どうしてなんて、

1

「早く行こうぜ!」
「新しいゲーム、楽しみだね!」

授業の終わった教室を出て、昇降口まではおとなしく歩いていた元太たちが、靴を履き変えた途端に勢いよく駆けて行く。
博士が新しいゲームを完成させたとかで、今日は阿笠邸へと押しかける予定なのだ。

「あいつら元気だよなぁ」

あっという間に消えた背中を半笑いで見送った。
昨日あんな事件があったっていうのに。彼らだって随分遅くまで動き回っていたはずなのだが。

「当たり前じゃない。あの子たちは一日中事件を調べて走り回ったり、一人で犯人を追い詰めたり、挙句東都タワーのてっぺんから飛び降りたりなんて、してないんだから」

隣に靴を落とした灰原の、冷たい声に固まった。

今日は朝からずっとこの調子だ。
多少無茶をしたとは自分でも思っているから、小言も甘んじて受けるべきなのかもしれないが。
一日中続くとなれば、さすがに閉口してくるのも仕方ないだろう。
何と返すべきなのか、うんざりしながら言葉を探していると。

「コナンくーん!」

先に行ったはずの歩美が、また元気いっぱいに駆け戻ってきた。

「早く早く!コナンくんに用事あるって人が来てるよ」

そう言ってしきりに腕を引っ張る。

「用事?どんな人だった?」

これで灰原からは逃げられる。
少しだけホッとしながら問い掛けた。

「えっとねー、新一お兄さんに似てる人!」
「ゲッ」
快斗じゃねーか!

歩美につられて走っていた足に急ブレーキをかけたけれど、既に校門は目と鼻の先だった。



「お兄さーん!コナンくん連れてきたよ」
「ありがとな、お嬢ちゃん」

視界に入ってくるのは、歩美へにっこりと笑いかける快斗の顔。

「コナンくん?立ち止まっちゃって、どうしたの?」
「…今行くよ」

ごまかし笑いすら、引き攣ってしまう。
歩美から離れた快斗はポケットに両手を突っ込んで、灰原以上に冷たい顔でこっちを睨んでいる。

こりゃー、いろいろバレてんな…

あまりに不機嫌そうな快斗の顔を、直視できずに俯いた。

「時間かかりそうだから、江戸川くんは置いて帰りましょう」

灰原が、涼しい顔で子供たちを促す。

「そうですね。じゃあ今日はコナンくん抜きってことで」

あっさり同意する光彦に続いて、元太や歩美もすぐに頷いた。
いつもなら「付き合いわりぃ」だの「一緒に遊ぶ約束してたのに」だの食い下がるのに。
それほど早くゲームをしたいのだろうか。

「じゃーなコナン」
「また明日ね!」

もっとも元太たちがいたところで、この状況を打開する手助けになるとは思えないが。
最後に、数歩先を行った灰原が振り返って留めを刺した。

「私は助けないわよ」

期待などしていなかったけれど、改めて宣言されると突き放されたような心持ちになる。

「少しは反省することね」
「……」

その言葉を最後に灰原も離れていってしまう。
不自然な沈黙が重すぎて快斗の靴ばかり見ている。
こんなに怒っている快斗を見るのは初めてで、どうすればいいのか全く分からなかった。



2

「久しぶり、嘘つきの探偵君?」

接触を意図的に避けていた自覚は十分あったから、それは嫌みかと顔を顰めた。
ふざけた呼称に腹が立っても言い返せやしない。
校門の前で待ち伏せていた快斗をどう遣りすごそうかと考えてみるものの、逃げられないことはよく分かっていた。

「ちょっと話したいんだけど」
勿論ついてきてくれるよな?

低い声で紡がれたその言葉は、同意を求めるように見えて紛れもなく命令だったから。



組織のメンバーが捜査会議に潜入していたことに気付いた日から、快斗とは一度も会っていなかった。
音信不通になったら何かあったのだと勘付かれそうだから、メールに最低限の返事くらいはしていたが。
たかが数日と言ってしまえばそれまでだ。
けれど、何だかんだ言ってほぼ毎日顔を合わせていたのだから、会わない日がある方が珍しい。

メールだけのやり取りに焦れたのか、電話が掛かってきたのは一昨日のこと。
会いに行っていいかと電話ごしに尋ねられ、嘘をついて断った。子供達と約束があるのだと。

「あいつらにも付き合ってやらねーとうるせぇんだよ」
『そう言って、平日はともかく土日まで会ってくれなかったじゃん…』

不満を隠しもしない返事が返ってきて、ため息。

「夏だからな。虫取りやらプールやらいろいろお誘いがあるんだ」

虫取りは先日付き合ったし、明日プールへ行こうとも誘われた。あながち全て嘘ではない。
それが今日ではないというだけで。

『夏休みになってから行けばいいのに』
「待ちきれないんだろ。お子様だからな」

当たり障りない答えを返しながら、ごまかされてくれと祈っていた。

『コナンは俺に会えなくて寂しくないの?』
「…会ってから一週間も経ってねぇのに?」

答えづらいことを聞かれて呆れ声で返す。

『…コナンちゃん冷たい。恋人より友達を取るんだ…』
「知るか。少しは俺の交友関係にも気を遣え」

不機嫌を装って電話を切った。
電話の向こうの膨れっ面が目に浮かぶ。
この事件が無事解決したら、子供たちの誘いを断ってでも会おうと思っていたけれど。
こんな形で顔を合わせるのは嫌だった。
せめて、負った傷が目立たなくなるまでは会いたくなどなかったのに。



腕をがっちりと掴んだ快斗は、連行するような勢いでどんどん歩いていく。
掴まれたのは左腕でなく右腕だった。まさか早速怪我の場所がバレているのだろうか。

振り返りもしない背中を追い掛けていると、先程の嫌みが耳に蘇った。

『嘘つきの探偵君?』

最悪の組み合わせだな、と思う。真実を暴く探偵が嘘つきでどうする、とも。

嘘つき探偵。
尤もだよとひっそり笑った。
尤もだけれど、今更すぎる。
名前も存在もその全てが嘘。
俺はたぶん、嘘の塊からできている。



3

問答無用で連れて行かれた先は快斗の家で。
いつもは無人でも何処か温かいこの場所を、こんなに居心地悪く感じたのはたぶん初めてだった。



「…で?」

自室の床へ座り込んだ快斗がようやく口を開く。

「…なんだよ」

気まずく聞き返せば、答えの代わりに腕が伸びてきた。
スポッと奪われた帽子の下から現れるのは、目立つことこの上ない真っ白な包帯。

「どーゆーことなのか説明よろしく」

帽子を無造作に放り投げて快斗が言う。

災難なことにこの雰囲気は本日二度目だ。

「よろしくって…」

一度目はもちろん、登校した途端睨みつけてきた灰原が相手だった。

「どうせ聞かなくても分かってんだろ」

分かっているからこそブチ切れてんだろうし、と思う。

「表向きの事情は調べたよ。あんだけ派手に東都タワーが破壊されたってのに警察が事実関係を全く掴んでないってことは…組織絡みなんだろ?」

しれっとした答えが返ってきて。
やっぱり分かってんじゃねーか、と。
悪態をつきたくなったが諦めた。
素直に話した方がよさそうだ。何故なら…快斗の目が、完全に据わっているから。

「…まぁ大雑把に言うとだな、組織のメンバーに俺の正体がバレたんだ」
「原因は?」

そこまで予想がついていたのかもしれない。
快斗は冷静な表情のまま聞いてくる。

「…指紋」

たぶん、バレたのは組織が絡むと冷静さを失う己の行動の積み重ねのせいで、細かい原因なんて幾らでもあるのだろうけれど。
端的に答えれば快斗が顔をしかめた。

「…そりゃ、言い逃れできねぇな」
「あぁ」

改めて思い返せばここ数日は、本当に一歩間違えば全てを失うような状況にいたのだと、今更気付いて背筋が寒くなる。

「でも、一応解決したからさ」

最悪の形でな、と心の中で付け加えた。

「もう疑われてはいないと思う」

この両の掌で感じた、死に逝く者の体温が冷たく蘇る。
他人の犠牲の上に立って、生き続けている自分という存在。
その事実は今も受け入れ難いほどに重く、口に出すことができなかった。

「ま、コナンがそう言うなら信じるけど」

話したくないという空気を察したのか、快斗は何も追求してこなかった。

「そんじゃ次の質問」

まだあるのかよと思いつつ、あっさり話を変えてくれたことにホッとする。

「どうして俺に、ひとっ言も話してくれなかった?」

そう言った快斗は、悔しさと寂しさが入り混じったような顔をしていた。

「…オメーには関係ないことだからだ」
「関係ないってどういうこと?ない訳ないだろ。大事な恋人が危ない目にあってるのに」

途端に快斗がいきり立って、これは失言だったかと少し慌てる。

「あー、よーするに。」

どう言えば上手く伝わるのか分からなくて。

「…巻き込みたくなかったんだよ」
「西の探偵には連絡とったくせに」

結局、浮かんだ言葉をそのまま口にすると、拗ねたような声が返ってきた。

「どうしてそれをオメーが知ってんだ?…まさか盗聴器…」
「そんなん仕掛けてたら真っ先に助けに行ってる」
「そりゃそうか」

俺を“工藤新一”だと断定するアイリッシュの声やら度重なる銃声やらを快斗が聞いていたとして。
じっとしていられるはずなんてないことは、これまでの付き合いからよく分かる。
でも、盗聴器を仕掛けていないのなら、どうしてそんなことまで知っているのだ。

疑問が顔に出ていたのか、快斗は溜め息と共に答えを告げた。

「本人から聞いたんだよ」
「本人…?」
って、服部のことか?

「そ。『工藤が何やえらい事件に巻き込まれてたらしいんやけど、黒羽知っとった?』てな」

わざわざ服部の声音まで再現してくれる。
つまり、服部経由でバレた訳だ。後で文句を言わなくては。
というかこの二人はいつの間に交流を深めていたのだろうか。

「なんで近くの恋人より遠くの友人を頼んの?」
すっごく納得できないんだけど。

結局のところ、巻き込みたくなかった、では説明不足らしい。
仕方ない。

俺は先ほどの快斗と同じくらい重い溜め息をついて、本音を話すべく口を開いた。

「…服部に連絡とったのは情報が欲しかったからだ。それ以上の深い意味はねーよ。
けど、おまえに連絡しちまったら…死にに行くみてーじゃねーか。だから何にも言わなかった。おとなしくやられる気なんてカケラもなかったしな。
これが俺なりの覚悟だったんだ」

今回ばかりは随分と追い詰められていて、余裕なんて全くなくて。
例えば、命を落としていてもおかしくはなかったと思う。
そんな瞬間が何度もあった。
そのたび頭の片隅で快斗を想った。
さすがに、黙って逝く訳にはいかないよな、と。

「悪かったな」

そして、言葉を失ってしまった快斗に告げる。

「嘘つき探偵でさ」
「…それは…」

感情の行き場をなくしたような顔をしていた。



「…傷つけるようなこと言って、ごめん。つい、っていうか…責めるつもりじゃ、なかったんだよ」
おまえの気持ち、一番分かってやれるのは俺なのにな。

「バーロ」

言葉を選びながらの途切れがちな台詞を笑い飛ばした。

「今更、んなことで傷付くかよ」
「…うん…。たださ、」

快斗は俯きがちに頷いた後、顔を上げる。

「これだけは分かってほしいんだけど。俺にだけは、嘘つかないでいてほしかったんだ」
「……」
「今回のこと聞いてさ、俺、すごいムカついたし、悲しかったし、ショックだったし」
コナンに隠し事されると寂しくなるから。


快斗の気持ちが、全く分からない訳ではない。
俺だってコイツに隠し事されたらムカつくし。
だから、勝手すぎることは分かっている。でも。

「…俺は、謝らねぇぜ?」

弱い瞳を、真っ正面から睨み据えた。

「罪悪感とか、そういう感情がカケラもないとは言わねぇけど」

嘘は嫌いだ。嘘をつき続けるしかない自分も嫌いだ。
それでも、今更やめられることなんて何一つない。

“江戸川コナン”はとっくに生まれてしまって、守りたい人たちは幾らでもいて、自分なりに譲れない覚悟もあって。

「俺はこれからも嘘つきだからな。それが気に入らないんなら見破ってみせろよ」



快斗は暫く黙り込んだ後、

「…じゃあ、俺も謝らない」
さっきのごめんは取り消すよ。

諦めたように笑ってそう言った。



4

「さてと。」

あっけらかんとした声で、沈んだ空気を一掃した快斗が言う。

「疲れてるんでしょ。このまま泊まっていけば?」

その疲れきっている俺を無理矢理ここへ引っ張ってきたのはおまえだろ、と快斗を睨む。

「帰る」
「そう言わずにっ」
というか、これ既に決定事項だから。
「はぁ!?」

あっさり告げられて呆気にとられた。

「蘭ちゃんにはさっきメールしといたよ」
「さっきって…」

一体いつの間に。
顔を合わせてからは携帯をいじる様子もなかったから、小学校へ現れる前だろうか。

「一人で眠れないんじゃないかと思ってさ。わざわざ連れてきてあげた訳」
「よく言うぜ」

ブチ切れた勢いで引っ張ってきただけのくせに。

呆れて零した嘆息をどう誤解したのやら。

「大丈夫!恐い夢見たら起こしてあげるから」
それとも添い寝がいい?
「…いらねーよ」

意気揚々とした言葉に、もう一度わざとらしく溜め息を落とした。

「遠慮することないのに」
快斗は不満げな顔で言った後、

「あーそうそう」

何かを思い出したかのように、何故か俺の服を軽く引っ張る。

「実は、さっきから気になってることがあるんだよね」
「なんだよ…?」

唐突な話題転換への戸惑いもあったが、改まって言われると何となく嫌な予感を覚えてしまう。色々と後ろめたいことばかりがあるから、なおいけない。

意図が分からないながら後退る俺のことなどお構いなしに、その手がシャツの裾を勢いよく捲り上げた。

「うっわー…これはなかなか派手なことになってるね」
「ちょ、何しやがる!」

曝されたのは目下青痣だらけの上半身だった。
慌てて元に戻そうとしても、がっちりと服を掴んだ指が離れてくれない。

何でこんなことまで気付くんだ。
そう問い掛ける前に快斗が答えを告げる。

「左腕ケガしてるのはすぐ分かったけど。腕関係なく動きが時々ぎこちなかったから」
「そうか?」
全く自覚なかったんだが。

「まぁ俺はコナンちゃんのこと、誰よりよく見てるし。大抵のことは分かっちゃうんだよ」

少々得意そうな顔で言った後、くすぐったさを感じるほど優しい指が肌をなぞった。

これは間違いなく、昨日蹴られたり吹っ飛ばされたりした時にできたんだろう。
赤やら青やら黄色やら。花なら色鮮やかで結構なことだが、肌に広がる痣の色となれば話が違う。
この色合いは我ながら直視に堪えないというか…はっきり言って気味が悪いと思った。

「湿布とか貼らなくていーの?」
「今更だろ」
痛みなら腕の方が勝るせいで、ほとんど気にはならないし。

もう一度指を引きはがそうと試みれば、今度はあっさりと離れていった。

「ちょっと待ってて、俺が貼ってあげるから」

言うなり、快斗はパタパタと部屋を出る。
救急箱でも取りに行ったらしい。

「…心配性」

零した独り言は悪態でも呆れでもない。

俺が抱える痛みに、俺自身よりもずっと敏感でいる快斗は、怪我をして帰る度にいちいち怒ったり泣いたりする。
邪険にして、内心は少しうろたえながらも、その温かさが心地いいと思う。
事件で張り詰め続けた気が、やっと緩んでいくようで。



「お待たせ!」

湿布入りの箱を手に快斗が戻ってきた。

「じゃ、早く脱いで?」
「…さっきいらねぇって言っただろ」

本気で貼る気かよと顔をしかめる。

「コナンちゃんが何て言おうと貼る!痛々しくて見てらんないし」

それなら見なければいいのに、と思う。

「って、ムリヤリ脱がすな変態野郎」

さっそくボタンを外しにかかっている手を振り払った。

「今のところ下心はないから安心して」
「何だよその“今のところ”って」
「あんまり抵抗されると沸いてくるかもしれない」
「それじゃあ安心できる訳ないだろ!」

服の引っ張り合いという低レベルな戦いが始まる。この攻防は、明らかに体格差で俺の方が不利だ。
結局、数分と経たずに上半身があっさり白く染まった。





そして、時が流れること数時間後。

添い寝などという戯言はきっぱり断ったはずだったのだが。
何故か、男二人がひとつのベッドに入っているというこの現状。



『一人で眠れないんじゃないかと思ってさ』

そう言われて一蹴したけれど本当は図星で。
後悔、焦燥、もどかしさ。目を閉じれば、負の感情ばかりがぐるぐると頭の中を巡ってしまう。
昨夜もほとんど眠れなかった。

例えば、許されるのだろうかと考えて、そんなはずないとすぐに答える。
蘭を巻き込んでしまったことも、守れなかったことも、そしてどうしようもなく救えなかった命も。
それでも、今日だけは何も考えずにいてもいいか?

この夜が明けたら、そうしたら。
何もかも全てを背負うから。





微かに、快斗の心臓の鼓動が伝わってくる。
きっと、快斗もまだ眠っていない。ごく当たり前のことのように、俺が眠るまでは起きているんだろう。

腕を伸ばして、薄い布ごしにその胸に触れる。
驚いたのか、快斗が少しだけ身じろいだ。

「コナン…?」

とりあえず、一番大切な存在は今も呼吸をしていて、生きていて、怪訝そうな声で俺の名を呼ぶ。
そんなことが、いっそ泣きたくなるくらい幸せだと思った。



END

これの数週間後が「繰り返す約束」のつもりで書きました…
2010.8.10


 
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