はがれかけた爪

学校帰りに快斗を見かけた。
挨拶しないなんて失礼だとか、騒がしく批難する友人たちがいないのをいいことに、無視して通り過ぎようとした。
が、しかし。

「……おい、その手どうしたんだ?」

喧嘩したばかりの相手とはいえ、遠目に真新しい包帯を見つけてしまえば、つい近付いて声を掛けてしまう。

「え、コレ?」

唐突に呼び止められた快斗は、まだ俺に気付いていなかったらしい。
少々気まずそうな顔で振り返った。

「あぁ。昨日はそんなのしてなかったろ?」

昨日、と口にして無意識に眉間に皺が寄る。
あの決着はまだついていない。
激情に駆られて怒鳴り散らし、その場から立ち去ってしまったからだ。

「…これは、爪がはがれかけててさ…」
ほっといたら青子に巻かれたんだ。

そう話す。

「なんでそんな怪我したんだよ?」

当然の疑問を投げかけると、彼は更に気まずげな表情を浮かべて俺を見た。

「それは、そのぅ…」

口を開いたくせに言葉に詰まる。

ろくな理由じゃないんだろう。
どうせ何か間抜けなことが原因で、とそこまで考えて思考が止まった。

快斗はマジシャンだ。
手、特に指先の怪我には、人一倍気を付けているはず。
いくらバ快斗でも守るべきところは必ず守る。
…余程の事情がない限り。

何となく、何となく嫌な予感がした。

「あのサッカーボール、受け止めた時にちょっと…」

その言葉が示す事実を認識するまで数秒を要し、

「……はぁ!?」

道端であることも忘れて大声を上げる。

何だよそれは。

なんだよそれ。

言葉に、ならなかった。

「だってアレはコナンちゃんの気持ちでしょ?」

快斗は開き直って平然と言う。

「ちゃんと受け止めれば許してくれるのかなって」
けど、おまえ、振り返りもせずに行っちゃうんだもんなぁ。

受け止め損だったよと笑う。
否応なく湧き上がる罪悪感を脇に置いて、とりあえずはそれだけで済んでしまう彼の身体能力に呆れた。



そもそも昨日の喧嘩の発端は、二日前まで遡る。

怪盗が犯行予告を出した夜だった。
衣装が異なるだけで変わり映えのない会話を交わしている最中、彼の敵対する組織の人間が現れた。
部外者扱いで真っ先に放り出されたことが気に食わなかった。

「すぐに警察が来るから逃げとけよ」

一般人が怪盗に、そんな台詞を言われる矛盾。
どこが一般人だと頭の中に彼の声が響く。
笑えない。

ムッとしたけれど補導されては堪らないため、怪盗の言うことを信用してとりあえずその場から離れた。

翌日。
特に会う約束もしていなかったが、探偵事務所までやってきた快斗に誘われて外へ出た。
行き先を知らない俺は自然と快斗の少し後ろを追いかけて歩く。

「駅の向こうに出来た喫茶店のコーヒーが美味しくてさ」
「オメー好みの甘いやつじゃねぇだろうな」

行き先を明かした彼にうろんな視線を投げる。

「ブラックも美味しいと思うよ。…飲んでないけど」

何気ない会話を二人、寝不足の欠伸混じりに続けて。
近道のつもりなのか、横断し始めた公園で俺はやっと気が付いた。

「おまえ、足…」

微妙に右足を引き摺っている。
元々俺に合わせて歩調はゆったりしたものだったからすっかり騙された。
怪我をしたのは昨晩、彼と別れた後以外に考えられない。

「俺を帰した後、奴らとやり合ったんだろ」

決め付けても快斗は反論しない。

「すぐ警察が来るっつったのは嘘だな」
「嘘じゃないって。来るのが予想より遅かっただけ」
俺が気絶させた下っ端が目を覚まして逃げるまで来なかったよ。

飄々と言う。

「あいつら拳銃持ってたじゃねぇか!」
「俺もトランプ銃持ってたし」

何を言ってもあっさりかわされる。


思い返してみればあれは喧嘩でなく、俺が一方的に責めていただけだった。


快斗は全く意に介さず、そろそろ動かない?と能天気極まりなく俺を促す。

「ふざけるなっ!」

思わず転がっていたボールを蹴った。
引き起こされる結果も確かめず踵を返す。

快斗は何か言ったのかもしれない。
けれど目の前を過ぎるバイクの爆音で、何も聞こえやしなかった。



当然避けると思っていたし、元々当てるつもりもなかった、少しコースを逸らしたのだ、それなのに。







「バカだろ、おまえ。マジシャンのくせに」
「平気だよ。指一本使えなくたってマジックくらいできる」 

快斗はいつも通り、華麗な手つきでトランプを捌いてみせる。
白と黒と赤が舞う手元から目を逸らして、歪んだ顔を俯けた。

――俺が更に傷増やしてどうすんだよ。

自己嫌悪感に押し潰されそうだと思った。



「……どーした、コナン?」

観客がいないことに気付いた快斗がトランプを消した。
近付いてくる靴先と影だけが見える。

「……俺が勝手にやったんだから気にするなって」

頭の上の、温もりと重み。

「な?」

くしゃくしゃと髪を掻き回す。

「それに、めーたんてーの凶暴なとこも含めて、俺はちゃんと愛してますから」

傷つけた指に触れては困ると、子供扱いの掌も振り払えず。

「……凶暴じゃねぇよ」
「うーん…」

せめてもの反論をしたら微妙な反応をされた。

「……俺、そこはちょっと譲れないかも」



END

2011.5.5


 
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