おまえはきっと哀しいくらい声を殺して、独り静かに泣くんだろう。
子供の感情は長続きしない。悲しいことも、すぐに忘れる。笑って泣く、また別の事象に。
子供を演じる大人の彼はいつも、オトナだから泣けなくてコドモだから笑うしかない。
ニュースでも派手に宣伝、実況してくれたショーを終え、暫し待機してからダミーと正反対の方向へ飛ぶ。
羽根休めにと降り立ったビルの屋上には、予想通りの子供がいる。
「来てくださったんですね、名探偵」
それで俺は今夜も笑うことができる。赤い涙を流さなかった獲物への落胆を忘れて。
「最近なかなか顔を出してくださらないから。そろそろ私から会いに行こうかと思っていたんです」
「…俺は別に、お前の顔見に来た訳じゃねぇんだよ」
歓迎の言葉に笑顔が返ってくるはずもなく、睨まれてしまうのは毎度のことだ。
そう、何の違和感もないのだけれど…
盗ったもん返せよ、とこれまた聞き慣れた愛想のカケラもない声で彼が言う。
何処か様子がおかしいと思ったことに根拠はなく、あえて説明するとすればこれは、本能だろうか。
「はいはい、勿論お返ししますよ」
宥めるように口元だけ笑んで。
「なんなら家まで持って帰ってください」
精密なレプリカを放ってみた。
「バーロ。誰がんなことするかよ」
見事受け止めたコナンはろくに確認もせず、それを納めてしまうから、本格的に異常を察して顔をしかめる。
踵を返した背中に深いため息をひとつ。
「…帰るんですか?」
「用は済んだからな」
本当のところ、全く済んでいないのだが。
これでは本当に顔を見に来ただけで終わってしまう。
勿論このまま帰してやるつもりもない。
「名探偵は、何をしに来たんでしたっけ?」
即答できるはずの質問をした。
虚を突かれたかのようにコナンが黙る。
――どうしたんだよ、名探偵?いつものお前なら何も考えず言えるだろ?
「…オメーが盗んだ得物を取り返しに…?」
間を置いて、何とも自信なさげな答えが返ってきた。
「だったら、まだ用は済んでないと思いますけど」
もう一度ため息をつきながら言う。
「はぁ!?」
宝石は今、間違いなく俺の手の中にあるじゃねぇか。
「よく見てください」
訳が分からないと返されて、諭すように告げた。
「それ、偽物ですよ」
沈黙。
透けて見えるいつものマークをようやく見つけたらしい。
「貴方らしくもないですね」
「うるせぇ。紛らわしいもん投げてよこすな」
本物もあるんだろ?早く出せよ。
投げ返されたレプリカを受け止めて、不機嫌顔を見せるコナンと、視線が一度も絡まないことに気が付いた。
「何か…あったんですか?」
生温い風が微かに揺れるその瞳を晒す。
「別に」
即答が逆に怪しいと思う。
「…何もねーよ」
続いた言葉に、説得力はまるでない。
「それなら何故、頑なに目を逸らすんですか?」
あくまで冷静に穏やかに。
問い掛ける一方で必死だった。
視線を合わせるために膝をつく。
「…っ…」
コナンが小さく息を呑む。
独りで抱え込んだ何かがあるのなら、少しでも力になりたかった。それが例え目には見えない、血を流すこともない傷口だとしても。
触れられなくてもいいから癒したかった。
「名探偵…?」
僅かな変化も見逃さないよう、眼鏡越しの目をじっと覗き込む。
「…俺のことなんかどうでもいいだろ。宝石返すのか返さねぇのかはっきりしろよ」
そうじゃないだろうと見つめ返した。
強がりも意地っ張りももういいだろ?
突き出された腕は次第にゆっくりと力無く、下がる。
口を結んで、無表情で、本当は何を考えてる?
とうとう俯いてしまったコナンの、細い手首にそっと触れた。
「…なんだよ」
今度こそ本物を返す気になったのか?
名探偵はいつまで待っても、距離を置いた言葉しか吐こうとしない。
探偵と怪盗という立場の違いを、何度となく強調するように。
「何でもないと、貴方が言い張るならそうなのかもしれませんね。それでも」
もどかしさに、どうしても歪んでしまう顔を寄せた。
彼の強がりは堪らない。堪らなくなる。何が出来るか分からなくとも、ただ手を差し延べてしまいたくなる。
「その瞳が、泣いているように見えて仕方ないのです」
戸惑いの中に潜む感情の揺らぎが、今ならたやすく見透かせる。
「辛いなら辛いと言えばいいんですよ。理由なんて考える必要はない」
抵抗もされないから包みこんだ小さな掌は、握り返していいのかと無意識の内に迷っている。
「…お前まで」
手袋を外しておけばよかったと思う。
「そんなこと言うんだな」
困惑したようにコナンが口にしたそれは、独り言のような呟きだった。
「いったい何処が違うって言うんだよ?」
いつも通りだろう、と笑ってみせる、その笑顔は何て痛いんだろう。
「話したくないのなら、何も言わないままで構いませんけれど」
こんなに近くにいるのだから、どうかこの言葉が届いてほしいと思う。そんな、懇願。
「せめて、そんな顔をして笑うのはやめてください」
見ているこっちが辛くなる。
告げた途端に崩れ始めた表情は、泣き出す寸前の子供に似ていた。
「私にまで、平気な振りをして笑ってみせなくてもいいでしょう?」
目には見えない涙を拭うように、指先で柔らかい頬を辿る。
「貴方は、笑顔なんて滅多に見せてくれませんけれど。作り笑いをされても悲しくなるだけです。
…不機嫌そうにされている方が、私は安心しますから」
キュッと唇を噛んで瞬きする。
「…お前、変な奴」
やがて聞こえた答えに少しだけ安心して、
「今更でしょ」
素のままに笑った。
やっと聞き出すことが出来た、彼の偽らない本音だった。
「たまには思う存分落ち込んでください。
あんまり平気な振りで無茶ばかりしていると、そのうち駄目になってしまいますよ。些細なことでバランスを崩して、そのまま壊れてしまうことだってあるのですから」
「…あぁ」
彼が頷くのを待ってから、江戸川コナンという偽りの姿を強調する、眼鏡をそっと外してしまう。
コナンは、暫く黙っていた。
顔を上げて口を開いて、
「なぁ、」
またつぐむ。
俯いた先に滴が落ちる。
いいよ。
今は何も言わなくていいよ。
言葉にする代わりに抱き寄せた。
何も知らなくともこれくらいならできる。本当は疲れた心ごと抱きしめたいのだけれど、コナンはそれを望まないだろう。
随分長い間溜め込み続けたのだろう涙が、しっとりと胸元を濡らしていく。
やっと泣けるんだな、と思う。
彼は恥じるように俯いて泣くけれど、小さな手で滴を隠すけれど。
月夜に零れた滴で失うモノ、なんてきっと何ひとつないし。
何も見てない。気付いてない。知らない。
俺のことは、ただの抱き枕とか電柱とか、そんなものだと思っていいから。
少しだけ震えるその背中を、掌でそっと撫でていた。
好きなだけ泣いて、また笑って。
俺の前じゃなくてもいい。
スッキリしたら、心から笑って。
ババババババ…
近付く爆音に顔を上げる。確かめるまでもない、警察のヘリだった。
そして、舌打ちしたい思いで聞いた怒声とサイレン。
「……時間切れ、みたいですね……」
この屋上へ続く扉が開いた瞬間に、胸元から閃光弾を取り出した。
「キッド……」
小さな顔へ眼鏡を返してやると、囁くようなコナンの声が聞こえる。
名を、呼んでみただけなのか、俺を引き留めたかったのか。
意図を確かめる隙もなく、濡れた目をしたおまえを残して、泥棒は消えるしかないのだけれど。
去り際に奪った一瞬のキスが、せめて彼の涙を止めればいい。
END
リクエスト内容は「行き止まりで君は何を想う」のキッド視点ということでした。
ちょっとラストを書き足してみたりもしたのですが、如何だったでしょうか…?
視点を変えるだけなのに予想外に時間がかかってしまい、すみません!書き直し・返品等も受け付けます。
リクエストありがとうございました!
2011.4.13
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