「……うん、ボクは元気だよ!」
隣の部屋から、懐かしい声が聞こえる。
保護者代わりで本当は幼なじみ。
そんな彼女へ電話をかける、澄みきって高い子供の声だ。
「…うん、蘭姉ちゃんは?」
どうして寂しくなったりするんだろう。
彼はいつでも俺の一番そばにいるのに。
「またね」
この声を聞くと切なくなる。
胸は膿んだ傷のように痛む。
二度と戻れない場所に大切なモノを忘れてきたかのような焦燥と沸き上がる無力感で、目を閉じて記憶の中へ沈みたくなる。
あの愛しいコドモが存在していた日々の記憶に。
「声だけでどれだけ人を繋ぎとめられると思う?」
電話を終えて戻ってきた新一は、また答えるのが難しいことを問い掛けながら手の中のものを放った。
落ち着いた色調のソファーに真っ赤な蝶ネクタイ。
声だけで繋ぎとめているというのなら、この変声機が今は“江戸川コナン”の存在の全てだ。
「……さぁね、そういうのは人に依るんじゃない?」
自分でうんざりするほど無難な答えになった。
「けど、どっちにしろいつかは消えるよな」
いつまでも、は無理だと分かってる。
「…繋ぎとめていたいの?」
隣へ腰を下ろした新一に聞く。
「いや」
彼は否定して苦く笑った。
「むしろ消えた方がいい、忘れた方がいいはずなんだ、二度と会えない、元々実在しない人間なんて」
けれどまだコレを手放せない。
蝶ネクタイを指に巻き付けて弄ぶ。
「蘭が寂しがる、とかじゃなくてさ……寂しいのは俺の方なんだ」
彼はひたすら独り言のように続けた。
口元はやはりうっすらと笑っている。
「好き、だったのかもな、コナンのことが」
演じていた頃は苦痛で仕方なくて、一刻も早く元の姿に。そう、望み続けていたはずなのに。
「……うん」
何も言えることがなくて俺はただひっそりと頷いた。
――俺も好きだった。大好き、だったよ。
最初は、なんだコイツ、と思ったけれど。
子供に不似合いの鋭い瞳、わざとらしいほどの甘えた声、アンバランスな全てから目を離せなくて、惹かれているのだと気付いてしまった。
鳥肌が立った。恐怖からじゃない。やっと見つけた、そんな快感。
あんなコドモ、他にいない。
何処にもいない。
もう、会えない。
その存在は既に消滅した。
「……お前は?」
過去へと沈んだ意識に、新一の声が響く。
「…へ?」
平均より細めではあるが、大人と言っても差し支えのない、そんな彼の姿を、現実を認める。
「お前はどっちが好きだ?」
新一は酷くバカバカしいことを真剣な表情で問うてきた。
「どっちって、どっちも何もないだろ」
即答する。
「だって両方新一じゃん」
己に言い聞かせるよう、声に出した。
そうだ、コナンを少しだけ恋しく思うなんて、簡単に抱き上げられなくなったことが寂しいなんて、子供っぽい無邪気な笑顔がまた見たいなんて、考えてしまうのはおかしい。変だ。絶対、間違ってる。
新一とコナンは同一人物で、俺はその事実を誰よりもよく知っていた。
「本当にそう思うのか?」
彼はゆっくりとその言葉を紡いだ。
探偵の洞察力が怖いと思う。
「目が合わない、お前はいつもコナンを見てる」
無表情で真実を突き付ける新一が、どんな残虐な殺人事件の時よりも苦しげに見えた。
「いつも下の方を探して、顔を上げて、俺を見て、困惑する」
どうしてそんな顔をするのだろうか。
言われた言葉よりもそちらの方が気になって、じっと見つめれば彼は目を逸らす。
やけに不鮮明な視界に目元を拭った。
もしかして泣いてしまったのだろうか。
懐かしいコナンの声を聞いただけで。
「……自分に嫉妬する日が来るなんて思わなかったよ」
新一が小さく吐き捨てた。
END
2011.5.2
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