることに驚いた。

「…工藤くん、」

名前を呼ばれて薄目を開ければ、

「拗ねるのは貴方の勝手だけれど」

呆れ顔でこちらを見下ろしている彼女と目が合った。

「黒羽くんには普段から心労ばかりかけているんだから、こんな下らないことで心配させてどうするのよ」

「……はぁ?」

彼女が何を咎めているのかさっぱり分からなくて眉を寄せる。

気付いてないの?と灰原も溜め息をついた。

「さっきから彼、何度も貴方のこと見てるわよ」

「…へ?」

意外なことを言われ、慌てて身体を起こす。
確かに見られているような気がする。全く気付かなかった。

「自分以外に構うなって一言言えば、馬鹿みたいに大喜びする単純な男なのに」

「………」

んなこと言えるかよ、と思う。認めることすら癪なのだ。
快斗が笑いかけているのは女どころか小学一年生の子供であって、しかも俺の友人であって。
嫉妬するなんて心が狭すぎる。自分が嫌になる。

むすっと黙り込んでいると、俺の反応など意に介さず子供たちの方へ向かおうと歩き出した灰原が、数歩行って振り返って真顔で聞いた。

「それとも、心配されたいのかしら?」

虚を、つかれて固まった。

「…っ…ちが…」

我に返って否定した時には彼女の背中は遠く、

「哀ちゃん、後は頼んだ!」

入れ代わりに快斗が駆け寄ってくるのが見えた。







「コナンちゃん、もしかして体調悪い!?」

砂浜に転がっていたカップルや砂遊びしていた子供が呆気にとられる程のスピードで飛んできた快斗は、目の前に両膝をつくやいなや俺の前髪をかき上げて、掌を額へとあてがう。海水で冷えたそれはとても心地よかった。

「熱はなさそうだけど…熱中症とか…」
コナンちゃん、暑さに弱いからなぁ。

周りにいた人々と同じくらい呆気にとられていたせいで反応が遅れる。

「いや、だからその…」

「気付くのが遅くなってごめんね」

挙句、申し訳なさそうに謝られてしまって、居た堪れなさに拍車がかかった。

「…違う、から」

彼の顔を見られないまま、答える。

「コナン?」

心配されたい、なんて冗談じゃない。そんなものはいらない。快斗とはいつでも対等でいたいと思っている。
けれど。子供たちと遊ぶのに夢中なのだと思い込んでいた彼が、本当はこちらの様子を気に掛けていて、飛んできてくれたことに少しの優越感と喜びを覚えてしまった。

「俺はどこも悪くねぇよ」

「ホントに?無理してない?」

「よく見りゃ分かんだろ」
それくらいのこと、お前なら。

そう返すと、じっくり顔色を検分した快斗が、まだ納得のいかない様子ながら頷いた。

「じゃあ、何で今日は元気ないのか教えてくれない?」

「……」

「俺、コナンに何かした?文句があるなら言ってよ」

まっすぐ見つめてくる目が真摯すぎて視線を逸らす。

「文句っつうか…」

もごもごと語尾を濁した後、結局、迷いながらも口を開いた。

「…お前、アイツらと仲良すぎるんじゃねぇの」

言ったそばから深く後悔する。チラリと見た先の快斗は目を丸くしている。

「……もしかしてコナン、妬いてくれたの…?」

「っ誰が!」

反射的にそう返したけれど、不機嫌に尖った唇が半信半疑の問い掛けを肯定してしまっているような気がした。



「ね、コナンちゃん」

嬉しそうに笑って頭を撫でる快斗の手を、子供扱いするなと振り払う。
中味まで子供のように感じてしまう今だからこそ、そんなことをされるのが嫌だった。

「俺の言い分、聞いてくれる?」

そっぽを向いたまま頷きはしなかったけれど、快斗は気にせず口を開く。

「だってさぁ、あの子たちは」

今もひときわ大きく聞こえる笑い声の主たちを愛しげな目で見つめた快斗の横顔に、性懲りもなく寂しさを感じてしまったが。

「何より大切で誰より愛してる恋人の大事な友達だからね」

再び俺に視線を戻した快斗は、恥ずかしい台詞を平然と吐いてみせる。

「ほら、生涯の伴侶としては、相手の家族も友人も大切にするべきだと思ったの」

「…はぁっ!?」

一気に熱が上がってしまって、今さら熱中症になりそうだと頭の片隅で考える。
こんなに恥ずかしい男のせいで嫉妬していたなんて、バカバカしくて堪らなくなった。

「…誰が生涯の伴侶だよ」
勝手に決めるな。

精一杯冷たく取り繕った声で返す。
火照った顔で言っても何の意味もない。

「確かにまだ同意は得てなかったっけ…」

今気付いたとでも言うように快斗が呟いて、それから。

「じゃあ、お互いやらなきゃいけないことが終わった後でさ、」

やけに真面目な表情で宣言した。

「ちゃんとプロポーズするからその時はよろしく」

「……あんまり遅かったら受けてやらねぇぞ」

「わかってる」

いつになるか分からない約束を交わした後、ビーチパラソルの下に隠れて、快斗が笑んだまま頬へ口づけた。
真昼間の海で一体何をやっているんだと耐えがたい羞恥に駆られたのは、痺れを切らした歩美たちが呼びにきてからのことだった。



END

リクエスト内容は「少年探偵団(もしくは青子)に快斗を取られてヤキモキするコナン」でした。青子が絡む話はけっこう書いているので今回は探偵団で。妙な話になってしまって申し訳ないです…

書き直し・返品等、ご希望ありましたら遠慮なく言ってください。善処します。

リクエストありがとうございました!そして相互サイトとして末永くよろしくお願いします(笑)
2012.6.19


 
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