目を開いても世界は真っ暗だった。ただ、頬に当たる感触からして、シーツの上、つまりはベッドへ寝かされていることが分かる。
「……?」
人の気配を感じて体を起こした。
暗闇に浮かび上がっているのは予想通り、すっかりお馴染みの真っ白い男。
「気付かれましたか?」
開け放たれた窓の前に立つキッドが、芝居染みた仕草で指を鳴らせば、途端にベッドサイドの明かりがうっすらと灯った。
「何処だよ、ここ」
「先程までいた場所から、そう遠くはありませんよ」
時間は一時間半ほど経過していますが。
それでは質問の答えになっていない。
文句をつけたかったが、どうせキッドが隠れ家として借りている部屋なのだろうと思う。生活感がまるでないから、日常的に使っている場所ではないはずだ。
それよりも、最優先事項として聞いておきたいのは。
「…オメー、どういうつもりだ?報復か?」
「まさか」
睨みつけながらの問い掛けは否定された。
ならば報復以外のどんな理由で、人を眠らせた上に攫ってみたりしたのか。
残念ながら思い当たることは何もなく、頭を抱えたくなってしまった。
先程の言葉を信用するなら、犯行予告のあったホテルの屋上でキッドと対峙していたのは約一時間半前のことだ。
「それ、返せよ」
予想通り屋上へ姿を現した怪盗に、代わり映えのしない台詞を投げた。
俺の声を聞き付けてもキッドは驚いた様子など見せず、悠々と満月に本日の獲物を翳す。
「返さない、と言ったらどうします?」
からかうように言われ、まともに相手をする気が起きなかった為。
「なら俺は帰る」
そう言ってさっさと背中を向けた。
「おっと」
すると、やけに近くから声が聞こえて、
「今日はまだ、貴方を帰す訳にはいかないんですよ…」
然るべき意図を持って伸びてきた手袋ごしの手が、口元を布で覆った結果…
俺はあっさりと眠りに落ちた。
それどころか、そのままうっかり攫われてしまうなんて。探偵としてあるまじき失態だ。
そして何より、キッドならそんなことはしないはずだと。
いつの間にか、この得体の知れない人物を信頼しきっていた自分に気付いて、今もまだ釈然としない想いを抱えている。
「危害を加えるつもりはありませんから。そんなに警戒しないでください」
妙に優しい声音でキッドが言う。
人を攫うような真似をしておいて。
警戒するなとは随分無茶な要求だと思った。
「少し眠っていただいただけです。寝不足の解消になってちょうどよかったでしょう?」
「おまえなぁ…」
いや、優しいというよりはこちらの機嫌を窺うような声、かもしれなかった。
「一体なにを企んでやがる。勿体ぶらずにさっさと言え」
更に視線をきつくしながら問う。
相手の意図が読めない状況は嫌いだ。
「ええと…さっさと言えと言われてもですね…」
別に勿体ぶっている訳ではなくて…
キッドは、普段の気障っぷりが嘘のように、唐突に歯切れが悪くなった。
「さすがにそこまで思い切れないと申しますか…」
「だから何がだ」
段々苛立ちが募ってきた。
「思い切れないなら今すぐ帰せよ!」
というか帰るぞ。
「待ってください…っ!」
出入口の方へ向かおうとすれば、慌てて追いかけてきたキッドに腕を掴まれる。
「今すぐちゃんと訳を話しますから!」
「…なら聞いてやる」
俺は残念ながら、そこに謎があれば放っておけない質の人間だ。このまま帰っても逆にストレスが溜まるだけだろう。仕方ない。
尊大に告げると、やっとキッドが重そうな口を開いた。
「…今までは、貴方がすぐに帰ってしまうからだとか、追っ手に邪魔されるからだとか、状況のせいにして諦めていたんです。でも、このままでは一生伝えられないと思いまして…」
「だからゆっくり話せる状況を無理矢理作り出したってことか?」
随分極端だな。
相変わらず何を話したいのかはさっぱり分からないが。
「その通りです。勝手なことをしてしまい、すみません」
本当にすまなそうにキッドが言う。
「ただ、貴方に伝えたかったんです」
キッドの挙動不審ぶりに巻き込まれて、事件が絡めば冴え渡る推理力がちっとも働かない。
それでも、何かとんでもないことを言われそうだぞ、という覚悟だけは忘れずにしておいた。
「そのー…」
尚も言い澱むキッドと、まともに目が合った。
頬やら耳やらが赤く染まって見えるのは、俺の目の錯覚であって欲しい。
「…好き、なんです…」
紡がれたのは、ありふれた言葉だった。
ホームズが好きだとかサッカーが好きだとか。日常的にしょっちゅう使用するような。
想像していた程とんでもないことを言われなくてよかった。
けれど、その対象が欠けていては何が何だか、だ。
「…なにが?」
だから、当然の疑問を問うてみる。
「はぁぁ…」
途端にキッドが深く嘆息した。
幸せが大量に逃げそうだからやめてほしい。
「…それはもちろん、」
そして、重い病を告白するかのような沈鬱な面持ちで続ける。
「貴方のことが、ですよ」
「……はぁ…?!」
俺のことを、好き…?
キッドが…?
確かに、誘拐じみたことまでやらかしておいて、伝えたかったことが己の嗜好だなんておかしいとは思っていたのだ。
いや、嗜好であることに変わりはないか。“俺”が好きだと言うのだから。
ぐるぐるぐるぐる
目眩がしそうになってきた。
流れ込んできた情報を上手く整頓することができない。
「…なので、名探偵とお付き合いしたいと思って、いるのですが……」
キッドが、更に混乱を招くようなことを言って追い撃ちをかける。
「…お付き合いって…具体的にどんなことするんだ…?」
変な質問をしている自覚はあったが。
怪盗と探偵が仲良くお付き合い、なんて。
どうもイメージが湧いてこないのだ。
「お前とお付き合いしたところで、俺になんかいいことはあるのかよ」
「そうですねぇ…」
キッドは、少しだけ考えるように間を置いた。
「まずは美味しい手料理でもご馳走しましょうか」
キッドが手料理。
エプロン姿の怪盗がぽわんと浮かび、あまりの違和感に慌てて打ち消した。
「名探偵のためにマジックショーを開いてもいいですよ。もちろん大好きな暗号もプレゼントします」
「暗号…」
それはすごく嬉しいかもしれない。
うっかり食いついてしまった俺を見て、キッドがクスリと微笑う。
「それから。
貴方が助けを必要とする時は、いつでも飛んでいきますから」
「お前は…
俺に何か望むことってないのか?」
思わずそんなことを尋ねてしまった。
何と答えるか決めてもいないのに。
向けられる想いが、ひたむき過ぎて戸惑っている。
これでは俺に都合がよすぎると思う。
問い掛けを聞いたキッドは、もう一度、見ている者が切なくなるような笑みを浮かべた。
「私が少しでも貴方の役に立てるなら。貴方が喜んでくれるなら。何よりこの想いを受け入れてくれるのなら。これ以上幸せなことはありませんよ」
同じ男から向けられるそんな感情を、何故か不愉快だとは感じなかったけれども。
真摯な想いを告げるキッドの、片目は依然として隠されたままだ。
「…何処の誰だか分からない奴に、んなこと言われてもな」
それが、何だか無性に気に食わない。
「信じねぇ」
ぼそりと零してモノクル越しの瞳を睨んだ。
「え?」
「隠し事したままそんな…大事なこと言うのかよ」
俺を好きだなんて言いつつも、完全に信用なんかしてないってことじゃねぇか。
「さっさとそのモノクル外しやがれ」
キッドは、虚を衝かれたような顔をした後、頷いて、
「…わかりました」
まずはシルクハットを放り投げてみせた。
柔らかそうな癖っ毛が夜風に揺れる。
「もう一度言います。
…俺と、恋人同士として付き合っていただきたいんですが」
どうか答えを聞かせてください。
キッドの手によってモノクルが外されると、弱気な瞳が二つに増える。当然威力も倍増する訳で。
「…別に」
断ったらコイツ泣くんじゃないか、と思った。
「付き合ってやってもいいけど…?」
どうせ見るなら、泣き顔じゃなくて笑顔がいい。ポーカーフェイスで隠されていた色々な表情を見てみたい。
そんな思考回路が生まれる時点で、とっくに目の前の男に惹かれているのだとは気付けないまま、俺は小さな声で了承を告げた。
「…っホントに…?!」
「……俺に二言はない」
もはや怪盗紳士では有り得ない男の口元がじわじわと緩んでいく。
やがて満面の笑みにたどり着いたその顔を見て、
あ、コイツのこと結構好きかも
今更、突拍子もないような感情が頭の中を過ぎって。
質の悪い詐欺に引っ掛かったみたいだと、顔に熱を上らせながら仏頂面を浮かべた。
END
コナンはモノクルを外したキッド(快斗)に一目惚れしたらしい…
リクエスト内容は「K→コで、キッドが仕事中に待ち伏せていたコナンを誘拐して告白して両想い!な話」でした。一応リク内容からものすごく外れてはいないと、思っていたいのですが。
何だか、誘拐までしておいて思い切れていないヘタレキッドと、激鈍コナンの話になってしまいました…
返品・書き直し等、受け付けますので、修正希望箇所がありましたら遠慮なく言ってください。
リクエストありがとうございました!
2010.7.5
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