今夜も開け放した扉の向こうでは、発光しているかのように白い彼が、月を見上げスラリと立っている。
「よぉ、名探偵」
いつもと同じ声で、顔だけこちらへ向けて片手を上げた彼は、フェンスにゆっくりとその身を預けた。
「……キッ、ド…?」
一歩踏み出して異常事態だと気付いた。色の変わったコンクリート、そして臭い。
「来てくれてよかった」
正面に立って息を呑む。
「コナンが来るまではカッコつけてたかったから」
馬鹿だと詰る言葉も出ない。
彼はマントの影で衣装を脱ぎ捨てる。いつものように一瞬で早変わり、とはいかない。
扉に背中を向けていた理由を知る。他の部分はとっくに色を変えていたからだ。禍々しい赤に染まって。
「ちょっと…しくってさ、撃たれたんだ」
止血しようと触れながらも、手遅れだとわかった、わかってしまった。探偵として蓄積してきた知識や経験や勘が残酷に告げる。
「黙ってろ」
Tシャツとジーパン姿に戻った快斗を、血の海の中へ横たえた。体を動かすことは躊躇われた。
「黙ってても、話しても…結果は同じだと思うけど…?」
苦しげな声が返る。
「救急車とか」
呼んだのか、と続く声を叩き落とされた。
「無駄だろ」
「………」
ああ、ここで黙っては肯定したも同然だ。
「……コナンに、頼みたいことがあるんだけど」
まるで遺言じゃないか。聞きたくない。
「頼み事、ひとつめ」
嫌だと言う前に快斗が言葉を続けてしまう。
彼の半分も話せない。普通こういう時は逆なんじゃないかと思う。傷ひとつ負っていない俺の言葉は声にならず、荒い息混じりの声ばかり聞いていた。
「後で……人が来る前に、コレ燃やして」
音を立てて血溜まりの外に落ちるライター。
指先で示された穴あきの衣装を見る。
こんなに濡れて、持ち上げたらきっと滴るほどに赤く。
それでも傷口から溢れる血液は尽きない。
――流れ出した命は戻せないのだろうか。
「何なら俺ごと燃やしてもいいよ」
酷いことを告げた快斗に、
「ふざ、けんな…っ!!」
やっと怒鳴る。
腹が立ちすぎて涙が出た。
「いや、冗談だって。場を和ませようとしただけ」
「全く笑えねぇんだよ!!」
どうしても震える喚き声。
「……笑ってよ」
快斗は唐突にそう言った。
出血のせいで意識が錯乱しているのだろうか。
疑えばいたって正常だと声が返る。
「ね、笑ってよ。頼み事、ふたつめ」
これで最後ね。
本気で言っているのだと悟る。
「俺、コナンちゃんの笑った顔が好きなの」
「…可笑しいこともねぇのに笑えるかよ」
口の端がちっとも上がらない。
引き攣って震えて、また零れる。
塩辛い液体を飲み込んだ。
「泣けって、言っても、泣かないくせに……強がって、笑ってばっか、いるくせに。笑えって言ったら泣くんだね」
「…わ、るかったな」
空いた手で目元を必死に擦る。濡れるばかりできりがなかった。
けれど、たったふたつの願いすら叶えてやれずにいる俺を、彼こそが微笑って許すのだ。
「まぁ、コナンの、泣き…顔って珍しいし……可愛い、からいっ…か」
それは、とても、とても、優しく。
笑ったまま閉じた目と、
動かない口と、
力の抜けた腕と、
掌と指と、
横たわったままの体の全て。
「…快斗…?
おい、快斗…
快斗…っ」
答えのないことがたぶん答えだった。
「快斗っ!!」
腹部を押さえた手はぐっしょりと濡れ、その手で心臓を探ることができない。傷に張り付いて同化して剥がせない。
縋るように倒れて、両耳が必死で鼓動を探す。
「かい、と……」
どんなに探しても求めても望んでも、何の音も聞こえなくなった体。
嘘だろと笑った。今さら笑えた。
END
2011.3.2
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